(三)「聖女」と「聖なる乙女」③

 ファルデリアナはまだ少し怒りが収まらない様子で、手にしていた扇子をぱちんと鳴らし、ウォルスターに食って掛かる。

「殿下にこんな事を申し上げるのは筋違いだと分かっておりますが……。あれが聖なる乙女などというのは片腹痛いですわ」

「ふむ……」

 アストネアに好意を抱いているのか、それとも「妹」と慈しむ思いがあるからなのか、ウォルスターから歯切れの良い答えは返ってこない。

 ラーソルバールも彼女に対して思うところはあるものの、ファルデリアナと王子のような近い関係でもないだけに、下手な事を口走ればどうなるか分からない。今、彼女の話を続けたところで悪口を重ねてしまいそうな気がする。

 思い直して、いっそ話を逸らせてみようかという気になった。

「ファルデリアナ様のお怒りは良く分かります……。聖なる何とやらと呼ばれるべきはイリアナ様のような方であるべきと思いますが……」

「……ん?」

 ラーソルバールの言葉が意外というようにウォルスターが反応した。

「何か変な事を申し上げましたでしょうか? イリアナ様は淑女として文句の付けどころなど有りませんし、温和で物腰も柔らかく皆にお優しい方です……。以前から婚約者候補についてお聞きしたかったのですが、お体の弱かったルベーゼ様は止むを得ないとして、何故はデラネトゥス家からはエラゼルに絞られ、王太子殿下と年の近いイリアナ様が候補に挙がらなかったのですか?」

「ぷっ……。……それはな」

 ウォルスターはファルデリアナと顔を見合わせた後、互いに苦笑いをした。


「もちろん初期の候補には上がったさ……。だが、それを耳にした兄上が彼女だけは絶対にやめてくれと、全力で拒んだんだよ」

「え……?」

 意外な回答にラーソルバールは呆気にとられ、背後で話を聞いていたシェラも驚いて首を傾げた。

は良く言っても非常に恐ろしい姉のような存在でな。もし結婚しようものなら尻に敷かれる未来が待っているだけだ、と兄上は思ったのだろう……」

 ウォルスターが大笑いしながら語る様は、冗談を言ったり嘘をついているようには見えない。だが、真面目で堅物そうな王太子が「全力で拒む」だとか、イリアナが「恐ろしい姉」というのは、どちらもラーソルバールにはぴんとこない。

 隣のファルデリアナも扇子で口元を隠しながら笑いを押し殺しており、ウォルスターの言を肯定しているように感じられた。

「おっと、こんな話を本人に聞かれたら、精根尽きるまで説教されかねないな」

「左様で御座いますね」

 ファルデリアナも異論がないというように、大きくうなずいた。

 果たして自分たちがイリアナの内面まで見ていないのか、それとも「恐ろしい姉」というのは親しい者にだけ見せる姿なのか。

「まあ、子羊のような毛皮の下には……」

 ウォルスターは言いかけて止めると、少し視線を逸らすように首を横へ向けた。と、何かに気付いたようにファルデリアナも慌てて顔を扇子で覆うように隠した。

「どうかされましたか?」

「いや……、何でもない」

 あからさまに不自然なウォルスターとファルデリアナの挙動。向けていた視線の先には恐らくイリアナが居たのだろうと思い至り、ラーソルバールはこみ上げる笑いに抗う事が出来なかった。


 誤魔化すようにひとつ咳払いをしてから、ウォルスターは平静を装って口元を引き締めた。

「……とにかく、だ。教会云々など関係なく、そなたこそ実際に民に聖女と慕われる存在なのだから……」

 話を逸らしたつもりが何故か自身の事に置き換えられたので、ラーソルバールは慌てた。

「いえ。私は騎士であるが故、戦に出れば人を殺める事もあるのです。そんな者がさも慈愛の人であるかのように、聖女などと呼ばれる事には違和感がありますし、後ろめたさも感じてます。出来れば私はそんな人間ではないと、大きな声で叫びたいくらいなのです……」

「そうか……」

 王子であるウォルスターが口にすると、余計に聖女という呼称が重く心に圧し掛かるように感じられる。その重さに耐え切れずに、思わずウォルスターの言葉を遮るという無礼まで働いてしまった自身が、非常に情けなく思えてきた。

「申し訳ありません、お言葉を遮ってしまうような無礼を働いてしまいまして」

「いやいや、それが正常な感覚なんだろう。だが、人々から賞賛されてもそれに溺れる事無く真摯な考えを持てるからこそ、聖女と呼ばれるに相応しい者なのだと思うがな……」

 無礼などとは気にも留めない様子でウォルスターは優しく語りかける。

 傍らのファルデリアナは二人の様子を見ながら静かに微笑むだけで、何も語ろうとはしない。

「いえ、買い被りすぎでございます……」

「私から見ても申し分ないと思うが、本人の想いは違うというのは理解した。だが今は国にも民にもそうした支えとなる存在が必要なのだ。それを押し付けてしまう事に心苦しさはあるが、できれば理解して欲しいと願うばかりだ」

「はい。殿下のお心遣いに感謝し、お言葉をしっかりと受け止めさせて頂きます」

 ラーソルバールは唇をきゅっと締めて頭を下げた。

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