(二)グレイズ・ヴァンシュタイン②

 エラゼルの好悪に関わらず、その時は訪れる。

 オーディエルト達との歓談時間を遮るように、入り口の扉を叩く音が室内に響く。

「ヴァンシュタイン侯爵家のご令息をお通しします」

 衛士の言葉が聞こえると、エラゼルはこれから現れる存在に対して不快感を示すように一瞬だけ眉を動かしたが、視界に入る前にそれと気付かれぬよう平静を装う。

「良い。通せ……」

 扉を開けて自ら出迎えたエラゼルの時とは違い、オーディエルトは腰掛けたまま抑揚なく答える。

 許可を得て扉が開くと、騎士団の制服に身を包んだグレイズが現れ入室するなり深々と頭を下げた。

「グレイズ・ヴァンシュタインに御座います。本日は殿下へのお目通りを御許し頂き誠に有難く……」

「ああ、良い。ここは堅苦しい挨拶も要らない。頭を上げるといい」

 グレイズの言葉を制し、配慮を見せたオーディエルト。

 だがその言葉とは裏腹に、先程までエラゼルやサンドワーズと会話をしていた時のような柔和な表情はどこにもなく、王族としての顔を見せ確かな風格を漂わせていた。

「はっ……」

 僅かに恐縮するような素振りを見せつつ、グレイズはゆっくりと視線を上げる。

 自らの分を弁えているように見せながらも、野心の欠片を瞳に覗かせる様は騎士学校時代と変わることは無い。


「それで……。本日の面会の目的は何かな?」

 オーディエルトはグレイズの様子を伺いつつ問いかける。

「本日はヴァンシュタイン家の名代として、この度の殿下のご婚約に対しお祝い申し上げに参りました。臣としましては誠に慶びに堪えません。祝賀の品は後ほど王宮にお届けいたしますので御容赦下さいませ」

 国王への謁見となると、侯爵自身が置かれた立場のおかげで色々と面倒な手続きを踏む必要がある。しかし、今の王太子ならば時間的にも余裕が有り、宰相らが口を挟むことも無い。ここで婚約の祝辞を述べておけば侯爵家としての面目は立つ、という狙いだろう。

「祝いの言葉は有難く受け取るが、貴公の用向きはそれだけではあるまい?」

 エラゼルの予想は当たってはいたが、それだけで終わるとは思えない。オーディエルトもそれを察していたのだろう。

「殿下のご慧眼、恐れ入ります……。実を申しますと、出征先で父が倒れ意識が戻らないとの報を受けました。医者の見立てでは父は精神的にも肉体的にも弱っており、もう長くはないだろうと……。原因は、長兄が病の床に伏せったとの報を受けたことによるものなのだそうですが、その兄もまた病床で家督を放棄するとの覚書も書いたとの事でございまして、その書面もこちらに」

 蟄居による負担も考えられるが、それに対しての恨み言を吐く訳でもない。家の状況を淡々と語るグレイズに悲壮感は無い。

 グレイズ自身、三男だけに家督を継ぐなどという事は有り得ないと思っていたに違いない。それは騎士学校を選び、騎士となった現状を見れば分かる。だが今、長男が家督を放棄し、次男は勘当されて獄中。期せずして次期当主という座が転がり込んできたのである。

 エラゼルは寧ろ、手に入らないと思っていた幸運が舞い込んできた事でグレイズが高揚しているかのようにも見えた。

「なるほど。ヴァンシュタイン家の状況は、このオーディエルトが確かに聞き届けた。父王や宰相にも伝えておこう」

 この事を王族に報告した時点で、既成事実化したと言っても良い。意識の戻らない侯爵に変わって、グレイズが当主代行として振る舞う事も可能になったと言える。

「ご配慮頂きまして、有難う御座います」

 頭を下げたグレイズが口端に笑みを浮かべたように見えた。

 これは上手く乗せられたとみるか、機会を与えて恩を売ったと見るべきか。オーディエルトの横で、エラゼルは口元を隠しつつ苦笑を浮かべた。


 ヴァンシュタイン侯爵自身が意識不明の状態であり、家督を譲ると明言をしていない以上は、侯爵の意識が戻るか死去するまで当主という立場は変わらない。それでも、近い将来にグレイズは大きな権力を手にするのは間違いないだろう。

 その時、彼は何をするつもりなのかと思いを巡らせた時、エラゼルは背筋に寒いものを覚えた。

 暗愚な男なら警戒する必要も無いが、グレイズは違う。

 未だ隠した牙も爪も行使していないが、騎士学校時代の彼を見た者ならば分かる。才覚に富んでおり、父であるヴァンシュタイン侯爵の血を色濃く受け継ぎ、父以上に権謀術数に長けているであろう事は疑う余地も無い。

 ひとつ間違えば国にとって非常に危険な存在になりうるのだ。


 そして……。

 彼の動きを注意深く見ていてエラゼルは気付いた。婚約を祝うと口にしておきながら、入室してからここに至るまでグレイズはエラゼルを一顧だにしていないということに。

 彼にとって自分は敵か、それともとるに足らぬ存在なのか。敵なのだとすれば、かつての彼の私怨の相手であるラーソルバールも同じだろう。

 今までは男爵位を持つラーソルバールに対抗できる術を持っていなかったが、グレイズが侯爵となった時どう動くか。

 エラゼルは握りしめた拳にじっとりと汗が滲むのを感じた。

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