足跡のある殺人
「不可解だな」
一通り現場を見終えた、ゲイルの感想である。
「何ていうか、『ちぐはぐ』な事件ですよね」
ニックも同調する。もっとも、現場の奇妙さに反して、捜査自体は順調に進んでいた。
通報があったのは約一時間前。死体を発見したのは、ディック家の庭師だった。警察騎士が到着すると、彼は真っ先に証言した。
「書斎と最寄りの石畳の間に、一往復分の足跡がついていました。明らかに人間のものではなかったので不審に思い、書斎に入ったんです」
庭師の証言通り、独特な形状の足跡が地面に残されていた。この痕跡のおかげで、犯人は「鉤爪を持った魔物」に絞りこめた。
次に、書斎を調べてみると、犯人を突き止める手がかりが次から次へと見つかった。
死体の胸に刻まれた特徴的な傷口――この証拠が、犯人が鉤爪の持ち主であることを裏付けた。
ベッドの上に落ちていた一枚の羽――犯人の体には翼があるのだろう。
床に血で書かれた文字――うつ伏せに倒れた死体の側に「フィオナ」と書いてあった。右手の人差し指に血がついていることから、被害者が残したダイイングメッセージだと思われる。
これらの証拠を合わせれば、次のような推理が生まれる。
――犯人は翼と鉤爪を持つ魔物で、名前は「フィオナ」である。
この推理を補強したのが、被害者の父親ジョナサン・ディックの証言である。
「息子は今日の午後、ハーピーといちゃつく予定でした」
「ご子息の個人的な事情を、どうしてあなたが知ってるんですか?」
「息子が昼食の席で吹聴してましたからね。午後はハーピーと会って、あんなことやこんなことをするんだと、気持ち悪いぐらい具体的に語ってくれましたよ。おかげで食欲が失せました」
犯人はフィオナという名前のハーピーである――すでに結論は出たようなものだ。
しかし、違和感は残る。
「ハーピーの足跡、か」ゲイルは無骨な掌で首をなでた。「空を飛べる魔物が、現場に足跡を残すとはな」
「不思議ですよね。何か理由があったのかなあ」
ニックは本棚を調べていた。上から二段目の棚に、不自然な空白があったからだ。明らかに、本が一冊抜き取られている。
「うわっ、『性交標本』って何だよ。悪趣味だなあ」
本棚の二段目には、様々な種類の『性交標本』が並んでいた。人間版、エルフ版、ゴブリン版、ケンタウルス版…………何となく意味を察して、ニックは吐きそうになった。
部屋の反対側から、ゲイルが声をかける。
「その『性交標本』とかいう気色悪いコレクションの中に、ハーピーのものはあるか?」
「いや、なさそうですけど」
「なるほど、そういうことか……」
ゲイルは納得した様子で、床に書かれた血文字を見た。
「なるほどって……何か分かったんですか?」
「ああ。この事件には不可解な点なんて一つもない、ってことがな」
「足跡の謎が解けたんですか! は、早く教えてください!」
「人に頼ってばかりではダメだ。自分で推理してみろ」
「えっ、僕がですか」
「他に誰がいる」
「わ、わかりましたよ。えーと」
ニックは思いつきを口にした。
「こんなのはどうでしょう。足跡は、犯人をハーピーだと思わせるための偽装工作だったんです。真犯人は鉤爪そっくりなものを用意して地面に足跡を残し、同じ道具を使って、被害者を殺しました。しかし、これだけでは犯人をハーピーだと誤認させることはできません。鉤爪を持つ魔物はいくらでもいますからね。そこで犯人は、前もって調達しておいたハーピーの羽を、ベッドの上に残したんです」
「真犯人の足跡はどこに消えたんだ?」
「真犯人は空を飛べる魔物だったんですよ!」
「その線で行くと、鉤爪を持っているハーピー以外の魔物が犯人だとも考えられるな。犯人は堂々と足跡をつけて、書斎に侵入した。そして、ベッドに羽を残すことで、ハーピーの仕業に見せかけた」
「そういう考え方もできますね」
