飲む
夜の酒場は騒がしかった。客たちは大声で喚きながら、グラスに注がれたビールをチビチビと飲んでいる。中にはすでに酔いつぶれて、円形のテーブルに突っ伏している者もいた。いつもと変わらない、酒場の光景だ。
「仕事には慣れたか?」
一気にビールを飲み干してから、ゲイルは言った。仕事終わりの一杯は格別な味がする。
「業務の内容はばっちり覚えましたよ」ニックが答えた。「ゲイルさんみたいに、事件の真相を見抜くことはできませんけどね」
「いつかできるようになるさ。焦る必要はない」
ゲイルはカウンターに声をかけ、二杯目のビールを注文した。ほどなくして、新しいグラスが二人掛けのテーブルに運ばれてきた。
ゲイルは店員に礼を言うと、ニックに向き直り、
「それにな。推理で真相にたどり着けるケースは、ごくわずかだ。地道な調査が実を結んで、犯人を特定できることの方がはるかに多い。何事も『基本が重要』ということだ」
「でも、やっぱり。一度ぐらい犯人を当ててみたいじゃないですか~」
ニックは芝居がかった仕草をした。グラスをかかげ、腹から大きな声を出す。
「与えられた手がかりを元に、論理の力で真相を突きとめる! 他の人達も同じ情報を持っているはずなのに、真実を知っているのは自分ただ一人!」
ニックはテーブルに身を乗り出した。「……みたいな感じですよ! 男なら誰でも憧れますって!」
体を戻し、酒場の天井を眺める。彼の両目は無邪気に輝いていた。
「あー、僕も一度ぐらいやってみたいなー。みんなをアッと言わせるような、すごい推理」
「だったら、ちょうどいい事件があるぜ」
返事をしたのは、ゲイルではなかった。いつの間にか、テーブルの傍らにリザードマンが立っていて、二人の会話に割りこんできたのだ。
「ここに座ってもいいかい?」
「ご自由に」とゲイルが答えると、リザードマンは近くのテーブルから椅子を一つ取り寄せて、座った。手には、赤ワイン入りのタンブラーグラスを持っている。
「俺の名前はファズ。職業は公証人だ」
ファズは赤い舌で、赤色の液体を一舐めした。
「突然悪いね。興味深い話が聞こえたから、混ぜてもらおうと思ってさ。一晩だけの短い付き合いだが、よろしくな」
「よろしく。僕はニックだよ。一応、警察騎士の仕事をしている」
「ほお、そいつは素晴らしい。アンタ達のおかげで、この国の治安が保たれてるわけだ。国民を代表して、礼を言わせてもらうよ」
続いてゲイルが名乗ろうとしたが、訳知り顔のファズに止められた。
「アンタの名前は知ってるよ。英雄ゲイルだろ?」
「ただのゲイルだ」さらに一言。「それ以上でもそれ以下でもない」
「これは失礼。アンタが称号嫌いだとは知らなかったんだ。どうか許してくれ」
「別に気にしていない」
「そりゃあ良かった。しかし、アンタは変わり者だな。武勇伝を披露したいとか思わないのか? ほら、人間って自慢話が好きだろ?」
「全く思わないし、自慢できることでもない。俺はただ、大勢の魔物を殺しただけだ」
「謙虚だねえ。さっきのジジイに聞かせてやりてえよ。あそこに一人で飲んでる男がいるだろ?」
ファズは店の反対側を指差した。指先がフラフラと揺れていたので、どの男を示しているのか、ゲイルにはわからなかった。どうやら、ファズは相当酔っているらしい。
「俺のテーブルに、アイツがいきなりやってきてさ。訊いてもいないのに、過去の栄光をたっぷり語ってくれたわけよ。本当かどうかもわからない、眉唾ものの話が多かったけどな。そこまでして、褒められたいのかねえ」ファズは皮肉っぽく、言葉を切った。
「いるよね、そういう人」ニックはうんうんと頷いた。「自慢を生きがいにしてる人」
「まったくだ。ああいう連中は、嘘でも満足感を得られりゃ、それでいいんだろうよ」
「ところで君、さっき言ってたよね? 『ちょうどいい事件がある』って」
「しまった、また無駄口叩いちまった」
ファズは失敗を悔いるように、左手で顔をおさえた。
「俺の悪い癖なんだよ。喋るのに熱中して、本題を忘れちまうんだ。すまねえ、すまねえ。話を元に戻そう」
ワインで舌を濡らしてから、ファズは話し始めた。
「『リオン=エフライム暗殺事件』って、覚えてるか?」
「当然だ」ゲイルが先に答えた。「四年前、前国王の息子が何者かの手によって刺殺された事件だ。忘れるわけがない」
「へー、そんな事件があったんだ。知らなかったなあ」
酒の場にはふさわしくない困惑混じりの真顔で、ゲイルはニックを見た。リザードマンのファズも、同様の反応を示す。
「おい、こいつ酔っ払ってんのか?」と、ファズ。
