バイトをする祐介
自分語りで申し訳ないが、最近、成功マートというコンビニでバイトを始めた。
まあ、バイトと言っても二か月限定、しかも週三回で午後五時から八時までの三時間だけなんだけど。
赤とオレンジの制服に身を包み、レジ接客などを主にやる。空いた時間に品出しや前出し、店内清掃などのメンテナンス。
正直疲れる。働くってのは、金を稼ぐってのは大変なんだと改めて思った。なんせ三時間働いても三千円にもならないわけで。バイトを始めてから、缶コーヒー1本買うのにも躊躇するようになったよ。
それでもやっと最近は慣れてきて。
それなりに余裕をもって仕事をすることができるようになって来た。
しかし、声を大にして言いたい。接客業ってのは大変である。
お客様はお客様であって神様ではないのだが、自分を神様だと勘違いしている人間のなんと多いことか。理不尽なクレームを受けてはらわたが煮えくり返る思いをしたことなど数えきれない。
ただし。
いいお客様もすごく多くて、それが最近は楽しくなっている。
──例えば。
「いらっしゃいませー」
「おーう勤労少年。今日もアカレンジャーとして頑張ってるな。ご苦労さん」
「……って、なんだ。ナポリたんか。どしたのきょうは」
「ちょっと自主トレしててな。汗かいて喉が渇いたからボカリスウェットを買いに来た」
イモジャージ姿で入店してくるナポリたん、意外とレア。
無言で百五十円を置いてすぐさま、ナポリたんはペットボトルのふたを開け、店内で飲み始めた。
「ぷはー! この一杯のためにトレーニングしていると言っても過言じゃないな!」
「オヤジくせえよ最終兵器ロリのくせに。ま、部活もないわけだし、なまらないように頑張れ」
よく見ると、首に巻かれているタオルが結構な湿り気を帯びている。ナポリたんはアクティブでパワフルだ。やることに手は抜かない。
「ボクを誰だと思っている。来年教育実習に来たハヤト兄ぃに無様なところは見られたくないからな。それまでに、なまるどころか今よりもパワーアップしてみせるさ」
「おおう、恋の力すげぇ」
「なんか言ったか? まあいい、一息ついたらシュート練習しないとならないから、もう一本ボカリ買っておく」
「まいどありー。ケガしないようにだけ気を付けて」
「おう、まかせろ。じゃあ、祐介もバイト頑張ってな」
売り上げに三百円ほど貢献して、湿ったタオルをぶんぶん振り回しながらナポリたんが去っていった。
……ナポリたんの汗が染み込んだタオル、その筋の人に高値で売れねえかな。今度小松川家に行って回収して来ようか。売れたらバイト辞めても……
……って、そんな汚い金じゃどうしようもない。悔い改めよ。
「まったく、そのやる気の源くらいバレバレだっつーに」
独り言をナポリたんに聞かれないようにつぶやくと、すぐさま次の来客が登場する。
「お疲れ様です祐介くん。ところでほうれん草は入荷したかしら?」
「初音さんいらっしゃい。夕方の便で入荷してますよ」
「あら助かったわ。最近はコンビニで野菜が買えるから楽よね」
「軟弱野菜を、当たり前のようにコンビニに買いに来る主婦、ってのも珍しいですけどね」
ほうれん草ならわざわざコンビニで買わんでも、八百屋とかスーパーで買った方が安いしよくない?
そうは思っても言えぬ。だって初音さんがチャチャ入れに買い物に来てること知ってるから。
「……だいぶお金はたまったのかしら?」
「あのー、まだバイト始めて一か月も経ってないんですけど」
「ちなみにね、琴音の指のサイズは」
「聞けよマザー。おまけにこの歳で指輪プレゼントするってすっごくハードル高いんですけど?」
「あらそうかしら? じゃあ祐介くんのサイズは」
「そう言いながらほうれん草とスキンを同時に買おうとしないでください」
人妻らしい下ネタをしれっと。なんか最近、初音さんのタガってもんが外れた気がする。
「だって最近はサイズ別にいろいろ種類が出ているじゃない? 便利よね、最近のコンビニは」
「そうですねー食欲と性欲同時に満たせますもんねーあははー」
なんとなく初音さんと桑原さんの夜事情を想像してしまいちょっと鬱。
俺の表情がどよんどなのに気づいてくださいよお母様。
「冗談よ。だいいち私たちの間にはもう障害物なんて必要ないもの。大人だからこその生バナナよ」
「あのー、これ以上下ネタ続けると様々な方面からお叱り受けますからとっとと買い物して帰ってくださいませんか?」
「お客様にずいぶんな物言いね祐介君たら。琴音はこんなSっ気のあるところが好きなのかしら……?」
「どうしてそうなるんです」
「だって琴音は私の娘だもの、性的嗜好くらいわかるわ」
「……」
二十年たつと琴音ちゃんが初音さんみたいになっているのだろうか。今なら考えなおせるのかもしれない、俺の人生について。まあ考える必要性はないけど。
「じゃあ、私はあの人が帰ってくる前に帰宅しないとならないから、退散するわ。頑張ってね、祐介くん」
「……あっしたー」
頭痛が痛い。早退しようかな。
こんな時こそバファリンの出番だ。
というわけで、薬を飲んで。再度仕事をこな……
ウィーン。
「交響楽団指揮者……じゃなくて、いらっしゃい桑原さん」
少し間をおいて自動ドアが再度開く。
今度はバファリンじゃなくてパパリン登場。タイミングよすぎ、初音さんとすれ違ってないの?
