(二)戦士の背中①

(二)


 一人の騎士が狭い部屋で朝を迎えた。

 騎士の名はストリオ・グスターク。ゼストア王国軍の将帥であり、ヴァストール王国とベスカータ砦で交戦して破れ、今は虜囚として過ごす日々を送っていた。

 室内は最低限の物を備えてはいるが、部屋と言うよりは牢と言った方が良いだろうか。部屋も地下の石牢のような場所ではなく、手枷を付けられることもない。敵将に対する礼を失する事の無いよう配慮しているということなのか。

 グスタークは小さな窓から射し込む朝の光に向かって、小さくため息をついた。

 あの敗戦からひと月程度は経ったとは思うが、正確に何日なのかは数えていない。敗戦後も恥を晒すように生かされてはいるが、勝者はこの身をどうするつもりなのか。

 そして、戦場で最後に立ち向かってきたあの相手は何者だったのか。あの時もし無傷だったとして、勝つことができただろうかと自問する。

 剣を折られた一撃の手の痺れは今でもはっきりと思い出せる。同時に剛の者であるという自負をも叩き潰され、大きな屈辱を味わった瞬間だった。

 ゼストア王国軍は、総司令官であるカイファー王子こそ無事であったものの、多くの死者を出して撤退を余儀なくされた、と同じように虜囚となった部下から聞いている。自分が不甲斐なく敗れた事も、敗戦の一端であるという自責の念が有る。

 再びため息をつきかけたところで扉が数度叩かれ、グスタークは鬱陶しげに扉を見やった。

「グスターク将軍、これから少々話が有るのだが、よろしいかな?」

 扉に付けられている小窓から誰かが顔を覗かせる。

 グスタークは気持ちを切り替えると、格子の向こうからの呼びかけに応じるように、短く「構わない」とだけ答えた。



 同日、ミルエルシ家の邸宅でのこと。

 休日のため自らの書斎に籠り、領地資料を確認していたラーソルバール。小さく扉を叩く音がしたのに気付いて、視線を上げた。

「どうぞ」

「お仕事中に失礼します」

 扉を開けて入って来たのはエレノールだった。

「お嬢様宛に王宮から封書が届いております。旦那様にも届いていましたので、恐らく同じ内容かと思われます」

 差し出された手紙を眉間にしわを寄せながら受け取ると、ラーソルバールは渋々といったようにナイフで開封した。

 と、書面に目を通した主人の顔がほころぶのを見て、エレノールは思わず失笑する。

「何か良い事でも書かれていましたか?」

「え? ああ、来年の新年会は開催しない、という連絡」

「それで……何で嬉しそうにしておられるんですか?」

 ラーソルバールの答えが分かっていながらも、エレノールは少々意地悪く尋ねてみた。

「エレノールさん、私がああいう堅苦しいが嫌いなのを分かってて聞いてるでしょう?」

 苦笑いで返すと、エレノールはにやりと笑う。

「それだけではないですよね?」

「意地悪……」

 ラーソルバールは口を尖らせて、抗議するようにエレノールを見る。

「そんな可愛い顔をしても無駄です……。いえ、可愛いお嬢様も好きなのですが……」

 エレノールは伸ばしかけた手を止めて、首を振る。そして咳払いをひとつしてから、再び口を開いた。

「ええと……。好む好まざるに関わらず、今のお嬢様には名も実も有ります。ウォルスター殿下個人はともかく、公の場に出れば様々な人に関心を寄せられたり、監視されたりするのではないか、とお思いなのでしょう?」

「まあそうかな……。王家や大臣たちは、私が反王家の派閥に取り込まれるんじゃないかと気にしているっぽいんだよね……。エラゼルが王太子妃になるっていうのに、わざわざ敵対するような事を私がする訳ないのに……」


 カレルロッサ動乱以後、表面上は穏やかに見える王家と貴族の関係だが、内に燻る炎は消えてはいない。反王家を明確に掲げている訳ではないが、少なからず王家に対し不満を抱えている家も少なくはない。

 幸か不幸か、他国からの侵攻などが程良い危機感となって一時的な結束を強めているが、何か切っ掛けが有れば再び炎が燃え上がらないとも限らない。


「お嬢様がどう思っておられるかに関わらず、当家には目に見える後ろ盾が無い状態である事は間違いありません。反王家側を掲げて実権を手に入れたい者達にとって、国民の人気も高いお嬢様は派閥に取り込むのに最適な存在です。その上、エラゼル様を蹴落とせさえすれば、王太子妃に据える事も可能な立場なのですから」

「それは理解しているつもりなんだけどね……」

「婚約の宴以降あちこちの家から、夜会やら茶会の招待状が届いているのが何よりの証拠です」

 机の端に積み重ねられた書状の山に視線をやって、ラーソルバールは大きくため息をついた。捨てるなら開封してからにしようかなどと迷い、そのまま放置されている。

「その気になれば、メッサーハイト家やデラネトゥス家などが喜んで後ろ盾になってくれるとは思いますが? そうすれば安心できると思いますよ」

「迷惑かけそうで怖いし、自分の影響力が大きいだなんて認めたく無い……。できればしばらく王都を離れて色々忘れて、騎士の仕事に専念したいなあ……」

 ラーソルバールがぼそりとつぶやいた一言が、数日後に現実のものとなる。

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