「あいにく、まだ一杯目だ」と、ゲイル。ニックのグラスは、まだ半分も減っていない。
「エフライム国民の常識だと思うけどなあ……」と、国民歴わずか二年のファズに呆れ顔で言われ、
「四年前の事件でしょ? 僕はその時、騎士学校の学生だったからね」ニックは笑ってごまかそうとしたが、
「言い訳になっていない。あの事件のことなら、子供でも知っている」ゲイルに論破された。まさに瞬殺である。
それでもニックは悪びれる様子もなく、
「一体どんな事件だったんですか?」
と、上司に説明を求めた。困った奴だと思いつつも、ゲイルは口を開いた。
「前国王が存命だった頃、当時の第一王子リオン=エフライムが何者かの手によって暗殺された。それも、極めて特殊な状況下で」
「特殊な状況?」
「リオン王子は、ドラゴンの口の中で殺されたんだ」
「すいません。今、何て言いました?」
「ドラゴンの口の中だ」
ゲイルは記憶をたどりながら、言葉を継いだ。
「正直、俺も詳しいことは知らない。人づてに聞いた話だが、事件が起きた日、リオン王子は国境近くにあるマトスという村にいたらしい。そのマトス村がドラゴンの襲撃にあったんだ。空から現れたドラゴンは地上に降り立つと、巨大な腕をふるって一人の人間を捕まえた――リオン王子だ」
ゲイルはビールで喉を潤した。そして続けた。
「ドラゴンは口の中に、リオン王子を放りこんだ。万事休すと思われたその時、王子の護衛を務めていた近衛隊長のヨナ・ヘイゼンが、ドラゴンの胴体に【爆発】スキルをくらわせた。流石のドラゴンも驚いたのだろう。全身を大きく振り動かし、その勢いでリオン様を口から吐き出したそうだ。
王子の体は落下を始め、やがて地面に衝突した。村人たちはその一部始終を見ていたという。彼らは驚愕した。ドラゴンの口から飛び出した王子の体に、短剣が刺さっていたからだ」
「ちょ、ちょっと待ってください、理解が追いつきませんよ!」ニックは完全に混乱していた。「ドラゴンに食べられた王子様が、吐き出されたら刺殺されてた? 流石にありえませんって!」
「それがありえるんだよなあ」うす笑いを浮かべて、ファズは言った。「実際、その通りのことが起きたんだから」
ゲイルは違和感を覚えた。ファズの声色には、奇妙な自信のようなものが感じられる。挑発的な笑い方も、この場にはそぐわない。
「何か知ってるような口ぶりだな。事件の関係者か?」
「ああ実はな。リオン=エフライムを殺したのは俺なんだよ」
ファズはあっさりと言ってのけた。あまりに自然体だったので、しばらくの間、二人は反応を返すことができなかった。
沈黙を破ったのは、ニックだった。
「ええええっ! 重罪人じゃないか!」
ニックは大きく目を見開き、ただひらすら慌てた。
「何してるんですか、ゲイルさん! 早く捕まえないと!」
「落ち着け。このリザードマンが暗殺者だとしても、逮捕することはできない」
「ど、どうしてですか!?」
「新エフライム法第七条『終戦条約締結前に行われた異種族間の殺害行為は、罪に問わないものとする』を忘れたのか? 暗殺事件は四年前に起きている。罰則の対象外だ」
「そういうこと。俺は殺人者だが、法律上は無罪なんだよ」
ファズはグラスを口に持っていき、グイっとワインをあおった。緑色の頬が朱に染まっている。
「まっ、法の話題なんて退屈なだけだ。それよりもっと面白い話をしようぜ。アンタ、推理がしてみたいんだろ?」
ファズは舌を出して、ニックに笑いかけた。
「俺からとっておきの問題をプレゼントしてやるよ。名づけて『ドラゴンの密室』、リザードマンの俺はいかにして、リオン王子を殺害したのか? 今から事件の詳細を説明してやるから、知恵を絞って解いてみな。ヒントはいたるところに散りばめてある。細かいところまで聞き逃すなよ」
「よーし、がんばるぞー!」
ニックは拳を握りしめ、やる気に満ちた表情を浮かべた。向かいのゲイルはいつも通りである。
「それじゃあ始めるぜ。もう四年前になるのか、懐かしいねえ。どんなに悲惨な事件でも、時間が経てば酒のつまみだ。魔物と人間はいがみ合っていた? そんなの知ったこっちゃねえ。過去の遺恨なんか忘れて、推理ゲームを楽しもうぜ。ああ、これも余計なお喋りだったな。すまねえ、すまねえ」
ファズはグラスを傾けた。中身は空っぽだった。彼は先程と同じ赤ワインを注文し、届いたタンブラーグラスをテーブルの上に置いた。
準備完了。ファズは茶目っ気たっぷりに、ゲームの開始を宣言した。
「それでは、昔話のはじまりはじまり~」
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