トリック分析~トリックの長所について~
昼間と同じ道を歩き、ギラムはポターヌ家の別荘に到着した。玄関の扉を開けてくれたのは、ソフィアの母マリア・ポターヌだった。
「聞いてくださいよ、ギラムさん! 私達の娘がナイフを持った暴漢に襲われたんですよ。このっ! 平和なっ! 湖でっ!」
マリア夫人は声がでかい。そして声が高い。ギラムは体を反らして、できるだけ耳を遠ざけた。
「それは大変だ。ソフィアさんのご容態は?」
「軽い怪我で済みましたけど、せっかくのパーティーが台無しです。娘はギラムさんに会えるのを楽しみにしてたんですよ。『ヴァンパイアのおじさんに血を吸ってもらうんだー』なんて、はしゃいでたのに」
(あれ? もしかして余計なリスクを負わずとも、血を貰えたのでは?)
ギラムの顔が引きつるが、上体を反らしているのでマリア夫人には見えない。
「もちろん冗談でしょうけどね、ホホホ。そういうわけで今、警察騎士の取り調べを受けてるんですよ。すいませんねえ」
マリア夫人の案内で、大広間に向かう。華美な装飾が施された直方体の部屋に、人が集まっていた。ポターヌ家の主人リーマス・ポターヌ、弟のセネガル・ポターヌ、家令、召使い、それに加えて警察騎士が二人。一人は強面で、一人は柔和な顔つきだ。
「ご紹介します。こちら、ヴァンパイアのギラムさんです」
ギラムは警察騎士の二人にお辞儀をして、席に着いた。ソフィアの姿は見えない。たぶん、どこかの部屋で寝ているのだろう。
マリア夫人も着座する。
「それにしても、ギラムさんはちょうどいいタイミングで来られましたわ。今から面白い話を聞けますよ」
マリア夫人は、強面な警察騎士に話を振った。
「娘を傷つけた犯人を絞り込めそうなんですよね?」
「はい。あくまで推測ですが」
見覚えのある銀製のナイフが、テーブルに置かれている。ギラムは思わずそれを二度見した。柄の部分に、シルクの布が巻きっぱなしになっている。そういえば外した記憶がない。
「このナイフは、ソフィアさんの側に落ちていたものです。ただし、凶器ではありません。刃についた血の量が少なすぎますし、そもそも傷口と刃の形状が合致しません。これは偽の凶器と見るべきです」
あっさり偽装を見抜かれ、呆然とするギラム。驚愕と焦燥と悲哀が一緒くたになって、顔に浮かぶ。両目は大きく見開かれ、口も両目と同じぐらいオープンしている。
「もう一点気になるのが、柄に巻いてある布です。犯人は何らかの理由で柄に直接触れたくなかったようです。金属が苦手なのかもしれません」
誰が合図したわけでもないのに、大広間にいる人間全員の視線がギラムに向けられた。家長から召使いにいたるまで、みな一様に疑惑の目。
ギラムの額から汗が垂れた。人間達の考えが手に取るように分かる。犯人は金属が苦手だった。金属が苦手な生き物といえば、ヴァンパイア。おやおや、被害者のことをよく知るヴァンパイアがここに一人いるじゃないか。犯人はお前だあ!
――そんなギラムの想像は杞憂に終わった。
「あらやだ、私ったら。一瞬、ギラムさんを疑ってしまいましたわ」とマリア夫人が微笑み、
「いやいや、ギラムさんが犯人なわけがない」と主人のリーマスが首を振る。
「そりゃそうだよ、兄さん。ソフィアが刺されたのは、昼間だぜ?」弟セネガルも同調する。
一番怖そうな強面の警察騎士ですら、
「ヴァンパイアには無理でしょう」
と断じた。ギラムは安心して、出されたワインを堪能した。
知識トリックが最強である理由その1、人は常識を信じやすい。
「犯人は金属が苦手である。ここまではよろしいでしょうか」
警察騎士の話に耳を傾けていたギラムは、ふと誰かに睨まれているような嫌な感じを覚えた。食卓を見回す。リーマスとセネガルの兄弟は食事をしている。マリア夫人は衣服を整え中。家令でもなく、召使いでもないとすれば…………。
見つけた。怖くない方の警察騎士が、ギラムを凝視している。
(なんだ? 吾輩のワインが飲みたいのか?)
