哀れな予感、そして同情
大人しく帰宅して、俺は琴音ちゃんからの連絡を待つ。
ところでノロウイルスの状況だが、佑美も峠は越えたらしい。おふくろはまだけだるそうだがなんとか顔に精気は戻った。
オヤジ? 言わせんな憎たらしい。
肝心の俺はといえば、点滴したおかげか下痢もおさまっているし、日常生活くらいはもう大丈夫だと思う。
ノロに感染したのは初体験だったが、二日程度でここまで回復するものなんだな。
それとも、半分入ってるオヤジの遺伝子が生きているのだろうか。無駄にタフ。
まあいいや。早く回復するに越したことはない。
今のところ、とくに家でやらなきゃならないことはないので、琴音ちゃんからの到着メッセージを読むだけの簡単なお仕事をしている最中。
『飛行機から降りました!』
『今、バスに乗ってます!』
『駅に到着しました!』
メッセージを読んでる俺の顔はきっとキモいだろう。そんな自覚がある。
やがて、通話着信もやってきた。当然ながら相手は──
「もしもし?」
『白木琴音、ただいま戻りました! いま、自宅です!』
俺の顔のキモさが、さらに倍増する声だ。
琴音ちゃんの天真爛漫さに救われたことって、今までどのくらいあるんだろう。数え始めたらきりがない、ということだけはわかるけどね。
「おかえり。北海道はどうだった?」
『少し寒かったけど、来てよかったです! 今度は祐介くんと一緒に行きたいです!』
「……うん、そだね」
『あ、あの、それでですね。生チョコって賞味期限が短いんですよ。美味しいうちにすぐにでも食べてもらいたいので……』
「で?」
『祐介くんさえよければ、今から渡しに行きたいんですけど……ダメですか?」
「んあ?」
時計を確認、夜七時ちょっと前。時間的にセーフかな。
そう言えば琴音ちゃんを我が家に招待したことはなかった。
…………
いや、待て。汚染された我が家に琴音ちゃんを招き入れていいものか。それにお土産をいただく立場なのに、わざわざ来てもらうのも礼儀としてどうだろう。
「……いや、来てもらうのは悪いよ。俺から取りに行くから」
今の状態で琴音ちゃんに会うのは、ノロな意味で少しだけ不安はあるが、会いたい気持ちのほうが強い。なんせ週末顔を合わさなかったことは、正式に付き合い始めてからなかったわけだしね。
琴音ちゃん依存も甚だしい。こんなダメ人間に誰がした。
―・―・―・―・―・―・―
「こんばんはー」
チャイムを押す。
と、瞬時に玄関のドアが開く白木家。
「お、おかえりなさい!」
「……セリフ間違ってない? 逆だろ」
「す、すみません! 新婚生活の妄想をしてたせいでつい」
「琴音ちゃん女子なのにソーローなんかな……」
とまあ玄関先で繰り広げられる漫才もそこそこに。
「おじゃまします……あれ?」
いつものごとく白木家へと入った俺は違和感を感じた。日本語が変なのはわざとだ。頭痛が痛い、なんて表現は普段したりしない。
まあ、最近に限り、頭が腹痛を起こすことが多々あることは認めよう。
「初音さんは? どこかに出かけてるの?」
違和感から来る疑問を素直にぶつけた。
「あ、あの、お母さんはなにやら用事ができたらしく、明日帰ってくることになりまして」
「へ?」
「そ、それでわたしだけひとりで先に帰ってきたんです」
「……無理にひとりで帰ってくることもなかったんじゃ……」
「そ、そうはいきません! 生チョコはナマモノですから早く渡したかったし、三日も会えないのはちょっと……」
小躍りしたくなるカノジョの言葉。自分と同じことを思ってくれている相手がいる幸せは、人をバカにするもんだね。
…………
俺は、佳世の時にそう思ったことはなかったのだろうか。
過去はすでにぼやけていて、うまく思い出せない。
…………
まあいいや、とりあえず。
「ありがとう」
感謝を言葉にして伝えよう。
ほら、それだけで琴音ちゃんが笑顔になる。
「北海道のお土産話、聞かせてくれる?」
「は、はい! たくさんお話しましょう!」
………………
…………
……
「よかったね、優しそうなおじいちゃんおばあちゃんで」
「は、はい! 春休みに入ったらまた来ますと約束しました!」
琴音ちゃんが嬉しそうに北海道でできたおじいちゃんおばあちゃんの話をしてくれている。記憶が残ってなくて、いないものと思ってたようだから、うれしさもひとしおだろう。
まあ、今まで会えなかった理由は、初音さんの浮気にあることは想像に難くない。実家から絶縁されてた可能性も微粒子レベルで存在するもんね。
いきなりなぜ会えるようになったんだろうか、という謎は残るが、琴音ちゃんの喜びように比べれば些細なことよ。
「……冬休みは行かないの?」
「あ、あの、雪が多くてそのあたりは遠慮しておこうかと……」
「北海道って冬が一番それらしいんじゃないかなあ」
「雪まつりとか見にいくなら確かにそうかもしれませんが、真顔でやめておけと言われまして」
「……そう」
「そ、それに、新年は一緒に迎えたいひとがいますし」
「……」
ちょっとだけ見つめあうバカップル。
気まずい。
主にラブラブ的な意味で。
