(三)警戒線上の悪魔③
総司令官であるカイファー自身が攻撃の被害を受けなかったのは、ヴァストール側にとっては幸か不幸か。彼が負傷なり死亡なりしてしまえば、進軍の一時見合わせや撤退もあっただろう。ただその場合、大きな戦力を残したまま禍根を残す事になったかもしれない。
砦で攻撃の許可を出したランドルフも、攻撃の指示を出したラーソルバールも、攻撃できる範囲内に大きな獲物が居たという事を知らない。
「おー、大分混乱しているみたいだな……」
ゼストア軍の狼狽ぶりを防壁の上から眺めつつ、ランドルフは感心したように声を上げた。
「死人はどれほど出たかは分からんが、あれで二千近くは損害を与えたかねえ?」
腕を組みながら隣でジャハネートが目をこらし、眉間にしわを寄せる。
「まあ、相手の兵力的にはそれ程痛くはないだろうが、攻城兵器を燃やしたのは大きいな。……って、お前さんの持ち場はここじゃないだろう?」
「いいじゃないか。あの娘が面白そうな事やってるのを見に来たんだから。でも備蓄の油樽はあれで終わりかい?」
「いや、手の内がバレたら使えない事に加えて作るのに手間が掛かったとかで、八発で打ち止めなんだとさ。ついでに投石機やら強弩にも負担をかけすぎるから、と言っていたな」
ランドルフの言葉の後に最後の一発が射出された。
敵軍の一部が炎に包まれるのを確認すると、ジャハネートは表情を引き締めた。
「さて、お祭りはこれからだ。私は持ち場に戻るとしようかねっ!」
「……ごふっ!」
金属音と共に
振り返らずに階段を降りるジャハネートの後を追うように、副官であるシャスティが駆け寄ってくる。
「よろしいのですか?」
「何がだい?」
「ランドルフ様に……」
機嫌が悪いと何を言われるか分からないだけに、恐る恐るといった様子で質問する。
「ああ、構うもんかい。あの程度どうって事無いから、今頃けろっとしてるよ」
ジャハネートは掌をひらひらと泳がせて、笑って応じる。
「そんなものですか?」
半信半疑でシャスティが振り返ると、確かに何事も無かったかのように各所に指示を飛ばすランドルフの姿が見えた。団長ともなると、あの拳を受けても無事なのか。いや、あの人が特別なのだろうか。シャスティは苦笑した。
「しかしまあ、何が起きたかも分からずに炎に包まれる。やられた方はたまらないだろうねえ……」
「そうですね……。前に進もうにも恐怖心で足が止まるのではないかと。そのまま撤退してくれると有難いのですが……」
「まあ、この程度で撤退するくらいなら攻めて来やしないだろうさ……。ただ、余程優秀な指揮官でもなけりゃ、混乱からの立て直しには時間がかかるだろうがね」
かなりの損害が出た得体の知れない攻撃。恐怖から兵の士気も下がるだろうし、疑心暗鬼にもなる。多少の時間も稼げるだろう。
「敵さんからしたら、あの娘のやった事は怪物か悪魔の仕業かと思われているんじゃないかねえ……」
国を守ると言う覚悟。そのために敵に対しては冷酷になる必要があると分かっていても、この攻撃は本意ではなかっただろう。ラーソルバールの姿を視界にとらえると、ジャハネートは苦笑しながら頭を掻いた。
無事に予定していた数の攻撃を終え、ラーソルバールはほっとしたように大きく息を吐いた。
「お疲れ様でした! 投石機と強弩にはかなりの負担をかけたと思うので、破損した箇所などが無いか、点検をお願いします。必要であれば、部品の交換や補強をしてください」
協力した兵や魔法院の人々に頭を下げると、周囲から歓声が起こる。
整備の兵たちと握手を交わして後を頼むと、気恥ずかしさから逃げるように自らの持ち場へと走った。
ビスカーラやルガートらに迎えられてひと息つくと、罪悪感に手足が震え出すのを感じた。
己の剣で殺したわけではない。だが自らが率先して動き、指揮をして多くの人の命を奪ったという事実。決意し、覚悟して行った事であるはずなのに、罪の意識に押し潰されそうになる。
あの惨状は自らが作り出したもの。遠くゼストア軍を見つめたままラーソルバールは立ち尽くした。
ふと、肩に乗せられた手に振り返る。
「そんな顔してないで……。貴女も私も後ろにいる国民の為に戦っているんだから、背負うべき物はここに居る皆と分かつべきでしょ?」
心を見透かしたようなシェラの言葉に、大粒の涙がこぼれた。
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