連続首狩り殺人事件
こんにちはKです。
今回は昭和六十年三月に起きた、猟奇殺人をご紹介します。
その事件は、北海道白老郡白老町で起きました。
かつて鉄鋼の町として栄えた室蘭市や、観光名所として名高い登別市。そして、勇払原野の開拓による大規模工業開発計画と大手メーカーの誘致等で、産業の発展が著しかった苫小牧市。
白老町は、日本全国に名高い都市の間に挟まれた、小さな町です。
この小さな町で、一週間の間に五名の被害者が犠牲になりました。
被害者は、M信用金庫の支店長B氏、A損害保険の営業部長F氏、Oが務めていたC工業の取締役S氏、Oの妻N氏、交番勤務に当たっていた警察官Y氏です。
五名の被害者は、殺害された後に首と胴を切り離されました。そして首は被害者と関係の深い場所に晒され、胴は遺棄されました。
生首が発見されたのは、どれも早朝です。鋭利な刃物で切られた後には、赤黒い血の塊がこびり付き、顔は青白く染まり、恐怖を湛えた目は大きく開いたままでした。
発見者の多くは、その生々しい場景に嘔吐し、倒れた方も少なくないと聞いております。
この事件は、昭和史に残る大事件として、多くの人々にトラウマを植え付けたとしても、決しておかしくありません。しかし、多くの方が『地方で起きた猟奇殺人』としてしか記憶していないのは、事件の残酷さ、そして影響力の大きさを鑑みて、報道規制を行ったからでしょう。
TVでの報道は自粛、新聞についても大きく扱われる事は有りませんでした。
地元住民への警察からの警告に始まり、地元の新聞局が容疑者逮捕、裁判の判決等の事件の概要を報じるのみに留まりました。
また、三十年以上も前の事件で有り、死刑判決を受けた犯人の男Oは、刑の執行で既に死亡しています。
当時の被告人の弁護を行った弁護士は高齢の為、数年前に亡くなりました。裁判の要請で出頭した証人の多くも、居場所が判然としません。
しかも、地元の新聞が報じただけに留まった事から、残された資料は少なく、閲覧可能な公的資料も裁判記録と概要だけです。
実のところ、この事件はOの取り巻く事情が判然としません。一見する限り、Oと直接の関係が有るのは二名だけだと思われます。
それが何故、信金の支店長や損保営業会社の社員、果てや派出所の警察官にまで、被害が及んだのでしょう。
謎の残るこの事件を、私は調べました。伝手を辺り古い資料を収集しました。結果的に数は少ないですが、当時C工業に勤めていた男性や、当時の裁判を傍聴していた弁護士等から、当時を知る人から話しを聞く事が出来ました。
特に、この連続事件を調査していた記者との出会いで、私は事件の真相を知る事が出来ました。
羅列した被害者を見て、勘の良い方はお気づきになったかもしれません。
そう、この事件の背後には、保険金殺人計画が動いていた可能性が有るのです。私が聞いた限り、保険金殺人計画が実際に存在したと思われる根拠は、幾つも存在します。
先ず事件当時、Oの務めていたC工業は、金策に苦労していたと噂が有りました。実際、赤字経営が続いた上に、現場機械の経年劣化により、設備投資をせざるを得ない状況でした。
運転資金や設備投資資金と、度重なる融資を受けて、与信限度額がいっぱいの状態だったのでしょう。各銀行からの融資を渋られる状況にあったようです。
Oには、妻以外の家族はいません。子供がいないのは、Oの先天的な肉体的なハンデによるものです。しかし、妻N氏がこれに相当の不満を持っていた可能性は大いに有ります。
事件当時、C工業の部長職を務めていたOは、四十三歳の働き盛りです。子供のが居ない事も大きいのでしょう、経済的にはかなり余裕があったと思われます。
生命保険の掛け金を多めに支払っても、問題なかったのでしょう。
そして妻N氏と、C工業の取締役S氏は、事件以前から不倫状態に有りました。この二名が発端となり、保険金殺人計画が持ち上がった可能性が高いでしょう。
ただし、計画を実行に移すには、協力者の存在が欠かせません。協力者として白羽の矢が立ったのは、C工業に出入りしていたA損害保険の営業部長F氏なのでしょう。
恐らく筋書きは、Oを何らかの方法で殺害した後、妻N氏が保険金を受け取る。この際に、水増しした保険金を関係者で按分する。
更に妻N氏がS氏と再婚し、妻N氏の受け取った保険金を、C工業の事業資金へと回す。こんな所ではないでしょうか?
