4年後…

第8話 彼女の日常 1


冬の朝。それも鬱蒼と茂る森林の中に訪れる朝というのは、他のどこよりも緩やかに訪れるものだ。


最初真横から差して来る日の光は木々にほとんど吸われ、暖かな気配さえも生き物たちの目覚めを促す前に夜の空気に霧散してしまう。しかしその残滓を取り込んだキンキンに冷えた空気はゆっくりと木々の間をかけていき、やがて昇っていく日のやさしいぬくもりを取り込んで少しずつそこにいるものたちの意識を現実へと導いていくのである。


如月弥行、いやこの世界ではミユキ・キサラギとして生きる彼女(神の家では肉体年齢が変わらないため現在21歳)は屋根から降り積もった雪が鈍い音を立てて落ちる音で目が覚めた。






ミユキはベッドを出てすぐに着替えを済ませ、スリッパの中の素足にまで忍び寄ってくる冷気を感じながらパタパタと一階に下りる。



『あ、みゆきだ!おっはよ――。今日はいつもより早いね』


『ほんとね。まだあんまり日も昇ってないわよ?」


『おはようございます。そうなのですけど、雪が屋根から落ちる音ですっかり目が覚めてしまいまして』


『あ、さっきの音ね。それね、フィグルが早く朝の空気を家の中に入れたいからってドアや窓を開けたり閉めたりしてたからだと思うの』


『あ、そっか……ごめんねみゆき。僕、みゆきが朝からちょっとでもいい気持ちで過ごせるように、換気しておこうかなって思っただけだったんだけど』



フィグルは落ち込んだ表情で申し訳なさそうに謝る。彼は性格的に真面目で細かいところによく気が付く分、時々空回りしがちなところがある。



『構いませんよ。確かに今日の空気はいつもより埃っぽくなくて気持ちがいいですから、むしろ早起きして正解だったかもしれません。私のためにありがとうございます』


『ほんと?なら良かった!』



一方ティアムは一見しっかり者のお姉さんのようだが結構甘えん坊なところがあり、ミユキの肩にもたれかかるように座る。



『もう、みゆきってばフィグルに甘すぎだわ。ちゃんと叱るところは叱らないと』



『ですが当の私が不快に感じていないのですから、もうこの話はいいでしょう。それより、今はこっちです』



ミユキは二人の精霊を連れて家の真ん中に位置する鍵のかかった部屋まで移動する。その部屋の鍵は一見古びて役に立たなそうだが、ミユキがわざわざ作った特注品である。


鍵を開けるとそこには小さなものから比較的大きめのものまで様々な大きさの鉢植えが並べられており、天窓からは柔らかな日の光が直接当たらないように差し込み、他にも床や壁に気温や湿度を調節できる魔道具が設備されている。

正にそこは、ひとつひとつ生育には厳しい条件が課されるそれらの楽園となれるよう、最大限に配慮された場所なのであった。



『それではよろしくお願いしますね』


『オッケー了解!…ええと、この子は最近肌寒いからもう少し暖かい場所に行きたいって言ってるよ』


『みゆき、こっちの彼女は昨日から根っこの調子が良くないそうよ。私が魔法をかけてあげてもいいかしら?』


『把握しました。フィグルはそのまま彼らの要望を教えてください。ティアムも魔法をお願いします』


『もちろんよ!その代り、後でアップルパイを焼いてくれる?みゆきのあれ好きなの』


『いいですよ。では、今日の朝ご飯はアップルパイですね』


『ティアム。そういうのだめだって言っただろう?ったく、君の方こそみゆきに甘えすぎだよ』


『だって――、今日はそういう気分なんだもの。フィグルもあんまり固いこと言わないで、みゆきに何かおねだりすればいいのに』


『あのねえ…』


『…ほら二人とも。早くしないといつまでも終わりませんから、その辺りで切り上げて手伝ってください』


『『は―――い』』






ようやく全部終わった頃にはすでに日は高く昇っていた。ミユキは軽く身を整えた後、急いでリクエスト通りアップルパイを焼いて(生地は既に用意してあった)3人で朝食をとる。



『ん―――――!!やっぱり、みゆきの料理って最高だわ!特にこれ凄くおいしいっ』


『そんなに気に入ってもらえると料理人冥利に尽きますね。今日は出かけないといけないので、二人の昼食用にレモンパイも焼いてあるのですが、それでよろしいでしょうか?』


『ええ、もちろんよ。そちらはそちらでさっぱりしてて、食べたら爽やかな気持ちになるのよね~』


『僕もいいけど、何か用事があるの?昨日は何も言ってなかったじゃない?』


『伝書鳥で領主様から呼び出しです。どうも魔道具協会関係のようですね』



ミユキは数年前から魔道具協会に所属する魔道具技師として働いている。魔道具協会はこの世界ではかなり歴史のある団体で、魔道具技師の地位向上と権利を守る目的で設立されており、その影響力は一国どころか国際社会ですら無視できないものとして位置づけられる。


ミユキに対する協会からの連絡等はこの地域に協会の支部がないこともあり領主のところに届くことになっているため、その領主から呼び出しがあったというわけだ。



『そういうことか。だったら留守番は任せてよ!みんなの世話もちゃんとやるし、もし泥棒が入って来ても僕たちがやっつけちゃうからさ』


『そうよね。もしそんな奴が来たら魔法で具合悪くさせて動けなくさせちゃうわ』


『いい考えだね。じゃあ僕はトゲトゲの茨の檻に閉じ込めちゃおうかな』


『とても素敵ね。それから…』



二人はミユキの周りを飛びながら、至って真面目に物騒な話し合いを始めた。ミユキは背を伝う冷や汗に気付かない振りしながら、聞いていて精神衛生上宜しくない談議に口を挿む。



『二人とも。気持ちは嬉しいですがここのような山奥では早々そのようなことにはなりませんし、万が一なったとしても皆の安全が第一ですからくれぐれも無茶はしないでください』


『はーい』


『うん、わかった。みゆきも気を付けてね』


『はい。わかっています』




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