もやもやした気持ちを抱えたまま、ギラムは視線を戻した。
「次に注目するべきなのは、ソフィアさんの肩にガーゼが当てられていたという事実です」
「ほんとに不思議ですわ。犯人が被害者の治療をするなんて」とマリア夫人が相槌を打つ。
「極めて異例なケースです。はっきりしているのは、犯人はソフィアさんを殺すつもりはなく、何か別の理由があってソフィアさんを襲ったということです」
「一体、どんな理由なのでしょう?」
「私なりに、三つの仮説を立ててみました。一つ目の仮説、犯人の目的はソフィアさんの体に傷をつけることだった」
「可哀想なソフィア。殿方は、傷のついた女性に冷たいですからね」
「二つ目の仮説、犯人はソフィアさんを治療したかった」
「ロマンスの予感がしますわ! 負傷した乙女の前に颯爽と現れる白馬の騎士! 騎士は乙女に手を差し伸べ、その傷口に接吻する。その営みがきっかけとなって、騎士と乙女は結ばれる。しかし全ては、騎士の自作自演!」
「三つ目の仮説、傷をつけることによる副産物、血液が欲しかった」
ギラムの類まれなる吸引力がいかんなく発揮され、十四の瞳が彼の体を貫いた。視線を介して伝わってくる疑惑、疑念、不信感。
しかし、それも一瞬の出来事にすぎなかった。
「また同じ過ちを繰り返してしまったわ」マリア夫人。
「魔物を疑うのは悪い癖だ」主人リーマス。
「そうそう、今は共存の時代なんだから」弟セネガル。
「気分を害されたようでしたら、謝ります。特に他意はありません」怖い方の警察騎士。
疑われている気配すらない。ギラムは机の下でガッツポーズを決めた。
知識トリックが最強である理由その2、論理で崩すことができない。
「柄に巻かれた布、ソフィアさんに対する治療。以上二点が、犯人特定につながる手がかりだと思われます」
「他にはありませんの?」マリア夫人が話を掘り下げようとする。夫人は妙に積極的だ。
「不自然な点がないこともありませんが……」
「ぜひとも聞かせてくださいませ!」マリア夫人の爆音ソプラノが、応接間に響く。耳を塞ぐ一同。「私は何でも知っておきたいのです。私の仕事には知識が欠かせませんからね」
(マリア夫人の仕事? その話題は初耳だな。どんな職業なのか、あとで聞いてみるか)
「ではお話しします」警察騎士が言った。「犯人は最初から、ソフィアさんを殺すつもりはありませんでした。それはガーゼで治療を施していることからも明らかです。当然、犯人はソフィアさんに姿を見られるわけにはいかなかった。
ならばどうして、犯人は水際でソフィアさんに襲いかかったのでしょう? 水面に映るリスクを犯して」
「水面に映らない体だったとか?」
マリア夫人はギラムにいたずらっぽい目を向けた。とんだ誤解だ。魔物大全にもちゃんと書いてある。『鏡や水面に映らない→普通に映る』と。
「ヴァンパイアって鏡に映らないんでしょう?」
ギラムが答えを返す前に、リーマスが大らかな声で言った。
「おいおいマリア、常識が足りてないんじゃないか? ヴァンパイアはな、鏡にも水面にもちゃんと映るんだぞ」
「あら、そうでしたの!?」
羞恥を顔ににじませ、マリア夫人は頬を赤らめた。
「私の無知をお許しください。なにぶん世間知らずなもので」
食卓が笑いに包まれる。ギラムも一緒になって笑った。こんなに余裕たっぷりでいられるのも、あの素晴らしいアリバイトリックのおかげだ。自分には絶対の安全が保証されている。
知識トリックが最強である理由その3、反証が難しい。
仮に、ヴァンパイアは昼も動けるという可能性に誰かが気づいたとする。しかし、それを証明するためには、実際に日光をヴァンパイアに浴びせなければならない。通説が正しければ、ヴァンパイアは死ぬ。そんな危険な実験、世間が認めるわけがない。
ギラムは周りを観察した。仲睦まじく語り合うリーマスとマリア夫人。セネガルは家令を呼びつけ、何かを指示している。そんなのどかな家庭風景を、強面の警察騎士がしみじみと眺めている。老いも若きも、主人も部下も、職業問わずみんな楽しそうだ。
ただ一人、金髪の警察騎士を除いて。
偶然、警察騎士のかたわれと視線がかちあった。あからさまな敵意が、ギラムに向けられている。これは絶対ワインのせいじゃない。ワインが欲しいだけなら、他にもっとやりようがある。
気まずさに耐えきれず、ギラムは目をそむけた。自然な態度を装うために、マリア夫人に話しかける。
「マリアさんは、どういった仕事をしておられるのですか?」
「よくぞ聞いてくださいました!」マリア夫人は嬉しそうに叫んだ。「実は仕事を始めたのは、ごく最近なんですよ。この年になって、新しいことにチャレンジしてみたくなりましてね。その仕事というのが実は……」
「犯人はギラムさんですよ!」
応接間の空気を切り裂くような、鋭い声が響いた。ギラムは弾かれたように、首を動かした。ギラムだけでなく、ポターヌの人々も声の正体に注目した。
「な、なにを言ってるんだ、ニック……」
怖い方の警察騎士が、怖くない方の警察騎士をなだめている。声の主はニックという名前らしい。
「だって、明らかじゃないですか!」
ニックは指をギラムに突き立てると、はっきりと告発の言葉を述べた。
「ソフィアさんを傷つけたのは、ギラムさんです!」
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