Victims
佑美から連絡を受け、俺は慌てて走る。琴音ちゃんと一緒に。
──佳世が、自分の手首を切った。
救急車の音が吉岡家前でおさまったときに、我が家の面々も何事かと慌てたらしいが、詳細はわからない。
佳世を呼んでも返事がないことに疑問を抱いて、部屋を訪れた菜摘さんが第一発見者だったらしいが、唯一それだけが幸いしたようだ。なんせ現役の看護師だし。
息を切らしながら家の前に着いたら。
吉岡家の前にナポリたんもいた。佑美が連絡したのだろうか。
「祐介! 佳世は、佳世はどうなんだ!?」
いつも冷静なナポリたんから、これほどまでに焦りの色がうかがえることは珍しい。
「俺も今連絡もらったばっかりで……」
「なんで、なんで……なんで! ばっか、やろぉ……!」
ダンダンと何度も吉岡家の門をたたくナポリたんの手に、血がにじんでいる。
俺と琴音ちゃんは、唇をかみしめながらその様子を見ているだけしかできなかった。
──理由など、あれしかないだろな。
―・―・―・―・―・―・―
やがて、佳之さんが帰ってきて。
やきもきしながら待っていた俺たちに、最新情報が届く。
「……命に、別状はないらしい」
俺と琴音ちゃん、ナポリたんは三人とも脱力した。
が、佳之さんは険しい顔を崩そうともしない。
「佳世が、書きなぐった遺書らしきものを残していたよ」
そう言って俺たちにそれを見せてくれた。
―・―・―・―・―・―・―
これ以上、迷惑をかけるのは耐えられません
ごめんなさい、お父さん、お母さん
ごめんなさい、奈保ちゃん、ハヤト兄さん
そして、ごめんなさい、祐介
―・―・―・―・―・―・―
『パパ、ママ』ではなく、『お父さん、お母さん』であるところに決意というものが見え隠れする。
俺の手に爪が食い込んで痛い。だが佳之さんの表情はもっと痛い。いや、痛みに耐えきれないような、見たこともない表情だ。
佳世が運ばれた救急病院に行かずにいられるか。てやんでい。
―・―・―・―・―・―・―
救急病院にいた菜摘さんは、俺たちを夜間入り口まで迎えに来てくれた時でも、憔悴したような顔をしていた。
命に別状はないというのであれば、少しは安心していてもおかしくないもんだが。
嫌な予感は消えない。
「……佳世、命に別状はないと言ってましたけど、なにか……」
菜摘さんが、言いにくそうに答えてくれる。
「……手首の傷は、浅くはないの。出血はなんとかなったけど、腱だけじゃなく、ひょっとすると神経まで……」
神経まで傷つけてしまったとするならば、どういうことか。
すぐにその意味を理解したナポリたんが、ただただ、ただただ自分を責めるように。
「佳世のバカ、ばかやろぉ……ハヤト兄ぃとの約束、どうすんだよ、大バカ、やろおおおおぉぉぉぉ……」
最後の『大バカ野郎』って言葉を誰に向けたのかわからないくらい、哀しい嗚咽を漏らすだけだ。
年相応に、繊細な声で。
「祐介、くん……」
一方、琴音ちゃんが心配そうに俺を見てくる。
そういえば佳之さん菜摘さんともに、琴音ちゃんとは初対面かもしれないな。でもこの状況なら、ひょっとすると佳世の友人と思われてるのかも。まあ、説明などする必要もないか。
頭の左半分だけはかろうじて冷静さを失っていない。腹くくるか。
「実は昨日、佳世から池谷に脅されてる、と相談されました。おそらく、それが原因でしょう。いろいろあって伝えるのが遅れました。まさかこんなことになるとは思いませんでした。ごめんなさい」
もう隠す必要ないだろう。佳世がなぜリストカットなどをしたか。
さきほどのやりとりも合わせれば、間違いなく琴音ちゃんも察したはずだ。悲しそうな目からそれはわかる。
だが、責められる覚悟で白状したにもかかわらず。
池谷という固有名詞を聞いて、佳之さんも菜摘さんも、ハッとした後に眉間にしわを寄せた。
──なぜ、そこでそんな反応するんだ。
「……何か、あるんですね?」
ハメ撮りという単語を伏せて俺が尋ねると。
『今日の夜、俺の家で待ってる。真っ最中だろうが、口や手ならできるだろ。みんな集まっているから相手してくれ。もしこなかったら例の動画を拡散する』
こんなメッセージを表示したままのスマートフォンを、菜摘さんが俺に渡してきた。
相手は間違いなく池谷だろう。だいぶ進化したな、誤字だらけのロミメから。内容は本能しか残ってないサル以下に退化してはいるが。
衝動的に手首を切った理由はこれか。
「……これ、脅迫じゃないですか。すぐに届けましょうよ」
俺の言葉は至極まっとうなはずなのだが、どうにも反応が芳しくない。
ちょっとしてから佳之さんが、自分の妻のほうを申し訳なさそうに見た後、俺たちに説明してくれた。
「……以前の騒動の時、佳世の相手であった池谷君のお母様とお話をしたのだが」
「はい」
ある程度は聞いている。痛み分けだと思い込んでいたけど、違うのか?
