第4話
結局、午後の2時間は仮病を使って保健室で休んでしまった。とても授業を受けられるような気分じゃなかったから、気分が悪いというのはあながち間違っていなかった。ベットに横になっていろいろなことを考えた。一人でいるのは気楽でもあったが不安でもあった。
放課後になって職員室に寄った。担任は明日までの課題だと英語のプリントを差し出しながら言った。
「体調はもう大丈夫か。」
「あ、はい。平気です。すみません。」
「朝から様子が変だったって担当の先生から聞いたぞ。」
「ああ・・・。」
「無理は良くないぞ。努力家なのはみんな認めてるがな、朝日は頑張り過ぎることがあるからな。」
はは、と愛想笑いをして俺は職員室を後にした。
廊下に出ると、たくさんのノートが入った段ボール箱と、何かの実験に使うような鉄のバーみたいなものを、危なっかしくよたよたと運ぶ女子生徒がいた。それは見覚えのある後ろ姿だった。
「霞?」
彼女は振り返り、
「あ。」
と言った。
霞は俺の幼なじみだ。家も近所で親同士が仲がいいということもあって、昔はよく一緒に遊んだ。そんな付き合いだから、霞と俺はお互いになんでも言い合える関係だった。
俺は霞の大荷物を見かねて手伝うことにした。
「うちの担任さぁ、マジで頭おかしいと思わない?日誌出しに行ったら、これ全部物理準備室に運んどいてって言うの。いやいや、一人で持てる量じゃないだろ!って言ってやりたかったわぁ、あのハゲに。」
「誰か呼びに行けばよかったのに。」
「こんな時間じゃもう教室誰もいないよ。・・・てか、圭人が学校残ってるって珍しくない?塾は?」
「ああ・・・今日は塾行かないんだ。午後は保健室にいたから、その・・・職員室に用があって。」
「えっ!?具合悪いの!?ごめん、手伝わせて!」
霞はガシャンとバーを置いて、俺が持っているノートがどっさり入った箱を取ろうとした。
「ああ、いいよ。大丈夫。今はもう全然平気だから。」
「ああ、そう・・・。なんか、悪いね。ごめん。」
「いや、いいんだって本当に。俺が手伝うって言ったんだから。」
そっか、と霞は呟くように言ってまた歩き出した。
こうして霞と話すのもなんだか久しぶりな感じがする。クラスが別だとはいえ、学校で毎日顔をあわせるはずなのに。不思議にも思ったが、俺は霞との会話で少し心が和むのを感じた。懐かしいような、ちょっと昔に戻ったかのような、そんな心地だった。
そうこうしているうちに、物理準備室に到着した。短いようにも思ったが、職員室からここまでは結構距離があったから、やはりこの荷物を霞一人で運ぶことになったいたら相当大変だったろう。
「はぁー。終わったぁ。本当ありがとね、圭人。もう超助かった。」
「いえいえ。別にこれぐらいどうってことないし。・・・それに・・・。」
「あっ、成田くんだ。」
「え?」
グラウンドに面した物理準備室の窓からはサッカー部の練習の様子が見えた。霞はおもむろに窓を開け、桟にもたれかかって外を覗き込み始めた。サッカー部はどうらやらミニゲームのメニュー中らしい。真っピンク色のビブスや、奇抜な色合いのスポーツTシャツが夕方の強い日差しと黄土色のグラウンドに映えて、視界がうるさかった。その中でも、特に眩しい蛍光イエローのTシャツを着た成田がいた。
成田は同学年のサッカー部のエースで、学年内でも目立つ存在だった。俺は霞が成田のことを知っている風なのが少し引っかかった。
霞は真剣にサッカー部の練習風景を眺め始めた。俺もなんとなく霞の脇で同じようにもたれかかって、グラウンドを見下ろした。
静かな時間だった。多分10分もしないくらいの時間だったと思う。でも、俺にはとても長く感じられた。後ろの方で、部屋の古びた時計がコチコチと秒針を鳴らしていた。その間二人とも黙ってボールの行方を追っていた。サッカー部の部員たちは、走り回った汗と砂とでボロボロに見えた。霞はその様子を食い入るように熱心に見つめていた。あいにく、俺は彼らのその姿からは何も感じなかった。なんだか全てが他人事のように思えてきて、全てが俺の前を流れ去っていくような感じがしていた。
成田がロングシュートを決めて、霞はわっ、と小さく声をあげた。同じチームのメンバーに囲まれる成田を眺めながら俺は言った。
「霞は成田と仲いいの。」
霞もグラウンドから目を離さないまま言った。
「なんで?」
「なんか、成田のことよく知ってそうな感じだったから。」
「成田くんは有名だもん。」
また静かな時間が流れ始めた。
今度は霞から口を開いた。さっきよりも沈黙の時間は短かった。
「ねぇ、悩み事でもあるの?」
「え?」
「だっておかしいでしょ?こんな急に話しかけてくるなんてさ。」
今度は体ごとこちらを向いていた。急な台詞に俺は少したじろいだ。
「そんなに珍しいっけ、霞としゃべるの。」
「そうだよ。前は会っても話してくれなかったじゃん。」
「そう・・・だったかな。」
