(三)矢文の波紋②

 私見を口にしてよいのかという確認をするため、エラゼルはオーディエルトに視線を送る。オーディエルトはすぐにそれに気づいたのか、黙したまま小さく首を縦に振った。

 許可を得たエラゼルは会釈を返したあと、一度瞳を閉じて心を落ち着かせるように深呼吸をする。

「私が考えたものはふたつ。まず……可能性のひとつ目。我が軍をおびき出して全軍で包囲殲滅を画策するというもの。レンドバール軍としてみれば砦を相手にするよりは効率が良いでしょうから策としては有り得ます……。そして……もうひとつが、全く異なる意味を持つものです」

 真剣な表情で話すエラゼルに、誰も異論を挟まない。

「これは憶測に過ぎませんので『たかが小娘の考える事』と思ってお聞きください」

 そう前置きをしたのはこれから話す内容が突飛なものであるという自覚があるからだ。

「アテスター侯爵の狙いはもしかしたら、我が軍と連動したレンドバール軍中央部本隊への奇襲への誘いではないかと思われます」

「な……」

 リファールは驚きのあまりに声を上げた。

 良識派であり性格も温厚で知られるアテスター侯爵が、王族へ弓を引くような行為をするはずがないと考えたからだ。

 だが、もしかすると侯爵自身が誠実であるが故に、王太子とはいえサレンドラが国王を幽閉したという事実が許せないのではないか、とも思える。

 エラゼルは思案する様子を見せるリファールに視線を送りつつ、言葉を続ける。

「そうした狙いがあるからこそ、誤ってレンドバール軍の誰かに文面を見られるような事態があったとしても、本来の意図が隠せるように言葉を濁したのではないかと思うのです」

「確かに……そう考えれば辻褄は合うが」

 半ば納得したようにリファールは大きく息を吐き、椅子の背もたれに身を委ねた。

「もしそうだとしたら、重要と思われる部分以外の文面のどこかに、リファール殿下にしか分からない手掛かりが有るのではないかと思うのですが……」

 エラゼルの言葉にサンドワーズは手にしていた手紙をリファールに差し出した。

「責任重大だな……」

 文面に再び目を通しながら、リファールは頭を掻いた。

 ヴァストール軍の中においては部外者であるという認識がある。にも関わらず、その垣根を越えるようなものを求められているだけに、少なからずリファール自身にも戸惑いがある。


 その様子を見ながら、サンドワーズは小さく吐息を漏らす。

「なるほど魅力的なお誘いではありますが、確かに罠である可能性も捨てきれません。よしんばこれがエラゼル嬢の仰る通りであったとして、どの程度の兵力が王太子の主力部隊に反旗を翻すのかが見えません。もし少数であれば返り討ちにあうのは間違いないでしょうから、我々がそれに付き合う必要は無いかと存じます」

 サンドワーズが血気にはやるような人物であれば、この甘い誘いに即座に乗った事だろう。慎重すぎるとは言わないものの、状況判断を的確に行い無理をしないという在り方は、まさに王都を守護する第一騎士団の団長と言うほか無い。

「それに……ここでもし反乱を利用して我々が勝ったとして、その先はどうなりますか。他国の者が口を出すのは憚られますが、仮にすんなりと国王の手に実権が戻ったとしても、王太子の廃嫡なりで弟君達と王位継承権で揉めることになります。もしかすると、王太子を制御しきれなかった国王に従わない者も出るかもしれない。ともすれば貴族同士の遺恨も相まって内乱に突入することも有りうるわけですが……。それだけの覚悟がリファール殿下にはお有りですか」

 視線をリファールに向け、サンドワーズはその表情を伺う。

 言葉を終えても全く表情を変えないが、厳しい現実を突き付けることによってリファールが食って掛かる事も想定しているのだろう。エラゼルやオーディエルトが言いにくい事を肩代わりしようという心づもりなのかもしれない。


 書面から僅かに視線を上げたリファールは、大きなため息をついた。

「状況から考えれば、今だって国王派と王太子派が衝突して内乱が起きる可能性はある。サンドワーズ殿の仰る事は重々承知しているつもりだ。私に必要なのは、誰かがレンドバールを纏めなければならない時には自分がやる、という覚悟だという事か。無論、それ位の気構えはあるつもりだが……。もしかしたら、私が裏切るという事は考えはしないのかい?」

 リファールの問いに対し、サンドワーズは僅かだが初めて笑みを浮かべた。

「きっとある人物がここに居たなら、こう言うでしょう。『リファール殿下は婚約者殿を泣かせるようなお方でしたか』と……」

『ある人物』が誰なのかを察し、エラゼルは思わず緩んだ口元を手で隠した。

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