(四)エラゼルの心とラーソルバールの想い①

(四)


 八月一日、予定通り王太子オーディエルトとデラネトゥス公爵家三女エラゼルの婚約が発表された。

 その知らせは多くの貴族たちにとって大きな衝撃として受け止められた。

 候補者として選ばれた娘を持つ家以外、婚約者選定の事は大臣職に就く者を除き、一部の例外はあるものの原則として知らされていなかったのだから無理もない。

 自らの娘を王太子の妃とすることを目論んでいた貴族達にとっては、まさに寝耳に水であり、周囲に根回しをしていた事が水泡に帰したと知った瞬間だった。

 貴族達の動揺にはひとつ大きな理由がある。


『ヴァストール王家において側室をとらぬことを慣例化したい』


 これは先々代の国王の言葉である。

 彼の父の治世において側室同士の醜い争いや、正妃を追い落とそうとする動き、そして腹違いの兄弟たちによる争いに嫌気がさしたからだとされている。

 以降は幸いにも男児に恵まれたこともあり、現国王に至るまでその言葉は守り続けられている。外交上で特別な理由が無い限りは、今後も側室を迎えることはないだろうとされている。

 王家を見倣って家臣たる貴族も側室を迎えてはならない、と言っている訳ではない。

 無論、忠誠心の厚い家は王家に倣うだろうが、そこに問題がある訳ではない。

 王家が側室をとらぬ以上、王太子の婚約者が確定されてしまえば娘に世継ぎを生ませるどころか、王家と繋がる機会さえも断たれた事になる。


 今回は決まってしまった婚約者を引きずり下ろそうにも、相手が公爵家では手も足も出ない。上手く排せたとしても代わりは男爵家であり、その下風に立つなど有り得ない。さらに運よくそこを乗り越えたとしても、次はまた公爵家。

 野望を持っていた者達も万事休すといったところだろう。


 婚約者発表の翌日。

 久々に休暇が重なりシェラとエラゼルだけでなく、フォルテシアとディナレスもラーソルバールの邸宅に揃う予定になっている。同じようにガイザとモルアールにも声を掛けたのだが、どうにも都合がつかず今回の参加は見合わせとなった。

「早いね。エラゼルが一番だよ」

「私が早いのではなくて、皆が遅いのだ」

 最初に現れたエラゼルはそう言って笑ったが、その顔にはやや疲れたが浮かんでおり、婚約者決定以降の忙しさが見てとれた。

「今一番忙しいところだよね。ごめんね……」

「いや。息抜きに丁度良いし、皆の顔を見る機会は少ないからな」

 そう言って微笑むエラゼルが不思議と幸せそうに見えた。

「メアーナさん、お茶の用意をお願いします」

「はい、分かりました」

 最近雇い入れたばかりの侍女に声を掛けると、二人は応接室へと向かう。


 応接室の扉を開けると、テーブルの上には用意された様々な菓子が視界に飛び込んできたので、エラゼルは喜びに目を輝かせた。

「あとで焼き菓子も持ってきてもらうから、手を付けちゃっていいよ」

「皆を待った方が良いのではないか?」

 皿の上に綺麗に並べられた物に先に手を付けるのはさすがに気が引けたのか、エラゼルは伸ばしかけた手を止めて聞き返した。

「ごめんね。黙っていたんだけど、エラゼルだけ先に来てもらったの」

 ラーソルバールは申し訳なさそうに手を合わせて謝る。

「……ん? 何かあったのか?」

「この前は二人でゆっくり話す暇が無かったから……ね」

「ふむ……」

 理由を聞いて納得したのか、エラゼルは再び手を伸ばすと小さな焼き菓子クッキーを口に放り込んだ。

「エラゼル、聞いてもいい?」

「……何を?」

 唐突な言葉に、菓子を飲み込んでからエラゼルは首を傾げた。

「この前、王宮で結果を知らされたときにも感じた事なんだけど、さっきのエラゼルの表情が気になってね……。前にエラゼルに殿下の事を聞いた時、特別な感情は抱いて無いっていうような事を言ってたけど、実は……」

 ラーソルバールの言葉にエラゼルは頬を紅潮させると目を背けた。

「いや、殿下に対してただの一令嬢が好意など口にするのは畏れ多いし、憚られるものだしな。ましてや、候補者となった段で下手な事を言おうものなら、何を思い上がったかと言われるだろうし。ラーソルバールとルクスフォールの御曹司の事もあってだな……」

 動揺を隠せず矢継ぎ早に言い訳を口にしたエラゼルを見て、ラーソルバールは苦笑した。

「あー、うんうん。聞いた私が悪かった」

「……む」

 態度を見るに、彼女が王太子に対して少なからず好意を抱いていたのは間違いない。ほっとしたように微笑むラーソルバールとは対照的に、少し悔しそうにエラゼルは口を尖らせた。

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