いや、今まで考えてなかったわけじゃないんだけどさ。琴音ちゃんとクリスマスとか、琴音ちゃんと初詣とか。
ただ、佳世に浮気されたときには、真剣にクリぼっちを覚悟してたわけで、そのことを考えると夢のよう。
なんだけど。
「あ、あの! もし祐介くんさえよければ……」
さっきからずっと存在するよからぬ予感に、ドキドキを隠し切れない。
「お母さんもいないし、ひとりだと寂しいので、泊まっていきませんか……?」
「と、ととと泊まる……?」
ほーらやっぱり、予想的中。おもわずどもってしまった。責任とれるようになるまでがまんしたいのに。
第一初音さんに怒られ……
怒られ……
……ないかもしれない。最近の様子では。
いやだめだ、おじいちゃんおばあちゃんは悲しむわ。
孫娘できましたー、でもすぐさまどこかの馬の骨ともわからぬ男に孕まされましたー、とかもうトラウマレベルになるわい。
「は、はい。もっとたくさん、北海道でのことも伝えたいですし、時間が足りないですし、お布団に入りながらたのしく話せたらなあ、なんて……」
「ふ、布団……」
「そ、そして、手をつないだままで眠れたら、きっと幸せな夢を……」
「繋がったまま寝落ち……」
「なんなら、違うところで繋がったりしてもわたしは……」
「俺が必死に我慢してるのに煽らないでちょうだいってばさぁ! だいいち──」
──そんな無防備に行為して、もしもハメ撮りとか撮られてたらどうするの。
言いそうになって何とかこらえた。今の俺はいろいろとおかしい。ここは普通『妊娠したらどうするの』だろう。
…………
ハメ撮り、か。
今さら考えても仕方ないことだけど。
佳世にとって、少なくとも池谷は自分の処女を捧げる価値のある相手だったはずだ。そんな相手にだけ許した行為の様子を、他の無関係な人間に晒すことになったら──
「……あのさ、琴音ちゃん」
「は、はい! なんでしょう!」
一般的女子の意見を尋ねるべく、琴音ちゃんに話題をふることにした。
俺がマジレスモードの顔つきになったのを察した琴音ちゃんは、少しばかり姿勢を正す。
「もしも、だけどさ……琴音ちゃんが、自分のハメ撮りを他の人に見られるかもしれないとしたら、どうする?」
「あ、あああ、ゆ、祐介くんはハメ撮りしたいんですかあああぁぁぁ!? ちょ、ちょっとムダ毛の手入れをしてないので今は」
あー、まあ確かにもう薄着の季節は過ぎたから、油断するよねえ。でも処理してたらオーケーなんだろうか。危険。
「いや違うのそうじゃなくて。もしもだけど、琴音ちゃんは自分のハメ撮りをネタに、彼氏から『他人に見られたくなければ言うことを聞け』って脅されてたら、どうするのかなあ、って。やっぱり見られたくないよね、無関係な人には」
なに血迷った質問をしてるんだろ、俺。でも訊かずにはいられない。
訝しんだことは確実だろうが、俺が決しておふざけで訊いてないことをわかってる琴音ちゃんは、落ち着きを取り戻し真面目に答えてくれた。
「……はい、それは当然、誰にも見られたくはないです」
期待通りの回答。
「そういう行為は、お互いを信頼して行うものですよね。その相手だからこそ許した場面を他人に見られることは、ただの屈辱ですし……」
「……」
「信頼してる自分を相手に裏切られたことがショックで、死にたくなると思います」
「……」
「そ、それに、ムダ毛の処理すらしていないところを他の人に見られたら、女子としてどうなのかと……あうぅ……」
最後に無駄がついてきて、思わず苦笑い。だが、心のどこかで俺が望んでいた回答を、琴音ちゃんがくれた。さすこと。
ちょっとだけ軽くなった気持ちで、ちょっとだけまじめに考えてみよう。
実際、佳世は池谷を信頼して抱かれたはず。
その行為の最中を他人に見られることはただ恥ずかしいだけではない、切腹ものである。そういうことだ。
ま、佳世の場合、池谷に遊び宣言されたときに、信頼など霧散しただろう。池谷に至っては、上から読んでも下から読んでも『
だが、裏切られた自分の愚かさも同時に痛感した佳世が、さらにハメ撮りで脅しを食らったら、何もかも嫌になって自暴自棄になってもおかしくない。
…………
琴音ちゃんと二人きりの時なのにもかかわらず、佳世のことを不憫に思っている俺はなんなんだろうな。
「祐介くん、なんでそんなことを……訊いてくるんですか……?」
「あ……」
おっと、考え込んでいたせいで琴音ちゃんが心配になったみたいだ。
「いや……なんでもないよ。変なこと聞いちゃってごめん」
「い、いいえ、なんでもないならいいんですが……」
ブーッ、ブーッ。
琴音ちゃんが納得していないような返事をしてきたとき、俺のスマホがブレる。
着信。佑美からだ。
よっぽどのことがない限り、あいつは俺に電話などかけてこない。
「はいもしもし。どうした、佑美?」
いやな予感に包まれながら出て見ると、憔悴したような声でいきなりまくし立てられた。
『お兄ちゃん! 今どこにいるのよぉ……大変だよ、佳世ちゃんが……佳世ちゃんが!』
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