カノジョ・スワップ

 琴音ちゃんのスカートが乱れているのを遠回しに指摘するのが大変だったが。

 なんとかそのあとの個展デートは無事成功で終わった。


 好きな絵本作家さんの世界を堪能し、なんだかんだ言ってはしゃいでた琴音ちゃんは、超絶かわいくて俺も満足したわ。

 以前『カッコウの手紙』という絵本を読んでからファンなんだってさ。

 ちなみにその絵本の内容は、死ぬ間際に人間に助けられたカッコウが、野生に戻る夢かなわず亡くなる際に、保護してくれた人間へのお礼を述べた、という感動ものらしい。


 そしてたまたまその個展で絵本作家さん本人に遭遇して、舞い上がってサインなんかしてもらってた。

 なぜか俺までサインをもらったが……まあいいか、思い出になるし。

 はるえだたまこさんね。興味がわいたので、あとで絵本を琴音ちゃんに見せてもらおう。


 で、興奮も冷めやらぬまま、個展が行われていたデパートを出て、ふたりあてもなくブラブラする。

 そろそろ暗くなる時間帯。午後五時くらいだ。


「……絵本作家さんのサイン、もらえてよかったね」


「は、はい! 時間が偶然ぴったりでよかったです」


「うん、そう思うと……」


 あの池谷や初音さんとのトラブルも、時間がぴったり合うために必要だったのかもしれない。

 なんて思ったけど、言うのはやめとこう。


「……ふふっ」


 琴音ちゃんは確変モードが続いている。

 俺は横目で上機嫌の琴音ちゃんを見ながら並んで歩き、そして。


「あっ……」


 通りのところを過ぎて。

 近くに、佳世と池谷が以前ベロチューしていた──二人並んで一緒に泣いた公園が見えた。


「……少し、休んでいかない?」


「……は、はい」


 いやな思い出しかない公園ではあるが。

 気まぐれでなんとなくオレンジロード的な提案をしてみると、琴音ちゃんは快諾してくれた。主人公と違って優柔不断ではない。


 うん、もう二人の中に、あの時の悲しさ、悔しさ、むなしさ、やりきれなさは残っていないみたいだ。

 どちらからともなく、過去に二人で座ったベンチに再度座り込む。


「……なんかさ」


「はい?」


「あのときここで、二人で号泣したのが、遠い昔のように思えるよ」


「そ、そうですね、もう二か月以上前のように思えます」


「だから作者軸で時間を語るのはやめよう」


 会話の内容はいつもの俺たちだ。

 だけど、お互い幸せそうに笑っている事実は、最初に二人でここに来た時と決定的に違っている。


「いろいろあったなあ……」


「……そうですね。でも」


「ん?」


「わたしたちには、必要なことだった。そんな気がするんです」


「……」


「幸せになるために。どうしても必要な事件だった、って。そう思うのは、いけないことでしょうか?」


 琴音ちゃんが舌を出して悪戯っぽく笑う。

 俺が、そんなことないさ、と返すと、両手をベンチにつけ、琴音ちゃんは遠くを見つめながら、漏らした。小便じゃないぞ言葉をだぞ。


「それまで他人だった男の子と、同じ気持ちで泣いた……あの時、わたしは決意しました」


「……? 何を?」


 琴音ちゃんの顔が引き締まる。

 それを横目で確認した俺は、つい反射的に訊き返してしまうが。


「次こそは……あんな気持ちで泣かないように、幸せな恋をしようって」


 琴音ちゃんがそう言い切ってから、俺のほうを向いてくる。

 思わず見つめあってしまった。


 その時の琴音ちゃんは、俺の大事な言葉を待っているかのように思えて。


『断られるかもしれない』


『からかわれてるだけかもしれない』


『また裏切られるかもしれない』


 心の片隅に未だ残っていたネガティブ思考が、潤んだ瞳に吸い込まれるかのように、消えてゆく。

 瞳に残るのは、映った俺の顔だけ。


 ──今しかねえだろ。勇気を絞り出すのはここだ。


「こ、ここここ琴音ちゃん」


 どもった。本当にヘタレだな俺。


 だが琴音ちゃんは俺を見つめたまま無言。

 気のせいかさっきより瞳が潤んでいるように思える。


「お、おお、俺と……」


 手をギュッと握られた。


「つきあ……」


 力が強く籠められる。


 俺は、そこでハッとした。


 ちがーう!

