続・トリック分析~トリックの短所について~
ギラムは素で驚いてしまった。自分には、昼間動けないという完璧なアリバイがある。しかし、目の前の警察騎士はギラムが犯人だと指摘した。一体何を根拠にそんなことを……。
「その告発は、さすがに無理があるだろ……」
呆れた顔で、強面の警察騎士が言う。しかしニックは上司の静止を振り切って、推理を続けた。
「ギラムさんには血液を手に入れるという立派な動機があります。ナイフの柄に布を巻いたのだって、金属に触れるのを防ぐためと考えれば説明がつきます。ギラムさんはポターヌ家と交流があるんでしょ? それならソフィアさんの行動パターンだって把握していたはずです」
「あのな、ニック。問題はそういうことじゃなくて……」
「しかも、ソフィアさんは北岸の水際で襲われました。北岸は背の低い植物しか生えていないので、見通しがいい。姿を見られたくない犯人が、ここで犯行に及ぶのは不自然です。僕が犯人なら、姿を完全に隠した状態で被害者に接近できる、西岸の花畑を現場に選びます。ギラムさんが花畑に近づかなかった理由は一つ! ヴァンパイアの嗅覚が鋭すぎるからです!」
(ど、どうして、それを知ってるんだ!)
『魔物大全』のヴァンパイアに関する記述。そこには誤った情報が記載されていた。『太陽の光を浴びると、ヴァンパイアの皮膚は炎上する』『太陽光と同じく、金属はヴァンパイアの皮膚を炎上させる』そしてもう一つ。『強烈な匂いに弱い→ヴァンパイアの嗅覚は人間と大差ない』これも実は間違いだ。ヴァンパイアは嗅覚が鋭いため、強烈な匂いが大の苦手だ。
ギラムが北岸の林に隠れていた時でさえ、西岸に生えている花の匂いがギラムの元に届いていた。花畑に身を潜めるなど、自殺行為に等しい。ギラムに選択の余地はなく、南岸でソフィアを襲撃するしかなかった。
「どうですか、ギラムさん。僕の推理は間違ってますか」
ギラムは椅子から崩れ落ち、床に膝をついた。この若い警察騎士の自信に満ちた態度。どうやら何もかもお見通しのようだ。ヴァンパイアが太陽光に弱くないことも、きっと知っているのだろう。
ギラムは床を見つめながら、ニックに言った。
「教えてくれないか。ヴァンパイアは太陽光を浴びると死ぬ――それがエフライム王国の常識だ。君はどうして、それを疑ったのだ?」
ギラムは息を止めて、答えを待った。物音一つ立たない沈黙のあと、言葉が発せられた。
「えっ? ヴァンパイアって、太陽の光を浴びると死ぬんですか?」
…………………………………………………………こいつ今、何て言った?
ギラムが顔を上げると、そこには気まずそうに頭をかくニックの姿が。
「ソフィアさんが襲われたのは、真っ昼間ですもんね。そりゃ犯行不可能だ。すいませーん」
数秒間の思考停止を経て、ギラムは自身の過ちを悟った。こいつは、ヴァンパイアのことを知っていたのではない。全然何も知らなかったのだ。
知識トリックが最弱である理由その1、常識のない人間には通用しない。
へらへらと笑うニックは無視して、ギラムは応接間の様子を伺った。懐疑、懐疑、どこを向いても懐疑の目。これまでとは違い、本物の不信が場を支配している。
(まだだ。まだ挽回できる。今のはほんの冗談で、ヴァンパイアが太陽の光に弱いのは事実だと言い張ればいい)
しかし、ギラムの悪あがきは未遂に終わった。応接間に現れた、新しい来客のせいで。
「あー、ヴァンパイアのギラムさんだー」
この緊張感のない馴れ馴れしい声、よく覚えている。いやまさか、ポターヌ家の別荘に、あいつがいるはずがない。というか、いてもらっては困るのだ。絶対、絶対、困るのだ。
ギラムはおそるおそる扉に目をやった。悪い予感は的中した。先日会った金髪のエルフが入り口に立っていた。
「いぇーい、エルフのロミリアちゃんでーす。ギラムさんに教えてもらった通り、『魔物大全』の内容は修正しときましたよ。ヴァンパイアは光を浴びても大丈夫ってね!」
ギラムはエルフの本名を知り、人々は新たな常識を知った。
知識トリックが最弱である理由その2、知識が広まるのは早い。
応接間がざわつく。「ヴァンパイアって昼でも動けるのね」「ソフィアの傷口、牙の跡に似てないか?」「ギラムさんの今の態度。自白したも同然だよな?」などなど。急な変化に取り残され、困惑しているのはニックぐらいだ。結局何が正しいのか、分からなくなったらしい。
絶望的な成り行きではあったが、ギラムは諦めていなかった。状況証拠はある。心理的な証拠もある。しかし、物証はない。だからまだ何とかなると淡い期待にすがった。
ロミリア(本名)とマリア夫人の会話が耳に入る。
「原稿の進み具合はどうですかー?」
「なかなか書けないものね。執筆業も楽じゃないわ」
(マリア夫人は作家だったのか……)
不運だ、不運中の不運だ。写本師ギルドの連中と貴族のポターヌ家に隠れた結びつきがあるなんて。これ以上の不運が現実に存在するか?
