猫の手も借りたい

和泉ロク

猫の手も借りたい

 この道はいったいどこに続くのだろうと、友人である高坂に問うてみた。高坂というこの男はいつも弁舌の立つ男であり、私の無二の親友でもある。

「そりゃあ、キミ、どこかへと続くのだろう」

おおよそ、答えになっていないその言葉の裏には、すべてを知っている顔が見え隠れする。私はどうにも、この高坂という男を好きになれない。勿体付けた言い回し、すべてを見透かしたような顔。それでいて、随分と胡散臭い匂いを醸し、何故か女に言い寄られることの多いこの男は、顔だけは随分とよく、随分と広いものであり、それでも、私の親友と言える程の長い間、この男と共にいる。

「しかしだがね、高坂。こうして何十分も歩かされている私の身を案じることはないのか」

普段、本ばかり読んで、碌に運動の1つもしていない私にとって、歩き続けることは、辛いものである。

「直に目的地へと着く。キミは普段より、少し運動不足ではないのか」

「学生の長期休暇など、本を読む意外にすることがあるのか」

「強情だ、それでいて、自尊心が高い。どうにも、キミは根暗でいけないな。しかしながら、嫌いになれないのもまた事実」

図星を突かれたというのは、こういうことを言うのであろう。高坂の言う通り、私は強情であり、自尊心が高い。自覚もしている。だがしかし、改めて高坂に言われると文句の1つも言いたくなる。

「高坂、そうは言うが、普段の高坂の行いに関して言及させてもらうが」

「キミ、もう着くよ」

 この男のこういうところが好きになれない。自分に火の粉が降りかかろうものなら、すぐに逃げようとする。だが、先程、高坂の言ったように、私もまた、高坂のことが嫌いにはなれないのだ。好きになれないが、嫌いではない。

「高坂、先に言わせてもらうが、私は、お前の言うことをあまり信じていないからな」


 店である。とある店の前で高坂は立ち止まる。「猫の手も借りたい」と看板に書かれたその店は、喫茶店のようである。


 話は3日程前に遡る。

「キミ、猫の手も借りたい、と思ったことはあるかい」

私の家に訪ねてくるなり、高坂はいきなりこう切り出した。

「なんだ、藪から棒に」

「答えてくれ、赤坂」

「……そりゃあ、忙しいときには思ったこともあるが」

「ならば、良かった。キミ、三日後の夕刻、時間をあけておけ」

この男はまったく急である。

「どうせ、長期休暇を理由に本を読みふける以外のことをしていないのだろう」

「高坂、本は素晴らしいものだぞ。知識も見識も増えていく。読むだけで自分の何かが生まれ変わる」

「ならば、あそこを訪れるべきだろう」

「あそことは」

「猫の手も借りたい、だよ」

「それは私をからかっているのか」

「違う、赤坂、キミの見識を少しだけ広げてやろうという、親友なりの気遣いだ」

「どういうことだ」

「その店は、主人が虎猫の喫茶だ」


 古ぼけた看板は、ところどころ塗装が剥がれていて、その雰囲気は随分と怪しいものである。正直、喫茶店とは思えぬようなその佇まいに気後れするほどである。見た目はただの掘立小屋で、しかして、かろうじで看板があるから、そこが喫茶だということを示していた。

「高坂、ここに入るのか」

「当たり前だろう、そのために赤坂、キミを連れてきたのだよ」

「高坂、ここに入ったことがあるのか」

「当たり前だろう、だからこそ、赤坂、キミを連れてきたのだよ」

繰り返しの問答に飽きてしまう。私は、その掘立小屋の扉に手をかけた。入らなければ何も始まらない。じれったい思いも加速していく。

「おや、赤坂、キミにしては随分と思い切りがいいものだ」

「黙れ、高坂。入らないと始まらない、本も開かなければただの紙だ」

 私は、震える手でドアノブに手をかける。開いてみる。カランカランと小気味のいい音が鳴る。

「いらっしゃい」

余り覇気のない声が店の奥から聞こえてくる。

「2人かい」

そう、猫が聞いてきた。いや、正確には猫の顔をした人間が。正確には、虎猫の顔をしてる人間のような何かが。

「ええ、今日は私の親友を連れて参りました」

高坂は滑らかに、答えていく。

「高坂」

「どうした」

「私は夢でも見ているのか」

「赤坂、これは現実だ。だから言ったろう、主人が猫だと」

虎猫なのだ。身体は人間なのだが、顔のすべてが虎猫であった。エプロンというか、腰巻のようなものをつけているそれは。

「客なら早く座りな」随分と横柄な店主であるようだ。

「すみません、親友がどうも、失礼を。赤坂、キミは挨拶の1つもできないのか」

 言われてどうも、口ごもる。

「ああ、あの」

「珍しいのだろう。致し方のないことだとは思うがね。余り、そういう目を向けられるのは好かないもんだ。珈琲でも飲むんなら客として接するがね」不機嫌な顔の虎猫が言葉を。

「ああ、すみません、珈琲を2つ。アイスで」

高坂が割って入る。それが有り難くもある。私は今この瞬間も混乱の最中にいるのだから。


それから先のことはよく覚えていない。店主が意外に気さくな人間だったことは覚えているのだが。


私はそれから先、忙しくなってしまうと、猫の手も借りたい、と言ってしまうのです。

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猫の手も借りたい 和泉ロク @teshi_roku

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