(二)グレイズ・ヴァンシュタイン①
(二)
八月二十日。
ゼストア軍を退けた東のベスカータ砦と同様、レンドバール軍を退けたカラール砦のヴァストール軍。夜が明けても戦後収拾は続いており、エラゼルらがようやく睡眠をとることができたのは昼を過ぎての事であった。
おかげでエラゼルが目覚めたのは既に日が沈んだ後であり、窓の外の暗闇を見て自嘲するように苦笑いを浮かべた。
「殿下にご迷惑をおかけしたやも……」
慌てて着替えると、サンドワーズらと打ち合わせを行っていた執務室へ向かう。
燭台の火はあるものの廊下は薄暗く、エラゼルはランタンを手に目的の部屋へと足を運ぶ。執務室の前には衛士が立っており、扉の隙間からは僅かに明かりが漏れていた。
「エラゼル・オシ・デラネトゥスで御座います。殿下はおいでになられますでしょうか?」
衛士に会釈をし、微笑みを浮かべる。
「はい、デラネトゥス公爵家のご令嬢がおいでになられたらお通しするようにと、仰せつかっております」
頬を僅かに染めながら衛士は慌てて視線を外すと、すぐさま扉を二度軽く叩いた。
「殿下、デラネトゥス公爵令嬢をお通しします」
扉が内側から開かれるとエラゼルは一礼した後、ゆっくりと室内に足を踏み入れた。
「申し訳ありません、寝坊致しました」
「いや、問題ない。むしろ昔のように寝間着で挨拶に来ても良かったのだが……サンドワーズが居るからそうはいかんか」
冗談めかしくオーディエルトは笑った。
「いつの話で御座いますか……。そのような粗相をした覚えはありませんが……?」
焦る素振りを見せつつも、エラゼルはオーディエルトを軽く睨む。普段は寡黙で笑顔を見せないサンドワーズの口元が僅かに緩んでいるのを見て、エラゼルはひとつ咳払いをする。
「あ……いや、すまぬ。昨日は大役を演じただけに、ゆっくりして貰おうと思っていたのだ……。実はつい先程、第五騎士団も到着して団長以下何名かが挨拶をしに来たのだが、顔を出したかったか?」
「いえ、私は王族ではありませんし、殿下の婚約者の肩書を使わせて頂いておりましたが、レンドバールとの戦が終わればただの一貴族の娘でございます」
指し示された椅子に腰かけると、エラゼルは優雅に頭を下げた。
「そうか……」
穏やかな表情を崩さず、オーディエルトはエラゼルの表情を伺う。
「第五騎士団も逃亡していたレンドバールの貴族を数名と、先のカレルロッサ動乱の折に姿をくらましていた元貴族を捕えたという事で、長旅後であるのに忙しそうだったぞ……」
「本来であればこの防衛戦に参戦していたかもしれないのですから、それよりは良いのではないですか?」
エラゼルが苦笑で返すと、サンドワーズも無言でうなずいた。
オーディエルトも笑みを浮かべたが、口元を誤魔化すように鼻の頭を指でなぞる。
「そういえば……。第五騎士団に所属するヴァンシュタイン侯爵家の子息から、父の名代として面会をしたいという申請がきていてな……」
「グレイズ・ヴァンシュタイン……でございますか?」
やや表情を曇らせたエラゼルを見て、オーディエルトはトンと指で机を叩いた。
「確か同期と聞いたが……。先だっての騒動での遺恨があるか?」
騒動とは、ヴァンシュタイン家の二男であるガドゥーイが起こしたルベーゼ誘拐未遂を指す事は言うまでもない。
「いえ、その件につきましては彼は一切の関係は御座いませんので……」
誘拐事件はあくまでもグレイズ自身が行った事ではないので、言葉通り全く気にはしていない。
グレイズは才覚もあり、優秀だと言うのも分かっている。ただ、個人的に騎士学校時代から反りが合わないことに加え、漠然とながら彼自身が内に秘めている危険性を感じているのだが、王族であるオーディエルトの前でそれを口にする訳にもいかない。
「ふむ。では、エラゼルも同席するといい。ここに居る以上は、私としても此度の戦に関する事以外は特にすることが無い。少々の時間であれば問題は無いので、面会を許可すると返事をしておいた。彼の方も騎士団でやることがあるだろうから、それが落ち着いた頃に来るやもしれないな」
ヴァンシュタイン侯爵の罪の軽減に関する嘆願であれば、国王への面会を求めるだろうし名代というのも不自然だ。となれば、単純に
できれば会いたくないというのが本音ではあるが、後々そう選り好みできる立場ではなくなるのだからと、自らに言い聞かせながらエラゼルは黙ってうなずいた。
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