少しだけ、間男気分

 しばらくして、ようやく涙も収まって。

 現状は何一つとして好転していないのに、なんとなく心は軽くなったように思う。


 それは、白木さんも一緒だったようで。


「……誰かが一緒に泣いてくれるって、割といいものですね」


 目をこすりながらもそう言ってくれて、俺は救われたんだ。

 でも、白木さんははっきりと同意しなかった俺に不満だったようだ。


「……少しだけ、制服の裾、お借りしますね」


 俺の反応がないのに焦れたのか、そう宣言して、許可も得ずに俺の制服の裾を自分の顔に近づけた。

 涙でも拭うのだろうな、とか勝手に思ってたら。


 ちーん。


 それだけでは飽き足らず、あろうことか俺の制服で鼻をかみやがった。反射的に俺は身を離す。


「な、なにするんだよ!」


「……失礼、かみました」


「そのセリフ、使い方がおかしいと思うんだけど?」


「今のわたしには迷いが出ているから許してください」


「マヨイ違いですかそうですか」


 なんとなく初めて会った昼休みを思い出す会話。目が赤いまま、お互いに少し顔が崩れる。


「……ありがとね、白木さん。独りじゃなくてよかった」


 誤解されないようにしみじみそう言う俺。白木さんは目だけ赤木さんになっても、それにちゃんと答えてくれた。


「……こちらこそ、です……」


 美少女の鼻水がついた制服をどうしようか、なんて悩みが今は一番大きい。不思議だな。

 そして、もっと白木さんのことを知りたいと思う。


「……そういえばさ、白木さんは」


「……はい?」


「なんで、池谷と付き合うことになったの?」


 今、それを尋ねるのは間違いかもしれない。また悲しみをぶり返させるだけかもしれない。

 そうわかっていても、あれほど彼女を悲しませる存在である池谷とのめを知りたいと、素直に思った。


 幸い、白木さんは気分を悪くしたりしてないみたいだ。


「……入学して一週間ほどして、いきなり池谷君から告白されたんです。『彼氏がいないならつきあってほしい』って」


「へっ? 知り合って仲良くなってから、じゃなくて?」


「はい。本当にいきなりでしたが、生まれて初めて告白されて嬉しかったので……」


「……ちょっと待って」


 初めて? 告白された?

 白木さんほどのスペックをもってして、池谷が人生初の告白相手?


「うっそだぁ。白木さんなら、中学時代から引く手あまただったんじゃないの?」


「どこをどう見たらそう思えるんですか……人見知りするし、話すの苦手だし、わたしなんて……」


「いやいや、モテるでしょふつうに。おっぱい大きいし」


「お、おっぱい大きいのとモテるのはまた別問題じゃ……だいいち、クラスメイトですらも、いまだに顔を覚えてもらってない人もいるんですよ?」


「あー、それは確実におっぱいに目を奪われすぎて、白木さんの顔まで目がいってないせいだな」


「そ、そんなぁ……ううぅぅ、この胸がやっぱり恨めしいです……」


 ギュッ、ギュッと自分で自分の胸をつぶそうとする白木さんがほほえましい。持たざる者からしてみれば憎悪の対象でしかないことは俺でもわかるけど。


「ど、どうにかして縮める方法はないのでしょうか……」


「サラシでも巻けばいいんじゃない?」


「そっ、それです! 緑川くんひょっとして天才ですか?」


「素で言ってるのそれ? まあいいや、ならついでに特攻服を着てレディースのコスプレしてほしいかも」


「それをしたら向井琴音になってしまいます……わたしは今井琴音をめざしてるんです」


「デ〇ステ知ってるのか……」


「あっ……こ、この前、プロダクションマッチフェスティバルでエナドリ五千本飲んだばかりだったので、つい……」


「デ〇マスのほうかよ! いくら課金してるんだ!」


 いかんいかん。話が脱線しまくりんぐだ。


 …………


 でも、本当にわからないもんだ。

 さっきまでわんわん泣いていたのに、白木さんとこうやって話しているだけで、いつもの自分を取り戻せるんだもんな。


 なのに。


「……本当は、わかってるんです」


 白木さんは、また浮かない顔をする。


「なにが?」


「池谷君が、わたしのことを……そんなに好きではないということが」


 自虐的な告白に、俺は黙らざるを得ない。


「池谷君が告白してきて、わたしは浮かれてました。彼氏ができるのも初めてで、どうしていいかわからなかったわたしは、せめて池谷君に幻滅されないように、必死で頑張ってきました」


「……頑張る?」


「はい。池谷君が楽しくいられるように。池谷君が笑顔を見せてくれるように。池谷君がもっとわたしを好きになってくれるように。苦手だけど会話をたくさんしようと。苦手だけど精いっぱい笑顔でいようと。でも、わたしはスキンシップだけはどうしても抵抗があったんです。キスやセックスはもちろん、手をつなぐことすら恥ずかしくて」


 セッ……じゃなくてモロ言っちゃってるけどいいのかなあ。いや、そこは触れないでおくのがせめてもの情けなのか。


「そんな態度で、池谷君がもっと好きになってくれるはずがありません。陰口も言われました。『胸が大きいだけで愛嬌も面白みもない女、どうせすぐ別れるよ』とか」


 断言しよう、それは間違いなく嫉妬だ。ねたみだ。そねみだ。ジェラシーだ。

 っても、悪意を悪意ととらえられないほど余裕がなかったのだろう、とは容易に推測できる。


「笑っちゃいますよね、反論できないんです。そしてさっきの二人を見て痛感しました。わたしがスキンシップを許さなかったから、池谷君の心がわたしから離れていったんだ、って」


 あいたたた。痛い、痛いよ白木さん。それ俺にも大ダメージだってば。


 でも、俺はそう思いたくない。

 身体のつながりって、確かに大事だとはわかるんだけど。

 俺と佳世の今まで積み重ねた十数年間の月日が、肉体的な満足感に負けるなんて思いたくない。


 だから、あえて言うことにする。


「俺は、そうは思わない」


「……えっ?」


「スキンシップで全て満足するなら、言葉なんていらないじゃん。少なくとも俺は白木さんと会話していて楽しかったし、会話することで仲良くなれた気がする。お互いに全然知らない相手だったのにね」


「……」


「もし俺が池谷の立場だったら、たとえキスやスキンシップをしなくても、白木さんをもっと好きになっていた気がするよ」


「だ、ダメです!」


「……はい?」


「それ以上ダメです! いろいろと、ダメです!」


 ダメ出しされてやっと、白木さんが耳まで赤木さんになってたことに気づき、俺はハッとした。

 うわー、何本気でのたまっちゃってんの俺。彼氏いる相手を口説く間男みたいじゃんか。

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