(三)風に踊る青葉のように①

(三)


 ラーソルバールは法務省からのある事件の報告書を受け取り、そこに書かれた内容を一読した後で大きくため息をついた。


 報告書にあった事件が起きたのは九月十二日のことである。

 この日、朝から陽の光を遮るように黒い曇が空を覆っていたが、昼からは遂に雨が降り出した。そして雨は夕刻を過ぎる頃に激しさを増し、街は暗闇に包まれた。

 夜になっても雨は衰える事無く降り続き、雷が時折空を照らすような荒天となる。人の足音どころか、馬の蹄が石畳を叩く音すらも掻き消すような雨音が続く。

 誰もが外出を嫌うような天候の中、事件は起きた。


 王都の西にあるフルールノ商会の店舗は近隣の人通りが途絶えたことで、通常よりも早く閉店の支度を始めた。そして、店員が入り口の鍵を掛けようとした直後だった。

 武装した数名の男達が一斉に店内に侵入し、女性店員を人質にとると、命と引き換えに金品の要求を行い、加えて会頭の呼び出しを行ったのである。

 突然の賊の侵入に、慌てた店員達は動揺し恐怖のあまり抵抗せずに金品を渡し、会頭を呼びに行く素振りを見せた。あまりにも簡単に事が運び、賊達は成功を確信した。

 だが、この賊の目論見はすぐに崩れ去ることになる。

 店員に偽装していた騎士や警備兵達が油断した賊の隙をついて、一気に制圧したのである。

 これは商会への直接の攻撃が有ると踏んだ法務省が事前に手を打っていたおかげであり、賊は全員捕縛される事となった。

 この事件では警備兵側に軽傷者が出た程度で、商会に大きな損害が出る事は無かったものの、丁度その日は会頭やその親族が建物内に居合わせていただけに、一歩間違えば大事件に発展するところであった。

 襲撃は馬車ひき逃げ事件の報復か、警告か、それとも全く関係の無い別のものなのか。賊達は捕縛後に尋問されたものの口を割らず、翌朝背後関係を自供する前に全員が牢内で不審な死を遂げたのである。

 検死の結果、死因は毒によるものであり、口封じされたのだと断定されたが、毒物の入手経路も分からず、警備兵の内部に事件の関係者が居るという可能性も出るなど、事件は混迷を極める事になる。

 それでも、フルールノ商会は次の襲撃が有るのかさえも分からず、調査の報を待つしかなかった。


「仕掛けたのはベッセンダーク伯でしょうか?」

 ラーソルバールから渡された報告書を読み終えると、エレノールは不快感を隠そうともせずに尋ねた。

「恐らくはね。伯爵が絡んでいるんだろうけど、貴族相手じゃ証拠が無ければ迂闊には動けないしね」

 厄介なのは、商会内部や警備兵にも買収された内通者が居る可能性がある、ということである。

「商会相手であれば、やったのは金目当ての強盗だと言い逃れる事は出来るでしょうが、当家にはその手は通用しません。直接手を出してくるほど愚かだとは思いませんが、可能性は無いとは言い切れませんね」

「うん、十分注意しないといけないんだけど……。でも、仕掛けて来るなら来月かな?」

「来月ですか?」

 意味するところを理解しかねたようなエレノールの問いに、ラーソルバールはただ苦笑いで返した。


 九月十八日。

 この日、久々のドレスを纏う事になったラーソルバールだが、朝から緊張しながらも浮かれた気持ちになるのを抑えられずにいた。

 この日の午後、過去二年のようにエラゼルの誕生会がデラネトゥス家の王都別邸で開かれる事になっていたが、王太子婚約の宴が近いとあって今回はごく近しい者だけを招かれるものとなった。

「ああ、ラーソルバール嬢……いやミルエルシ男爵。よくお出で下さいました。デラネトゥス家一同歓迎致しますぞ」

「本日はお招き頂きまして、有難う御座います。閣下御自らのお出迎え、誠に恐れ多いことです」

 デラネトゥス公爵に出迎えられ、ラーソルバールは深々と頭を下げた。

 ただの娘の友人で有れば公爵自身が出迎える事など無いだろうし、会ったとしても一礼するだけで済むが、爵位を持っている以上は互いに形式的にでも挨拶は必要である。

「いやいや、貴女にはどれ程世話になっている事か……。我が家の賓客に対して失礼が有ってはならないからな」

「賓客など滅相も有りません……。父子共々ただの貧乏貴族に御座います」

 公爵の言葉は形式的でありながら、自身がもう一人の娘と公言するだけあって、ラーソルバールに向ける笑顔は優しく暖かい。政治的野心を抱えて公爵家に近づく者も多い中、気にせず接することができる相手だと分かっているからでもあるだろう。

 だが、ラーソルバールも立場上はそうした好意に甘える訳にもいかず、あえて一線をひいて対応するよう心がけている。

 公爵の隣に立っていたエラゼルは友の顔を見て笑顔を浮かべつつ、挨拶から解放されるのを今か今かと待ち構えていた。

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