(四)闇夜に踊る①
(四)
日が沈む時刻、砦が紅く染まる。
ゼストア軍は砦からの干渉を忌避するように軍を後退させたまま、攻め寄る様子を見せない。
負傷者の救護や、軍の再編に時間が掛かっているのか。それとも恐怖で前へ進めないのか。いずれにしてもヴァストール側としては砦から出られない以上、待つことしかできない。
そして騎士達は思う。
あと五千の兵があれば、敵軍が混乱する機に騎兵で切り込んで痛撃を食らわせることができたのに、と。裏を返せば、それだけの兵力しか保持していないと敵に知られたという事でもある。
「打って出るだけの兵が無いと知られたら、救援が来る前に一気に攻めようという動きになりませんかね?」
部下から心配する事が上がったが、ジャハネートは一笑に付す。
「いや、元々少ないと知られているのだから、大したことはないさね……」
「ですが、相手が立て直して攻めて来るとしたら……」
ゼストア軍が立て直しにどの程度の時間を掛けるのかも読めない。
今頃は謎の攻撃への対策会議でもしているのか。対策さえ終えれば、相手が少数だけに一気に攻め落とせると見ているかもしれない。だが軍が大きすぎるだけに、夜陰に紛れて攻めるという事はしないだろう。
ふと、ジャハネートは何かを思い付いたように、にやりと笑った。
その頃、ゼストア軍は砦を睨む位置で野営の準備を始めていた。
軍の中央部に設けられた天幕では将帥が集まって軍議が行われている。今後の方針とで「悪魔の炎」についての対策が検討されているが、結論は出ずに空転したまま時間を浪費している。
先陣を切って戦おうとしたカイファー王子だったが、自身も炎によって左手に火傷を負ったため慎重にならざるを得ない。治癒魔法によって傷は消えたものの、目の前で起きた惨状に当初あった気迫も影を潜めていた。
「進めばやられるというのでは話にならん。攻めるにはまず早急に対策を決める必要がある」
臆していると見られぬよう、攻めると言う意思は示すが、消極的であることは否めない。
「ですが、ここで足踏みをしているのでは意味がありません。これでは奇襲してくれというようなものです。攻めるか一旦退くか明確にした方が良いかと……」
まとまらない意見に痺れを切らしたアルドーが、副指揮官として方針を示すべきだと提案する。だが、目の前にある砦に固執し、手柄を上げたい者は王子であるカイファーに逆らおうとはしない。
「あの炎の折にも攻めてこれないのだから、情報通り大した兵力は無い。奇襲など返り討ちにすれば良いのです!」
「左様。いっそのこと、こちらから夜陰に紛れて攻めても良いではないですか」
「いや、それでは炎の餌食となった時に軍の統制が取れぬ。暗闇で混乱をしたら収拾がつかぬぞ!」
各部隊の将官たちは自らの意見を口にするが、建設的なものはない。
「今日は何があるか分からないだけに野営するのはもっと後退すべきだ。攻める段になった際には防御系の魔法を前面に展開。例え、悪魔の牙が有ったとて、万全を期すれば恐れる必要は無い……。前面の兵が砦に取りついたところで攻城兵器を押し出せば良いだけ」
そう述べたのは、後詰の将であるゲラードン。無愛想な物言いだが、状況を理解し客観的に物事を見て提言している。アルドーは我が意を得たりとばかりに喜色を浮かべた。
「殿下、ゲラードンの案こそ我が軍の採るべき方策と存じます。速やかにあと三レリュースほど後退して……」
「いや、我が軍は後退しない。少数の敵に怯えて後退したとあっては世の笑いものになろうし、兵の士気も下がる。ここに留まり、砦を威圧する事こそ肝要である」
笑いものになるのは敗者だ。世の目を恐れて勝ち戦が出来るものか。この愚鈍な王子が上に居ては勝てる戦も勝てないではないか。拳を握りしめ、机を殴りつけたい衝動に駆られるのを押さえつつ、アルドーは黙した。
「分かりました。殿下のお言葉に従いましょう」
ゲラードンも自らの言葉を下げて、王子の言葉に従うと決めた。
「ひとつ、よろしいですかな?」
軍議が一段落をしたのを待っていたかのように、今まで沈黙していた一人の男が口を開いた。
「何かな? ロスカール卿」
アルドーは男に視線をやると、僅かに警戒した様子を見せる。
「客将として後方から眺めているだけではつまらないので、前に出たいのだが許可は頂けるかな?」
男の名はガランシェ・ロスカール。バハール帝国からの特使として滞在していたが、急なゼストアの出陣に際して自ら同行を願い出てこの戦場へ来ている。
帝国の使者だけに無下に断ることもできず客将として扱っているが、後方に配されたのが気に入らないのかロスカールは不満を隠そうともしない。
(何がしたいのか……)
アルドーが答えに困ったように僅かにカイファーを見やると、それに気付いたのか総指揮官である彼は面倒臭そうに顎で前線を差した。
「……良いでしょう。ご自身の側近と共に前線に行かれると良い」
アルドーはそう答えつつ、やや呆れたようにため息をついた。
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