 まず俺の気持ちを伝えるのが先だろ!

 先入れ先出しは恋愛駆け引きナマモノ販売の鉄則! 後出し厳禁! 中出しは佳世と池谷だけでいいわ!


「……俺は、琴音ちゃんが好きです。誰よりも」


 ひゅうーーーーー。

 だが俺の決意をあざ笑うかの如く、風が一瞬だけ、強く吹いた。

 聞こえたかな? いや聞こえてなくても続きだ続き。


「確かにヘンな出会い方だったかもしれないけど。ずっと大事にするから、俺のホンモノの彼女に、なって、ください」


 バサバサバサ。

 今度は木々が揺れる音。やっぱり祟られてるのかな、この公園。


 琴音ちゃんのやさしさが好き。

 琴音ちゃんとする会話が好き。

 琴音ちゃんと一緒にいるのが好き。

 琴音ちゃんの笑顔が好き。

 おっぱい? 言わせんな恥ずかしい。


 ──琴音ちゃんの、すべてが好き。


 そんな俺の気持ちがちゃんと伝わったかどうか、少しだけ不安になってたら。

 やがて、琴音ちゃんは俺を見つめたまま、潤んだ瞳からツーッと涙をこぼした。


 思わず琴音ちゃんがこぼした涙を親指で拭うと。


「……はい……喜んで……」


 よっしゃああああぁぁぁぁ!!!

 と、ガッツポするヒマもなく。琴音ちゃんは糸が切れたように号泣し、俺に抱きついてくる。


「あああああぁぁぁぁぁ……! 嬉しい、うれしいです! もうわたしぃぃぃぃ……祐介くん以外、好きになれないぃぃぃぃ……!」


 嗚咽交じりの琴音ちゃんを抱きしめ返すと、ふわりと鼻に届く、琴音ちゃんのシャンプーのにおい。これぞスメルズ・ライク・アオハル・スピリット。

 そしていろいろ柔らかくて、琴音ちゃんがたまらなく愛おしくなって。


 よっし。

 ここは二人、幸せなキスをしてデート終了だ。キスで子どもはできないからな。


 ──なんて邪なことを考えていると、身体の一部分が妙に熱を帯びてくる。


「……えっ?」


「……」


「……き、きゃああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」


 さっきまで俺の胸のなかで喜びの涙を流していた琴音ちゃんが、俺の身体の一部分の変化に気づき、ばっと離れた。


 なんていうか、その、下品なんですが……ふふ、勃起、しちゃいましてね……


「あ、ああああ、あのあのあのあのあの」


 思いっきりキョドる琴音ちゃん。さっきまでの甘い雰囲気がどこかへ。


 いやだってしゃーねーじゃん!

 あんなにかわいい琴音ちゃんが、はっきりとカノジョになってくれたんだよ!?

 チューする妄想しちゃったら、健全な男子ならば股間に鶴ヶ城くらい建設されんだろうがよ!!!

 モナ・リザを初めて見た吉良と同じどころのレベルじゃねえわい、やわらかいしいいにおいするし!!!!

 クッソ、もうこうなりゃヤケだ、息子をぐるぐる回して『へんちん〇コイダー』になってやろうか!!!!!


 ……コホン。

 まあ自分を正当化するのは見苦しい。やめよう。あと鶴ヶ城なんて立派なもんじゃなかったです。木造平屋二階建てくらいでした。見栄はってごめんなさい。


 幸せなキスどころか、下半身だけ野獣先輩になって終了とは思わなんだ。

 無敵の服部にはまだ遠い。


 …………


 しかし琴音ちゃんも。

 あんなにホテルではしましょうとか大胆なこと言ってたのに、いざもっこり山にぶち当たったらこんなもんですか。O滝秀治さんも絶叫してるぞ。


「ご、ごめんなさい! 取り乱してごめんなさい!」


 琴音ちゃんは謝りつつも、先ほどと比べ何となく俺と距離を取ってるように思う。

 おっかしーなー、予定が狂った。


 …………


 ま、いっか。

 少なくとも、これで正式にコイビトとして昇格できたわけだし。


 …………


 いつか、名誉回復のために頑張ろうっと。

 俺たちの本当の幸せは、これから始まるんだもんね。

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