どうしてか、俺には身に覚えのないことだった。でも、今日を除いて最後に話したのはいつだったか、全く思い出せなかった。霞はほんの少し感情が高ぶっているように見えた。
「風邪ひいたこともない圭人が具合悪くて授業休むなんて信じられない。その割には元気そうだし・・・。保健室で休んでたって、仮病だったんじゃないの?なんからしくないよ、そういうの全部・・・。」
やはり霞の前で隠し事や変なごまかしは出来なかった。見透かされたようで俺は落ち着かなかった。霞には俺が普通ではなくなってしまったことをあまり知られたくないと思っていたのだ。
「何か悩み事?隠してることがあるんでしょ。思いつめるような顔しちゃって。」
「別に・・・。なんでもないよ。」
「嘘。圭人の嘘つく時の癖、左耳触ってから下向く。」
俺はサッと左耳から手を離した。
「いや、だから、本当そんなんじゃ・・・。」
「何!?なんなの!?なんで私に隠し事すんの!?私そういう水臭いのが一番嫌いなの圭人は知ってんでしょ!」
霞は俺の肩を掴んでゆさゆさと揺らした。昼の件もあったから、正直なところ、もう誰にもこの力のことは話したくなかった。特に霞には知られたくない。常臣に話してしまったのも取り消したいくらいだ。だが、俺は昔から霞のこういう圧には弱かった。
霞はゆさゆさを止めて言った。
「ねぇ、私に隠し事なんかしないでよ。私、秘密だってちゃんと守るよ?私と圭人の仲じゃん。・・・それとも、私にも言いたくないことなの?」
一瞬の葛藤の後、おれはとうとう降参した。
「・・・じゃあ、・・・ちゃんと真剣に聞いてくれよ。」
「もちろんよ。ほら、早く。」
俺は霞に全てを話した。霞も常臣同様、特に驚きせずに静かに聞いていた。
「・・・ていうことなんだけど・・・。」
「ふーん。・・・でもそれはさ、常臣くんのいう通りだと思うよ。」
「え?」
「そんなことは私らに言われてもちょっと分からないっていうか。それに死ぬってわけじゃないんでしょ?そんな悲観的にならなくてもいいんじゃない?」
確かに死ぬわけではない。中身が別人になるだけだ。しかし、俺はもう気づいてしまっているのだ。それがどんなに恐ろしいことなのかを。
「た、確かにそうだけど、別人格になるってことはつまり、俺が・・・俺じゃなくなるってことで・・・。」
「んー、難しいことは私よくわかんないけどさ、元に戻るか戻んないのか分からないんだったら、ここはもう受け入れて前に進むしかないよ。いつまでもウジウジしてんなって。」
霞は俺の言葉を遮って軽く受け流すように言った。俺の中に不信感が募っていく。
「・・・・・・。常臣に言った時も思ったけどさ、驚かないの?俺がその・・・超能力者みたいになったって聞いて。」
「ええ?だって、世界中にいっぱいいる人のうち、一人くらいそういう人がいてもいいんじゃないかなーって、私は思うけど。」
「ああ、そう・・・。」
そんなものだろうかと、俺は一瞬考えた。でも俺は望んでこんな力を手に入れたわけじゃない。できることなら、一生普通な、その他大勢のままで終わっても別によかったんだ。どうしてみんな俺の気持ちをわかってくれないんだ。どうして俺の気持ちは伝わらないんだろう。どうして・・・。
「もうさぁ、そんなに気になるんだったら先生にハガキでも送んなよ。」
「先生?」
「ほら、推しのラノベ作家さん。いたでしょ?」
「ラノベって・・・、あのさ、常臣にも言ったけど、俺は別に・・・。」
「その人に、僕は急に超能力に目覚めてしまったんですがどうしたらいいですか?って聞いてみたらいいじゃん。」
霞はまた遮って言った。
「聞かないし。・・・やっぱりお前も、俺の話聞かないんだな。」
「ちゃんと聞いてるって。だって、私らより絶対そういう知識とかありそうじゃん?」
「・・・。」
「普通の高校生にはどうしようもないですわぁ、そんなこと言われても。」
「お前が話せって言ったんだろ。」
「だって、そんな内容だなんて誰も思わないでしょ、普通。」
霞は拍子抜けといった感じで、近くにあった椅子を引き寄せて腰掛け、また窓の外を眺め始めた。
俺の中で不信感は憤りに変わっていった。
それでも、だんだん何も感じなくなっていて、フェードアウトするみたいに音が消えていった。せわしなく鳴く蝉の音も、耳障りなグラウンドから聞こえてくる掛け声も、もうどうでもいいか、そう思ったのに呼応して、何もかもが俺の世界から消えた。
そうか、俺ははなっから”普通”なんかじゃなかったんだ。
そんな奴が何を嘆いても悲しんでも無駄なんだ。
そう思うと俺はたまらなくなった。もうこんな場所にはいたくなかった。
俺はきっと最初からわかってたんだ。本当バカだよな。
俺は準備室のドアを開けて廊下に飛び出した。最後に遠くの方で霞が俺を呼ぶ声がしたがどうでもよかった。俺はそのまま走り出した。
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