では、残った二人の被害者とOは、どんな関係だったのでしょう。
直接的な関係は有りません。ただしM信用金庫は、C工業のメインバンクであり、支店長B氏と面識が有った可能性は充分に考えられます。
警察官Y氏とOは、関連性が浮かんできませんでした。しかし調べる内に、警察官Y氏とC工業の取締役Sは、同じ高校の同級生であった事が判明しました。
卒業後Y氏は警察官へ、S氏は大学へと進路を勧めましたが、仲の良い友人であった可能性は大いに有るでしょう。
Y氏の場合、直接関わったというより、実行犯を斡旋した可能性の方が高いかもしれません。
では、M信用金庫の支店長B氏は、どの様に関わっていたのでしょう。もし保険金殺人計画自体が、B氏の構想によるものだとすれば、辻褄が合うと思いませんか?
因みにC工業にA損害保険を紹介したのは、B氏だそうです。
捜査資料の閲覧が出来れば、もう少し詳しい状況を知り、確信を得る事が出来たでしょう。しかし、これまで私が述べたのは、当時の記者が足を棒にして調べ上げた事実や、裁判を傍聴した弁護士から聞いた話から、推測したものです。概ね間違いでしょう。
Oがこの計画を知った経緯は、知る由も有りません。妻N氏から漏れたと考えるのが、妥当ではないでしょうか。
さて、計画を知った時、Oはどんな気持ちだったのでしょう。
学歴の無いOは、二十年以上も真面目に勤務し、部長職にまで登り詰めた。Oの昇進は、単なる年功序列ではありません。会社の為に、身を粉にして働いた証明でしょう。
また子供のいない分だけ、妻には不自由のない暮らしをさせました。また記念日には、決まって贈り物をしていたそうです。
会社の為、家族の為に人生を費やしたOが殺されるなんて、O自身が信じられなかったに違いありません。
調べる内に感じてきます。Oは愚直と言えるほど、真っすぐな性格です。それ故に彼らの裏切りを許せなかったのでしょう。
直向きに注いできた情熱が、怒りに変わるのは仕方ないと言えるでしょう。
そして、Oの残虐な反撃が始まります。
事件前の二月にOは、反撃の準備を整えていました。
室蘭市にある病院へ週に一度のペースで通い、睡眠薬の処方を受けます。また、当時は流通していなかった盗聴器も、手に入れてました。入手するだけでも、相当の苦労が有った事でしょう。
それと同時に白老川の河川敷近くに有る、老朽化した倉庫を借ります。この倉庫が殺人現場で有る事は、傍聴した弁護士が語ってくれました。
もうこの時点で、関係者を地獄に送る事は、Oの中で概ね決定していたのかもしれません。
最初に発見された被害者は、M信用金庫の支店長B氏です。
三月九日土曜日の早朝に、M信用金庫の白老支店入り口前で、B氏の首が発見されました。
発見したのは通りすがりの六十歳の男性です。発見した男性は直ぐに声を上げられず、しばらく震えていたそうです。無理もない事でしょう。
B氏の殺害から遺体の遺棄までの経緯は、次の通りで間違いないと思われます。
三月八日金曜日、駅近くの居酒屋で、B氏が見かけられています。その際B氏は、酩酊していた様です。そして、B氏と向かい合うのはOです。
恐らくOは、接待目的でB氏を誘ったのでしょう。そして、飲料物に睡眠薬を混入させ、酩酊状態を作り上げた。
その後、自宅へ送る振りをして倉庫に向かい、B氏を殺害したのでしょう。
バラバラにした体の残りは、倉庫内で焼却したと、裁判で供述したそうです。また、移動にはレンタカーを使用した事も、供述しています。犯行の都度、使用するレンタカー会社を変えていたそうです。
次に発見された被害者は、A損害保険の営業部長F氏です。
三月十二日火曜日の早朝に、テナントビルの入り口でF氏の首が発見されました。
第一発見者は、テナントビルを管理していた会社に勤める女性です。まだ朝日が登り切る前、いつもの様に掃除をしようと玄関前に行った所で発見した様です。
犯行手口はB氏と同様です。接待目的でF氏呼び出し、酩酊させ倉庫へ連れて行く。
ただのこの時、F氏の接待には取締役S氏も参加していました。Oは、二人を同じ手口で殺害したのでしょう。
そして、遺体をバラバラにした後、F氏の首をテナントビルの入り口へ置いたのです。
ただし、同日に殺されたとS氏の首が、発見されたのは翌日の水曜日です。
これは、『二名を同時に殺害した為、遺体をバラバラにするのに、時間がかかったせいだ』とOは裁判で供述しています。