ところが。これ以上の不運が現実に存在したのである。
「失礼いたします」
耳慣れた声がした。この場所で聴くはずのない声だった。扉が開き、忠僕グレゴーリーが応接間に入ってきた。
あまりの事態に、声を失うギラム。グレゴーリーの右手には、ギラムが城に置いてきた革袋が握られていた。中には、犯行に使用したハンカチとガーゼが入っている。
「忘れ物を届けに参りました。ギラム様、不注意はいけませんな。応接間の床にこの袋が落ちていましたよ。中のハンカチは血で汚れていたので、軽く洗っておきました」
(それは忘れ物じゃなああああい! お前、忠僕すぎるんだよおおおおっ!)
叫びたい気持ちを必死で押し殺すギラムを尻目に、強面の警察騎士がグレゴーリーに話しかける。
「ギラムさんは、本日の午後どちらに?」
グレゴーリーはスパっと答えた。
「行き先は存じ上げませんが、外出されていました」
忠僕の言葉が、ギラムにとどめを刺した。
知識トリックが最弱である理由その3、親しい人には何の効果もない。
強面の警察騎士がギラムの元に近づいてくる。
「ソフィア・ポターヌに傷害を負わせた容疑で、お前を逮捕する」
ギラムは悪あがきを止めた。もはや味方は誰もいない。ポターヌ家の人達は当然として、忠僕グレゴーリーですら『法を守るのが貴族の義務です』と耳元で訓戒を垂れる有様。エルフのロミリアは最初から天敵だし、警察騎士が罪人を擁護するわけがない。
「えーと、結局ヴァンパイアは太陽に弱いんですか、強いんですか?」
例のニックとかいう警察騎士が、上司にのほほんと質問している。こいつは敵でも味方でもない。ただの馬鹿だとギラムは断定した。
「『強い』が正解のようだ。それにしてもお手柄だな、ニック。事件が解決できたのは、お前のおかげだ」
「えっ、ほんとですか!」ニックは照れながら言った。「いやー、嬉しいですねえ。ゲイルさんに褒められることなんて、めったにありませんから」
「ゲ、ゲイル?」ギラムは強面の警察騎士に視線を合わせた。「ゲイルって、あの有名な!?」
新しい衝撃に身を打たれたギラムに対し、ニックが横から言った。
「もしかして知らなかったんですか!? ギラムさん、世間知らずだなあ」
ギラムの脳内から、「お前が言うな」以外の全ての言葉が消えた。
ゲイルとニックの手でギラムは逮捕され、裁判所に併設された地下牢へと連行された。
ギラムは憂鬱だった。汚らしい牢屋の中で一昼夜を過ごすなど、考えただけで吐き気がする。意識を取り戻したソフィア・ポターヌが「ヴァンパイアに噛んでもらったー! 幸せー!」と母親譲りの絶叫をしたおかげで罪は軽くなりそうだが、少なくとも一ヶ月は牢獄で暮らさなければならない。暗澹とした気分で、ギラムは牢屋に足を踏み入れた。
ところが。薄暗く、日の光が届かない牢屋の中を眺め回し、ギラムは自身の考えを百八十度変えることになった。
「牢屋も悪くないな」
ヴァンパイアは暗い所が好き。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。