「祐介くんお疲れ様だね。ところでいつものブツは……」
「はい、取り置きしてますよ」
いちおうバイト許可の申請は学校側にしているので、桑原さんが来ても後ろめたいことはない。
俺は入荷しても棚に並べずにおいていたシベリアを、桑原さんに手渡した。
「おお、いつもすまないね」
「いえ、お得意様ですし……でももうシベリア買わなくても、親子の絆は十分深まったんじゃないですか?」
「いや、そんなことはない。釣った魚にエサはやらない、というのは一番愚かなことだよ」
桑原さんは、琴音ちゃんのために毎日毎日ここでシベリアを買ってから帰宅する。シベリアを定番で扱ってるところが他にないからだ。
早い話がモノで釣ってるわけだけど、そこにあるのは子に対する親の純粋なる愛情だと思うので本気で止めはしない。
しっかし桑原さんも、もう同居開始から結構経つのに、律義というか真面目というか。
「琴音ちゃんの喜ぶ顔が目に浮かびます」
「そうなんだよ! シベリアを見て満開の笑顔とともに『お父さん、ありがとう』と言ってくれる琴音のためなら、私はいくらでも」
やっす。琴音ちゃんやっす。
ヒャネルのバッグでもヘルメスの腕時計でも何でも買ってあげられそうなくらい桑原さんお金持ってるはずなのに。
…………
琴音ちゃんへのプレゼント、ヘンにおしゃれなモノよりもシベリア各種詰め合わせとかのほうが喜ばれそうな気がしてきた。ちょっとバイトするテンションなえぽよ。
「でも、そろそろ琴音ちゃんもシベリアに飽きてきたんじゃないですか?」
「……」
おっと、サゲサゲな気持ちのまま軽口を叩いたら、桑原さんの沈黙が重い。フォローフォロー。
「毎日シベリア食べてますもんね、そりゃ……」
「いや、シベリアは毎回いつもきれいに平らげるんだが」
「へ? 他に何か問題でも?」
「最近になってやたらと『体重計が故障してます! お父さん、何とかしてください!』と必死でな……」
「餌付けの思わぬ弊害キタコレ」
琴音ちゃん、自業自得だよそれは。
「おかげで最近、琴音は晩御飯を抜いてまでもシベリアを必死で……」
「シベリア食べないと死ぬ病にでもかかってるんでしょうかね琴音ちゃんは。不健康な食生活極まりないじゃないですか」
「う、ううむ。そうだな、私からもシベリアは控えるよう琴音に進言してみるか……」
「あ、じゃあ、今日はシベリア買うのやめます?」
「いやいや、取り置きをお願いしていたのにそんな失礼なことはできないよ」
「そうですか……じゃあすみません、税込み290円です」
こういうところが律義な桑原さん。
会計を済ませ、袋に入れずにシールを貼ったシベリアを抱え込みスマイルを見せる。
地球にやさしいダンディーである。
「ありがとう。これもよい社会経験になるだろうから、バイトがんばってくれたまえ」
「あ、ハイ。白木家の皆様にもよろしく……」
ってさっき初音さんも来てたから意味ない言葉やな。社交辞令ってむずかしい。
軽く右手を上げ、桑原さんが凛とした姿勢のまま退店する。
こんなダンディーが初音さんや琴音ちゃんにメロメロなのがほほえましいよね。
──さて、もうひと頑張りだ。
―・―・―・―・―・―・―
あと五分で八時。バイト上がりの時間である。
そこで、
「祐介くん、もうすぐあがりですね」
「あ、琴音ちゃんいらっしゃい。晩御飯終わった?」
やや厚手の赤いセーターに身を包んだ琴音ちゃんが来店。
ううむ、なんだか最近琴音ちゃんのサイズがまたアブラマシマシになっている気がする。ひょっとして増量した部分、主にパイじゃないのか。
Hカップでも神の領域なのに、えっちのあとに愛があるまで進化するとは侮れん。
「あ、ハイ。今日はほうれん草のシチューにシベリアでした」
「シベリアは主食なの? ねえ?」
「それで、なんとなくデザートというかお菓子が欲しくなって……」