つまり、先にF氏の首を晒し、翌日にS氏の首をC工業の事務所入り口に晒したのです。
四番目に発見された被害者は、交番勤務に当たっていた警察官Y氏です。ただし、ここからは先の三名とは、状況が異なってきます。
Oが務めていたC工業に、警察の捜査が入ります。Oもこの際、任意の取り調べを受けています。任意の取り調べでは、確たる証拠を得られなかったのでしょう。この時点で、Oは拘留をされていません。
既に時間が無いと悟ったOは、次の犯行を行います。元々はO自身が被害者になる筈だったんです。当然ながら、殺人の実行役も存在するでしょう。そしてO自身も、実行役の目星がついていたのでしょう。
実行役に選ばれたのは、地元暴走族に所属していた複数名の少年です。彼らは何度となく逮捕されています。その時にY氏と知り合ったのでしょう。Y氏は『使いやすい駒として利用しよう』と、彼らに接触していてもおかしくありません。
またY氏は、警察官として有るまじき事に、某暴力団を脅し金銭の授与を受けていたそうです。暴力団側からしても、目の上のたんこぶだったのでしょう。暴力団は金銭の提供で、Oへの協力を約します。
先ずOは暴力団を使い、暴走族に圧力をかけさせて、自身に降りかかろうとする障害を阻止します。そして暴力団にY氏を拉致させます。その後に殺害し、またも遺体をバラバラにします。そして遺体をこれまでと同様に焼却し、白老川の河川敷にY氏の首を放置しました。
五番目に発見された被害者は、妻N氏です。
自宅の玄関に置かれていた妻N氏の首は、他の被害者とは異なり、死後一週間以上は経過していたようです。
恐らく一番最初に殺されて、その首はドライアイスの様なもので、腐乱しない様に保管されていたのでしょう。
Oは、裁判でこう供述しています。
「当初、妻を殺す気は有りませんでした。素直に罪を認めれば、一連の計画を警察に届ける事は無かったんです」
この時Oは、電話機に付けた盗聴器で、録音した音声データを、妻N氏に付きけています。そこには、具体的なOの殺人計画が録音されていました。
しかし、妻N氏との交渉は失敗した。それがOに残された、最後の良心を切り裂いた。そして、妻N氏の殺害、また連続殺人へ踏み切る事に至ったのでしょう。
恐らく妻N氏は、この音声データが世に出る事を恐れたのでしょう。そうなれば、関係者は殺人予備罪に問われる事は間違いありません。懲役となれば、妻Nの人生はどうなるか、子供でも分かる事です。
不倫相手のS氏が取締役を務めるC工業は、大きな打撃を受けるでしょう。マスコミがC工業を揶揄すれば、影響を鑑みて取引先の多くが手を引く可能性が高いです。そうなれば、C工業は倒産に追い込まれるでしょう。
無論『バレる前に妻N氏がS氏を切り捨てれば良い』等と、簡単な問題ではありません。両者の関係は、音声データとして録音されているのですから。
当然、Oと離婚しS氏と再婚しても、幸せな未来は待っていないでしょう。
いずれにしても、Oの目的は達成されました。そして、妻N氏の首を玄関先に置いた後、自らの足で警察に自首しました。
それからOは、弁護士を雇い事実を一から話したそうです。しかし、減刑等は望まなかったそうです。そして裁判が始まり、死刑判決が下されます。
その裁判を傍聴した弁護士は、Oの最終陳述を今でも忘れられないと語りました。
「私は、複数の人を殺害しました。そして、地域の方々を恐怖に陥れました。社会的な影響を鑑みても、その罪は許されざる事だと理解しております。確かに私は、ある意味では被害者なのかもしれません。ですが、余り有る報復を行った事は事実です。私は罪を償います。然るべき刑をお与え下さる事を、裁判長閣下に望みます」
狂気の沙汰とも言える連続殺人を行ったOは、怒りに身を任せ行動しただけなのでしょうか? 私はこの言葉を聞いて、そうは思えなくなりました。
欲に塗れて、一人の男性を地獄に叩き落そうとした者達は、既にこの世を去っています。そして、地域住民を恐怖に陥れた殺人鬼は、死刑判決を受けてこの世を去りました。
今更、その善悪を語るのは、詮無き事でしょう。
これまでの人生が、どれだけ真面目で評価されるものだとしても、過ちを犯せば全てが無かった事になります。
どれだけ高潔な精神を持っていたとしても、法に準じなければ唯の悪漢でしょう。
皆さんはこの事件、どうお考えになるでしょうか?
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