「実は池谷君の祖父が、
「……御堂先生?」
えーと、たしか……この地方選出の代議士だっけ。
そして池谷の祖父は、たしか『
──って、まさか。
「もうすぐ選挙も行われる、池谷印工の協力を失うわけにはいかない。そう判断して、私は佳世と池谷君との関係をきっちり責めず、なあなあで終わらせてしまった。親として、愚かすぎた」
自分の非を全面的に認めるような、佳之さんの懺悔だ。
なにそれ。
池谷家との話し合いのあらすじは聞いていたけどさ。その実、きちんと責め立てなかったってこと? 池谷の愚行を?
自分の先生が落選したら吉岡家も大変なことになるから?
それで佳世のアフターケアが不十分だと思って、あのあと俺の部屋まで土下座しに来たの?
…………ああ。
頼むよ、爆発させないでくれよ。
ここにきて佳世がかわいそうだなんて思いたくないんだよ。あいつは俺にとってはもう、わりとどうでもいい存在なんだよ。
『ハメ撮りなんてもの、お父さんお母さんにはもちろん、誰にも絶対見られたくない。それに
ひょっとしてあの言葉は、自分を取り巻く事情をすべて知っていた佳世が、本当に本当に耐えきれなくなって漏らした一言だったのかもしれない。
自分の愚かな行動でまわりに迷惑をかけた、これ以上さらに巻き込めない、と。本当に誰にも頼れないんだ、と。
それで自殺とかしやがったら、さらに迷惑かけるだけじゃねえか。さらにまわりに深い傷を与えるだけじゃねえか!
──佳世の、ク・ソ・バ・カ・ヤ・ロ・ウ!
ガコッッッ!
雲のジュ〇ザばりの捨てゼリフは脳内だけにとどめたが、強く握りしめた拳だけは病院の壁に叩きつけられた。
当たり前のように、血が出た。
それどころか、強くかみしめているくちびるからも血が出ているようだ。味がする。
だが、痛みは感じない。
これは誰に対する怒りだ。
佳之さんか。菜摘さんか。池谷ヒロポンか。それとも──
俺の衝動的なリアクションを受け、佳之さんも菜摘さんもただただ下を向くだけだ。
こんなに小さかったんかな、ふたりとも。今まではすごく立派な大人にしか見えてなかったのに。
「……」
カツン、カツン、カツン。
佳世の姿を見たら、汚い罵り言葉をかけてしまいそうだ。
今来たばかりだというのに、様子を見る気にもならず、Uターンして無言で外へ出る。
「……祐介!」
「祐介くん!」
しばらく呆然としていたらしいナポリたんと琴音ちゃんが、遅れて出てきた。
ふたりとも俺の横に並んで、静かにただただ歩く。
それから。
そっと、琴音ちゃんが固く握られた俺の右こぶしを優しく包むように握ってくれた。
──ああ、あったけえな。
そのとき、痛みも一緒に戻ってきたように思う。
「祐介くん……祐介くん……」
そのままで琴音ちゃんは、ただただ俺の名前を繰り返し呼ぶだけ。
ごめんね、ギザギザハートな俺を見て幻滅しないでほしいなあ。
『わかってますよ』
言葉はないけど、俺の拳を包む琴音ちゃんの手から、そう伝わってるような気がする。
きっと、間違いじゃない。
「……琴音ちゃん」
「はい、なんでしょうか」
ようやく名前を呼べた。
俺が立ち止まっていきなり話しかけても、動揺することなく琴音ちゃんは返事をしてくれる。聖女のような優しい声で。
「これは、別に佳世に対して、愛情とかそういうのを持っているからじゃない。だけど……」
「……はい」
「だけど、許せない。特に池谷は許せない」
自分で言っておきながら言い訳がましいなあ。
浮気とかの弁明みたいに、やましいことないんだけど。
そう思った瞬間。
ちょっとだけ負の感情がこもって硬直した俺の右腕に、琴音ちゃんが絡みついてきた。
「……ここで何もしなかったら、そんなの、わたしが好きになった祐介くんじゃありません」
ごめん、涙出そうになったわ。
でもさ。ほんと、さすことだよ。琴音ちゃんがそばにいるなら、何でもできる気がするわ。
「それに、わたしにも責任がありますし……何かが違っていたら、吉岡さんみたいになってたのは、わたしだったかもしれません」
「……怖い想像だね、それは」
「他人事じゃないですよ?」
「……うん」
よし、もうとにかくあとは。
「ナポリたん」
「おう。じゃあ、佳世をここまで追い詰めたバカどもに──天誅を下してやろうじゃないか。おじさんおばさんを頼りにできないことはわかったし、もう躊躇する理由もない」
「だいじょぶなん? バスケ部は?」
「ふん、佳世と一緒にハヤト兄ぃを待てないバスケ部などに、ボクは未練はないさ。だいいち、命より重いものはない。逆にハヤト兄ぃに怒られるよ」
槍田先輩の件を気にしていたのはわかってるからこそ、あえて聞いてみた。わざとらしかったかな。
叔母と甥の阿吽の呼吸も見せつつ。
さあ、因果応報をわからせるため、行きましょうかね。
──シリアスは、ここでおしまいにしようぜ。
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