(三)風に踊る青葉のように②

 公爵との会話が終わったのを見届けると、エラゼルは一歩前に進み出てラーソルバールの手を取った。

「さあ、会場へ参りましょうか」

 周囲の目が有って、あえて令嬢らしい口調をするようにしているのか。いつもながらの使い分けに、ラーソルバールは笑いが込み上げてきそうになるのを必死に抑えた。


 廊下を歩きながら周囲に誰も居ないことを確認すると、エラゼルは自身が抱えていた疑問を口にする。

「……先頃発表された騎士団の人事考課なのだが、ラーソルバールは昇進しなかったと聞いたが?」

「ん。その通り、何も変わらないよ」

 さも当たり前のような口ぶりに、エラゼルは納得がいかないのか不意に足を止めた。

「この前のシェラの話や他の騎士から伝え聞く活躍ぶりからすると、昇進は当たり前のような気がするのだが?」

「いやいや、新人が一年以内に三階級昇進するというのは例が無い事だからね?」

「だが、それは表向きの理由であろう? やはり例の噂が原因か?」

 眉間にしわを寄せ、不快感を隠そうともしないエラゼルに、ラーソルバールは気恥ずかしそうな表情を浮かべて答える。

「……噂……ね。エラゼルの耳にも入ってたか……」

 自分の醜聞とも取れるような噂が友人の耳に入るのは気分の良い物ではない。ただの冗談だと笑い飛ばせれば良いが、エラゼルがそれを許すはずもないことは承知している。

「軍務省が嘘と分かる噂に惑わされたとは思えないが?」

「……うん、ナスターク侯爵から直接伺った話なんだけど……」

 ただの一月官が軍務大臣と直接面談をする機会が得られる訳ではない。

 今回は事情があったにせよ、侯爵から目を掛けて貰っているというのは間違いない。特別扱いされているようで、どうにも後ろめたい気持ちになる。

「確かに軍務省の中には戦果を理由に、私を昇進をさせようという動きもあったらしいんだけどね。新人の慣例もあるし、噂が燻っているところに更に昇進したなんかしたら、余計に攻撃されかねないっていう配慮があったみたい」

「そうか……」

 頭では納得したものの、理性的に折り合いがつかない。とはいえ、本人が納得している以上はそれ以上口出しをするのもおかしな話である。

 噂が下火になった頃にでも、折を見て昇進させるつもりなのだろう。そう自身に言い聞かせると、エラゼルは喉まで出かかった次の言葉を飲み込んだ。

 だが、当の本人は軋轢を生みかねないからと元々昇進を望んでおらず、この結果に安堵しつつ納得しているという事をエラゼルは知るよしもない。


 会場に到着したが出席者はまだ誰も居らず、二人は用意されていた席に腰掛けた。

「去年とは違う部屋だね」

 廊下を歩くうちに気付いたが、そこは過去二年とは違う部屋。装飾もきめ細やかではあるが華美さの有る物ではない。公爵家がなるべく無難に済ませようという意思が感じ取れるものだった。

「ああ、今年はほぼ身内だけだし、あれ程広い部屋は必要無いからな。別に縁起が悪いから部屋を変えた訳ではないぞ……」

「ふふ……。今年は剣が要らないようで何より、かな」

 嬉しそうに笑うラーソルバールの顔を見て、過去の事を思い出したのかエラゼルは気恥ずかしそうに視線を外した。

「そもそもだな……厄介事を持ち込んだのは姉上だから、私が悪い訳ではないのだぞ?」

「はいはい……」

 二年前はこんな会話をするような間柄では無かったし、ラーソルバールは自分が招かれた理由すら分かっていなかった。だが振り返れば、離れていた二人の道が交わり始めたのは、あの時からだったと言えるのではないか。

「あれから二年か……」

「まあ、色々あったものだ」

「そうだねぇ。お互いに少しは大人になったかな?」

 少し背も伸びて体つきも女性らしさを増したし、精神的にも成熟してきたはず。

 だが、ここから二年後には世の中や自分たち置かれた状況はどう変わっているのだろうかという不安があり、どこか言い知れぬ寂寥感がある。

「ラーソルバールは、あの頃よりもドレスが似合うようになって来たな……」

「あらま。粗野な軍人ですが、将来の王太子妃にそのように仰っていただけるとは光栄の極みでございます」

 少女の面影を残しつつ悪戯っぽく笑うラーソルバールに、エラゼルは照れくさそうにやや顔を紅潮させながらも微笑んで返した。

 そんな折に会場に入ってきた人の気配に気づき、二人は視線をやる。

「……あらら、いい雰囲気のところ、お邪魔しちゃったかな?」

 会場に入ってきたのはシェラ。二人を茶化すように言うと、後からやってきたフォルテシアが無言でうなずいた。それに対し、エラゼルはわざとらしく怒った振りをしつつ、二人を睨む。

「ほほう? どういう雰囲気だと?」

「うーん、……恋人同士の時間?」

 苦笑いするしかなかったエラゼルに対し、三人の笑い声が室内を明るく染めた。

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