(三)矢文の波紋③

 紛糾するかに思われた会議は、意外にも全員が納得するひとつの結論が出たことであっさりと片が付いた。

 会議の決定を受けて、直後から夜間にも関わらずヴァストール軍の人々は身分の上下を問わず、再び動き始めることになる。

 レンドバール軍に目立った動きが無い中、カラール砦の中は相反するように慌ただしいものだった。但し、外から砦の中の動きが気取られないようにするため、防壁の近辺ではあくまでも静寂を装うよう指示が出された。

 兵達はそれに従い、篝火の光に照らし出されるように姿を晒しながら、内部に何の変化も無いかのように砦の周囲を警戒する。

 そして会議終了から半刻後、砦の門は音を立てながらゆっくりと開き始めた。

「リファール殿下がお出になられるぞ!」

 門が開くと、レンドバールの旗を掲げリファールと護衛の兵士二十名だけが、砦の中から夜の野へと静かに姿を現した。


 遠くレンドバールの本陣からもその様子は捕えられていた。

「王太子殿下!」

 侍従の制止を振り切って、クオンス伯爵が一際大きな天幕の外から中へと向かって呼びかける。

「先程、リファール殿下と思われる人物を先頭とした少数の一団が、砦から出るのを確認致しました!」

 松明の明かりに映し出される姿は、本人であると確実に視認するにはまだ遠い。それでも砦側が動いたという事実は、直ちにサレンドラに伝えねばならない。

 天幕の中で椅子に腰掛けながら半ば眠りかけていたサレンドラは、リファール現るという報を聞くなり、大きく目を見開き身を乗り出した。

「よし、本人だと確証が取れるまでこちらは動くな。随伴者に誰が居るのか確認が取れ次第報告せよ!」

「畏まりました」

 クオンス伯爵が身を翻し慌てて駆け出ていく足音を耳にしながら、サレンドラはひとり興奮気味に拳を握りしめた。

「よし……。苦し紛れにリファールを送り込んできたというのは、やはり敵は少数だということか」

 こうなれば、当初の予定通りリファールを戦果として連れ帰る手もあるが、このまま殺して砦に攻めかかるという策も悪くない。

 サレンドラは傍らに置いていた剣を手にすると、笑みを湛えつつ天幕から夜の闇へと踏み出した。


 同じ頃、リファールが出現したという情報はレンドバール軍の他部隊もそれぞれに掴んでいた。

「侯爵閣下、リファール殿下が姿をお見せになられたとのことです」

「何っ! して、ヴァストール軍の動きはどうなっているか!」

 腕を組んで目を閉じていたアテスター侯爵は、即座に部下に聞き返した。

「それが……、ヴァストール軍の姿は無く、殿下と共に居るのは二十騎程かと思われます」

「な……」

 アテスター侯爵は報告内容に落胆したように肩を落とした。

「我が意図が伝わらなかったか……。だが、このままでは殿下に危害が及ぶ恐れがある。何かある前に我が部隊は殿下の保護へ向かう。急ぎ支度をせよ! ディガーノンにも我が指示を待てと伝えよ!」

 焦る気持ちを抑えつつ、馬へと駆け寄り手綱を手に取る。

 だが、王太子サレンドラ自身が自らの名でリファールを呼び寄せると全軍に伝達している以上、ここで下手に動けば自らが猜疑の目で見られ、窮地に追い込まれる事になりかねない。リファールの首を狙って先走る者が居ないとも限らないが、ぎりぎりまで状況を見極める必要がある。

 馬に跨り、最前部へと馬首を並べたアテスター侯爵は、リファールの動きに違和感を覚えた。

「ん……」

 リファール達の掲げる松明は動いてはいるが、その動き程に近付いているようには見えない。

「殿下は……何故焦らすようにあのような遅い歩みを……」

 騎馬としての通常の歩みであれば、既にレンドバールの本陣に到着していても良い程の時間が経過している。にも関わらず、影になって見えない徒歩の随伴者でもいるのかと、皆が訝しむ程の速度を保ち続けた。


「何をしているのか、彼奴は!」

 天幕から出てきていたサレンドラは我慢しきれずに声を荒げる。と間もなく、リファール達は砦と軍の丁度中間辺りに来たところで足を止めた。

「兄上! いや……、王太子殿下!」

 リファールの声が月明かりの野に響く。魔法による音声拡張か、その声はレンドバール軍の誰もが聞くことができるものだった。

「何だ……?」

 サレンドラは苛立ちながらつぶやくと、リファールの姿を睨みつけた。

「残念ながら今、ここで我が身を貴方に預ける訳には参りません。何かあれば大事な婚約者殿を泣かせる事になりかねませんのでね。それは私の本意ではない。ですから……代わりに私から殿下に花束を捧げましょう」

 リファールが自らの意思を伝え終わり、松明を掲げた直後だった。呼応するように、レンドバール軍の本陣後方でいくつもの炎が、夜の闇に浮かぶ花束のように鮮やかに弾けた。

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