「だが、この推理は間違いだ」
「どうしてですか?」
「ハーピーを偽の犯人に仕立てあげたいなら、足跡を残すのは逆効果だからだ。どこの世界に、殺人現場に足跡を残すハーピーがいるんだ?」
「この事件の犯人とか……」
「今回は特例だ」ゲイルは一蹴した。
「真犯人が空を飛べるとしよう。ハーピーが犯人だと思わせたいのなら、ベッドの上にハーピーの羽を残すだけでいい。足跡を残すはずがないんだ。一方、空を飛べない鉤爪を持った魔物が真犯人だとしても、足跡がついてしまう以上、ハーピーの犯行に見せかけようとは考えないだろう」
「犯人はハーピーで確定なんですね」
ニックは自説を捨て、次の考えに移った。
「じゃあ、ハーピーは翼に怪我をしてたんですよ。飛ぼうと思っても飛べなかったんです」
「自分が弱っている時に、人を殺しに行くか? 普通は、怪我が治るのを待つと思うが」
「あっ! これは良い推理ですよ、ゲイルさん。ハーピーは手に何かを持っていたんです。ハーピーって、腕の代わりに翼が生えてますよね? つまり、手が塞がれば飛べなくなる」
「何を持っていたというんだ」
「本ですよ、本棚から抜きとられた標本! ハーピーは被害者を殺害後、そいつを持ち去ったんです。だから足跡が残ってしまった」
「帰りはいいが、行きはどうなる?」
「…………凶器でも持ってたんじゃないですか」
「凶器は鉤爪だ。それにな。鉤爪で掴めば、標本ぐらい持ち運べるだろ」
「あー! わからないー! ふぁー!」
頭を抱えて奇声を発したニックを見かねて、ゲイルは自分の推理を話すことにした。
「事件を解く鍵は五つだ。一つ、書斎の前に残された足跡。二つ、凶器に鉤爪を使ったこと。三つ、ベッドの上に落ちていたハーピーの羽。四つ、本棚から消えた標本。五つ、血で書かれた『フィオナ』の文字」
「だから、犯人はハーピーのフィオナさんなんでしょ? それぐらい僕にも分かりますけど、問題は足跡……」
ニックの言葉を遮るように、どこかから羽音が聞こえてきた。その音は徐々に大きくなり、やがて書斎の外で止まった。
「もしかして、犯人が現場に戻ってきたんじゃ……」
ニックが身構える。犯人を迎え撃てるように、腰に携えた剣を引き抜こうとする。
ゲイルがそれを止めた。
「おいおい、決闘でも始める気か? 落ち着くんだ」
「でも。もし外にいるのが犯人だったら……」
「犯人なら余計に、だ」
扉が開いた。二人が予想したように、外に立っていたのは、ウィリアムを殺したハーピーだった。
「私を逮捕してくれ」ハーピーは静かに言った。「ウィリアム・ディックを殺したのは私だ」
その言葉が全てを物語っていた。彼女は最初から自首するつもりだったのだ。犯行の痕跡を隠すという発想がなかったので、平然と足跡を残した。後のことを心配する必要がないからこそ、自分の体を凶器として用いた。
本当は、復讐を遂げたその足で、警察騎士の本部に向かうつもりだったのだ。しかし、彼女はウィリアムの書斎で、とんでもないものを発見する。『性交標本(ハーピー版)』である。仲間の名誉のため、これを放っておくわけにはいかない。標本に保存された羽をそれぞれの持ち主に返すため、彼女は現場を一時離れる必要に迫られた。
だから彼女は、自分が犯人であることを示すため、羽をベッドの上にわざと落とした。行きと同様に、帰りの足跡もしっかりと残した。
そしてもう一つ、彼女が残したものがある。
「あなたの名前は?」ゲイルが訊いた。返事を待つまでもなく、答えは明らかだった。
「フィオナだ。ハーピーのフィオナ」
書斎の床に伏しているウィリアムの死体。その右手の先に、赤い血で記された「フィオナ」の文字があった。他のハーピーに嫌疑がかからないよう、犯人が残した『署名』が。
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