(四)想いは彼方③

 ラーソルバールは部屋戻ると、荷物を置いて上着を脱いだ。

「エレノールさんは、何の話か聞いてる?」

「いえ……。ただ、何度か子爵からの手紙を旦那様にお渡しした記憶はあります」

 何度か手紙を受け取っていたのなら、少しは娘である自分にも話してくれていてもよさそうなもの。それを言わないというのは……。

「身内の恥ずかしい話のような気もするなぁ」

 食事へ向かう廊下を歩きながら、苦笑いする。


 間もなく食卓についた親子二人。配膳を終えた侍女たちは皆、部屋から出て行き室内に残っているのはエレノールだけとなった。

「私も外していましょうか?」

 脇に控えていたエレノールはクレストに尋ねた。

「ああ、いてくれて構わない。……というか、第三者としての意見を聞くかもしれないから、居てくれた方がいいかな……」

 そう答えると、クレストは覚悟を決めるように食前酒をあおった。

「……さっきの子爵の話は、いずれお前にも話そうと思っていたんだが」

 言い辛そうに話を切り出すと、空になったグラスを静かにテーブルに置いた。

 そんないつに無く迷いを見せる父の顔を、ラーソルバールは黙って見詰める。

「実はミランデール家の三男をうちの養子にしろと言ってきてな……」

「はぁ……?」

 予想外の話にラーソルバールの口から出た言葉は、短くそして非常に抑揚のないものだった。


 養子として受け入れ。そんな話が出たのには理由がある。

 本来であればミルエルシ家の家督は、ただひとりの子であるラーソルバールが継ぐはずであった。ところが思いがけずラーソルバール自身も爵位を得ることになり、もしクレストに何か有れば、かねてよりの爵位と領地といった家督の相続を放棄するか、自身の爵位と領地を返上するかを選ばなくてはならない状況になってしまっていた。

 ここに目を付けたミランデール子爵は、現時点で爵位を手にする見通しの無い息子をクレストの養子にいれようと考えたのである。


「なるほどね……。でも、父上としてはそれを認めるつもりは無いんでしょう?」

「まあな……。王家から頂いた物だから、継ぐ者が居なければ返上するのは当然だろう」

「ん……と、理由はそれだけじゃないんでしょう?」

 歯切れの悪い言葉には言いにくい事が有るのだろうと、ラーソルバールは更に問いかける。

「ああ、元々はお前の婿にって話だったんだが、二十歳までに良縁が無ければ考える、と言って逃げてたんだ。そうすれば、向こうにも何かいい話でも有るだろうと」

「な……」

 今になって明かされた話に、驚きを通り越して呆れるしかなかった。

 親戚とはいえ、当の本人に会った事は一度も無いように思う。人となりも全く知らないが、結局は良縁も無かったのだろう。ミルエルシ家の状況が変わったのを好機と見て、矛先を切り替えてきたという事になる。


「狙いは爵位ですって言っているようなものだよ。随分とふざけた話だね」

「そう思うよな……。子爵も今までは書面で交渉してきていたんだが、らちが明かないと思って行動を起こしたんだろう……」

「なるほど。……とにかく、この話は娘としては断固反対します」

 子爵のあの態度を見れば、断れば関係は悪くなるだろうが致し方ない。ラーソルバールは意見を述べた後、意見を求めるようにちらりとエレノールの顔を見た。

「ご令息の件ですが……。ミランデール子爵家とフェスバルハ伯爵家は隣接していましたので、噂は聞いたことが有ります。お話の三男のクラミーロ様は見目は整っているものの、気性も荒く素行が悪く浪費癖があるなど、良い話は聞きませんでした。それと少々おつむの方も……」

「あはは……」

 ラーソルバールも乾いた笑いを返すしかなかった。

 子爵としてはそんな息子でも可愛いのだろうが、押し付けられる側としてはたまったものではない。

「そもそも旦那様は、お嬢様の婚約話は全てお断りされていたのではないですか?」

「え、そうなの?」

 エレノールの言葉にラーソルバールは驚いたように、父の顔を見る。

「アントワール様との婚約話を何度持ちかけても断られたと、フェスバルハ伯爵様が嘆いておられましたから」

「え、あの話、本気だったの……?」

 何度か伯爵や夫人からその話をされていたが、冗談だと思っていた。

 恋愛感情はともかくとして、アントワールの妻であれば、それなりに幸せな生活を送ることができるだろうとは思う。

「フェスバルハ伯は相当お前の事を気に入っているみたいだからなぁ。……まあ、結婚相手を決めるのはお前の仕事だ。政略結婚なんてさせるつもりもないし、私が口を挟むものでもないだろ?」

「はいはい。ありがとうございます」

 ラーソルバールは苦笑いで返した。

「で、話は戻るけど。受けるかどうかは別として、養子縁組ってそんなに急ぐような事?」

「まあ、向こうも年齢的なものがあるから体裁もあるし、婚約の宴と新年会という王家の催しが続く。披露するには絶好なんだろうな」

 父の考えは恐らく的を射ているだろう。だが、大事な友の婚約披露の場が貴族の自己顕示の場に使われるかと思うと、気分の良いものではない。

「そんな下心が有るなら、尚更断って下さい!」

 ラーソルバールは父に苛立ちをぶつけるように言った。


 食事を終えて部屋に戻ったラーソルバールは、静かに机の引き出しを開けた。

 中にはアシェルタートから贈られた手紙の束が収められており、ラーソルバールはその束をひとつ取り出すと大きなため息をついた。

 そもそもアシェルタートの妻になろうと思うなら、爵位も領地も全て捨てる事になる。それでも今すぐに、と思い切れなかったというのは彼に対する愛情が薄いという事なのだろうか。それとも……。

 まだ早いと目を背けていた事が今になって自身の心に突き刺さった。

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