第四十八章 つむじ風

(一)ベッセンダーク事件①

(一)


 終戦から十日以上が経過し九月に入ったものの、レンドバール王国とゼストア王国、二か国との戦後交渉は続いていた。軍務省もその事務整理に追われ、昇進や異動についての発表は先送りとなっているのが現状である。

 そんな中、周囲の関心のひとつがラーソルバールの昇進についてだった。

 ゼストア王国との戦いにおいても戦功があったため、今回も昇進するのではないかというのが周囲の見方だった。それとは反対に、新人として二階級の昇進しているだけでも異例であるのに、三階級となるとさすがに軍務省も二の足を踏むのではないか、という意見もある。

 実際のところラーソルバール自身は昇進などは望んでいないし、新人がこれ以上階級を上げれば周囲と軋轢を生みかねないだけに、今回は現階級を維持させて欲しいというのが正直なところだった。

 実際に、その結果が出るのはもう少し先の事になる。


 夏の暑さも去った九月三日のことである。

 休暇を利用してエレノールと買い物に出かけていたラーソルバール。二人が行きつけの酒屋で父用にいつもの酒を購入し、小路から大通りへと戻ろうとした時だった。

「キャーッ!」

 遠くから石畳を走る馬車の車輪と馬蹄音が聞こえてきたかと思うと、間もなく何かが衝突したような音と高い悲鳴とが響き渡った。

「何が……?」

 酒瓶を抱えたまま慌てて駆け出したラーソルバール。直後に大通りの方から男の言い争うような声が聞こえてきた。

「平民だ。構わんから行け!」

「……ですが……!」

「急げ! 何も問題はない!」

「……はい! 畏まりました!」

 声が止むと、馬のいななきとともに蹄鉄が石畳を激しく叩く音が響いた。

 その直後の事だった。大通りに出たラーソルバールの眼前を勢いよく馬車が横切った。

「っ……」

 一瞬驚いて足を止めると、走り去る馬車の車体に施された意匠が目に入った

「蔦に鹿……?」

 鮮やかな色彩の見知らぬ家紋。馬車の行方を視線で追っていたところへ、エレノールが後から駆けてきて背後で足を止めた。

「私も足には自信が有りましたが、お嬢様は速すぎです……。っと、お嬢様あれを!」

 驚いたようなエレノールの声にラーソルバールは振り返り、彼女が指し示す先へと目をやる。それは馬車が駆けてきた方向。

「あっ!」

 そこに見えたのは、道の中央で血を流して倒れている少女。

 周囲に居た人々が遠巻きに見詰める中、ひとりの女性がよろけるように少女の下へと向かうのが見えた。

 石畳に見える出血の量からすると、少女はかなり危険な状況に違いない。ラーソルバールは手にしていた酒をエレノールに預けると、勢い良く少女へと駆け寄った。

「応急処置をしますので、動かさないで下さい!」

 少女を抱え起こそうとしていた女性を制するように、手を差し出す。

「ですが……」

 ラーソルバールの気迫におされ、女性は戸惑いつつもその手を止めた。

「……多少ですが治癒魔法の心得があります!」

 少女に意識があるかどうかも分からないが、弱々しいながらも呼吸をしてるのが分かる。

 この状況で魔法が苦手だなどとは言っていられない。治癒魔法に限れば、騎士学校で鍛錬を重ねたおかげで、人並み程度までには使えるようになっているつもりだが、焦れば精度は下がる。事は急を要するだけに失敗は許されない。

 怪我の大きさからみて数度の持続的行使が必要だろうが、それでも応急処置にしかならないはず。こういう時こそ無詠唱で魔法が行使できたなら、という焦りはあるが今は出来る事をするしかない。

 ラーソルバールは自らを落ち着かせるように、大きく息を吸った。

「レ・テリアタ・シ・ルヴァ……大地の息吹よ、優しき女神の抱擁が如くこの者に命の輝きを……」

 少女に触れていたラーソルバールの手から発せられる淡く優しい光は、小さな身体に徐々に溶け込んでゆく。

「どなたか、救護院か教会、お医者様など近くに居る方をお呼び下さい! それから警備兵に連絡を!」

 傍らにやってきたエレノールが近くにいた人々に声をかける。

「あ、ああ、分かった!」

 数人の男たちは顔を見合わせると、それぞれの方向へと駆けて行った。


 間もなくラーソルバールの二度目の魔法が効果を示すと、苦しそうだった少女の表情が僅かに和らいだ。

「メリフェアお嬢様!」

 横で心配そうに見守っていた女性が少女に声をかける。

 それに対して少女は微かに瞼を動かしたが、声を発するまでには至らない。

「失礼ですが……この方は?」

 エレノールが女性に問いかけた。

「フルールノ商会の会頭のご息女です」

 聞き覚えのある名に、エレノールは不安を隠しきれず眉間にしわを寄せた。

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