主食の問いかけに返事はなかった。そんな当然なことを今さら聞くなという意味だろうか。
まあいいや、別に重要なことじゃないので。重量という意味以外では。
そうこうしているうちに琴音ちゃんはレジに『雪美だいふく』を持ってきた。これを食べるとあまりのおいしさに会話が三点リーダばかりになるという、伝説のアイスである。
「今日はわりと暖かい日だもんね、アイスもうまいかも」
「はい。二つありますから分けられるかなって」
「あたためますか?」
「やめてください」
今日はコンビニの必需品である電子レンジを使ってないから、最後に一回くらい使いたかったんだけど、俺のバイト魂はあっさり拒否られた。
「まあしゃーないね。140円です」
「あ、じゃあついでに大正チョコレートも買います」
「まいどあり。あたためますか?」
「嫌がらせにもほどがありますね」
「あたためちゃダメなものほどあたためたくならない?」
「その理屈がわかりません。くだらないことをしてないで、時間通りにちゃんと帰れるよう準備してください」
「はいな」
いつもバイト終わりには、こうやって琴音ちゃんが訪問してくれる。
「おー。緑川くん、きょうもカノジョのお迎え付きか。まあ仲がいいのはいいことだ。お疲れ様、あがってくれ」
店長にこうやって冷やかされるのももう慣れた。
「あ、はい。じゃあ時間になりましたのであがります。お疲れさまでした」
「おう、次もよろしくなー」
午後八時一分にタイムカードを切って、マッハで着替え、店の入り口付近でアイスとお菓子が入った袋を片手に待っている琴音ちゃんのもとへ。
「おまたせ」
「バイトお疲れ様です。じゃあ、帰りましょうか」
「うん」
並んで帰路につく。
すぐさま琴音ちゃんは先ほど買った『雪美だいふく』を開け、くしに刺して一つを俺のほうへ差し出してきた。
「はい、どうぞ」
歩きながら食べるのは行儀が悪いかもしれないが、労働後のご褒美ということで許してくれ。
「はむっ」
「……ふふっ、伸びますねー」
俺はそのまま直にかぶりつく。口を離すと、外側部分のもちがびよーんと伸びて思わず琴音ちゃんが笑った。
「冷たいけど、うまい」
「そうですね、この季節ならではです。ではわたしも……ほむっ」
わざわざ俺がかじったところからかぶりつく琴音ちゃん。少しだけ顔は赤い。
「冷たいけど、おいしいですね」
「うん」
「……ちょっとだけ幸せの味がします」
こんな会話を彼女としたら、そりゃ疲れも吹っ飛ぶわ。
たとえ変な客ばっかりだとしてもね。
あっという間に雪美だいふくは消費され、ちょっとだけ無言で歩く。
吹く風はもう冬の香り。
──クリスマスまであと二か月。バイトで稼いだ金で、何を琴音ちゃんにプレゼントしよう。
そんなことを漠然と考えていると、少しだけ強い風が吹いてきた。
ガサガサと、琴音ちゃんが持っているコンビニのポリ袋が音を立てる。
「……もう、すぐだね」
何の気なしに、つぶやいて。
思わせぶりに、琴音ちゃんが返してくる。
「……そうですね。ところで祐介くん、アイスを食べたせいでしょうか、ちょっと手が冷たくなってきました」
目の前にそっと差し出された手は、ちょっとだけ震えているように思える。
じゃあ、家に帰るまでがバイトだから、最後まで気を抜かず。
「……あたためますか?」
仕事中にも見せないような極上の笑顔で、接客してあげましょう。
「はい、お願いします!」
優しく包むように、俺は琴音ちゃんの手を握り。
帰宅までのささやかな幸せという対価をもらって、そのまま勤めを終えた。
──どうか二か月後には、もっと温かい心で、琴音ちゃんを包み込めますように。
──── 番外編 にたん終わり ────
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