バトンタッチ(佳世視点)

 その人は、突然、わたしの病室にあらわれた。

 お見舞いの花と、同情と心配、そしてそれ以外の何かの感情をも含んだ表情を携えて。


「怪我の具合は……いかがですか?」


 今の祐介の彼女、白木琴音さん。

 池谷君の元カノでもあるけれど、もう無関係なことだ。すでに池谷君は罰を受け、転校することも決まっているわけだし。


 思わぬ見舞い客に狼狽を隠せない。

 なんで今になって、白木さんがわたしのところへ来たんだろう。


 わたし自身の愚かな行動がそもそもの原因だとはわかってはいるけれど、すべてを失ったわたしと、すべてを手に入れた白木さん。

 対照的なわたしたちが話す必要性など何もないと思うのに。


 そして、今のわたしの中には、白木さんが妬ましくて仕方のない気持ちが少なからず存在する。誰が悪いかなんて、嫌というほどわかってはいるが、醜い感情は抑えきれない。苦しい。


「……」


 白木さんのお見舞いの言葉に、何も返せるわけもなく、ただ黙るわたし。


「……こうやって、面と向かってお話しするのは、初めてですね」


 それでも白木さんは何も気にしてないように、立ったままで話しかけてきた。

 人間ができているのか、それとも勝者の余裕なのか。


「……お見舞い、ありがとうございます」


 花束を動く方の手で受け取り、そういうだけで精いっぱいだった。

 激情に駆られて傷つけた、動かない手を見られるのがとても情けなくて、消えてなくなりたいくらい。


 坊主頭のまま入院しているわたしは、端から見れば重病人、その実は愚かな裏切り者。


 そんな自分のみじめさをあらためてかみしめながら、少しだけわたしは恐れた。

 今後もこんな引け目とみじめさを忘れられないままに生きていかねばならないのかと。


 むろん、お父さんやお母さん、まわりの人たち、奈保ちゃん。そして祐介にも、白木さんにも。わたしがひどいことをして迷惑かけたことは悔やんでいる。悔やみきれないくらい。そして贖罪したい気持ちも嘘じゃない。


 なのに、むなしいんだ。

 これから先、わたしの隣に祐介がいない未来が見えるのが。

 今まで積み重ねてきた十六年を忘れ去られるのが。

 わたしじゃない誰かが、祐介の隣にいることが。


 ──わたしには、何の希望も残らない。


 なんであんなことをしてしまったんだろう。

 ただただ胸が苦しくて、自傷した腕より心が痛くて。

 泣きたくないのに、涙が出てくる。


「あ、あ、ああああの」


 突然涙をこぼしたわたしのことを見て、白木さんはあわてた。


「ご、ごめんなさい。わたしは吉岡さんを責めるためにここへ来たわけじゃないんです。ただ、本当にお見舞いしたくて」


「……」


「で、でも。正直に言うと、吉岡さんに嫉妬してる部分はありますけど」


「……」


 嫉妬?

 わたしから祐介を奪い、幸せの絶頂にいるあなたが、わたしみたいなすべてを失ったみじめな女に嫉妬?


 わからない。


「だ、だって、祐介くんは、吉岡さんのことをずっと忘れないと覚悟を決めたからです」


「……どういう、こと?」


「だって、そう覚悟を決めなければ、吉岡さんのために池谷君のところへ殴り込みになんて行きませんから」


 はっとした。

 そうか、白木さんが最初に見せた表情の中に混じってた、なんだかわからない感情。

 それは、祐介の幼なじみであるわたしに対する、嫉妬のそれだったんだ。


 思わず聞き返す。そんな資格もない癖に。


「……それで、白木さんはつらくないの?」


「……? どういう意味でしょう?」


「祐介の中に、わたしが残ってて。それで、白木さんはつらくないの? 責めないの?」


 愛する人の心の中に、自分以外の誰かがいることがつらくないの?

 そうは言えなかったので、言葉を少し濁したけれど。


 それでも、白木さんは理解したうえで、言い切る。


「……責めてどうするんですか。それも含めて祐介くんなのだから、わたしはそれごと祐介くんを好きでいるだけです」


「!」


「もうわたしには、祐介くんしか見えませんから」


 そこで彼女が見せた笑顔は、ほんとうにきれいな笑顔だった。

 嘘などこれっぽっちも混じっていない笑顔。今のわたしは、ううん、今までのわたしは、こんなふうに笑うことなどできない。


 ──完敗だ。わたしがどうあがいても、かなわない。


 きっと白木さんは、どんな誘惑があろうと、祐介を裏切るようなことはせず。

 たとえ祐介が迷いや戸惑いを見せても、きっと祐介だけを一途に想うのだろう。


 そして、そんな白木さんを、祐介は絶対に裏切らない。

 自分が受けた優しさを何倍にもして返すひと。それがわたしの幼なじみだったのだから。


 忘れることができないなら、思い出さないように愛すればいいだけのこと。そう言いたげな白木さんになら。


「祐介と……幸せになってね、白木さん。わたしがいうのもおかしいことは自覚しているけど……」


「……はい」


「祐介を……おねがいします」


「……はい」


 本当にヘンな会話だ。

 わたしがこんなこと言うのを他の人が見たら、自分から裏切っておいて何様だ! と叱られるに決まってる。


 だけど。

 わたしでは幸せにできなかった大事な幼なじみを。

 白木さん以外に任せることはできないから。


 ──彼女が相手なら、わたしがあきらめられるから。


 そして決めた。


 祐介がわたしのことを忘れないでいてくれるならば、わたしも祐介に対する贖罪の気持ちをもち続けていようと。

 決して許されることがなくても、一生心の中で償いをしていこうと。


 そして、自分を信じてくれる人を裏切るような真似は、絶対に繰り返さないと。


 愚かなわたしを治せたら、白木さんのように、幸せそうに綺麗な笑顔で笑える日がきっと来る。

 せめてそう信じて生きていきたいから、今度はブレないで頑張ろう。


 …………


 ああ。

 なぜわたしは、今の白木さんのように、一番大事な人だけを見なかったのだろう。


 半年前に──ううん、二年前に今の気持ちのまま戻れるならば。

 わたしはきっと、今もただただしあわせに、笑っていられたに違いないのに。


 でも、もう遅すぎる。何もかもが。


 ──本当にわたしはバカだ。今さら気づくなんて。


 改めてそう痛感したとき、わたしの目から再度何かが流れ出たが。

 白木さんは先ほどとは違い、今度は狼狽える様子は見せなかった。きっとわたしの心の中を理解しているからだろう。


 ごめんね、白木さん。祐介。

 わたしも前を向いて生きていきたいけど、今だけは泣かせて。


 ──これが最後の、後悔の涙。

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