(三)王太子の婚約者③
宰相はひとつ咳払いをしてどよめきを消すと、国王に向かって頭を下げた。
「結果はその通りなのですが、補足がございます。ラーソルバール嬢に関しては意外にも……いや当然と申しますか、待ったの声がかかりまして……。軍務大臣ナスターク侯爵からラーソルバール嬢を引き抜かれては困ると懇願されました。さらに調査によると当人も婚約者になることを望んでいないご様子でしたし、大変申し訳ないのですが家格の面から貴族各家からの反発が予想されるため、二番手とせざるを得ませんでした」
少し残念そうに語る宰相は、個人的にはラーソルバールが選ばれる事を望んでいたのかもしれない。
列席していたフェスバルハ伯爵は対照的に笑みを浮かべた。以前から二人の息子のいずれかの嫁にしようと狙っていたので、実現する可能性が残ったという安堵だろうか。
「これらを考慮に入れ、王太子殿下の婚約者はエラゼル・オシ・デラネトゥス嬢とし、彼女に何かあった場合には二番手であるラーソルバール嬢に。そして、その次にファルデリアナ嬢をという形にさせて頂きました」
ほっとしたのも束の間、面倒な役回りを押し付けられたとばかりにラーソルバールは渋い顔をする。対して、終止冷静な表情で聞いていたエラゼルだったが、友のあからさまに嫌そうな顔を見てようやく笑みがこぼれた。
宰相はさらりと言ってのけたが、そこには思惑が透けて見える。
選ばれたエラゼルに危害を加える事が無いように、という予防線である。
エラゼルを排したとしても次に来るのはラーソルバールであり、己が娘に可能性が巡ってくる訳ではないということ。しかも家格が低い男爵家の娘が取って代わることになる。不測の事態に備えて三番手までも用意するという念の入れようだ。
暗殺を企てたとしても自らに何も利点が無いと思わせる為の用意周到なもの。さすがに相手が公爵家であり優秀だと名高いエラゼルに決定した上、ここまでされては他の候補者たちも敗北を認めるしかなかった。
場が落ち着くのを待ってから王太子は静かに進み出ると、そのまま壇を降りてエラゼルの前まで歩み寄る。
優雅な歩みを止めると、
「皆、長い間迷惑をかけて済まなかった。そしてエラゼル、これからよろしく頼む」
王太子として気高くそれでいて紳士らしさを感じさせるような礼をしてみせる。全員への感謝と、エラゼルへの思いを込めて。
「……はい、見事最後まで務めあげる所存にございます」
王太子からの挨拶に対し、エラゼルは優雅で気品に溢れた動きで頭を下げた。
その瞳に僅かに涙が滲んでいる事にラーソルバールだけが気付いていた。
涙の意味は喜びか、安堵か、決意か、悲しみか。婚約に際して友が隠してきた真意が涙に込められている。
涙と同時に、彼女の口元は自然に優しく微笑みを湛えていた。それが彼女の答えに違いない。ラーソルバールは心から友を祝福した。
最後に、王太子の婚約者決定に関する正式な発表は、デラネトゥス家の準備期間を考慮して八月一日と決められ、こうして王太子の婚約者選びは終わりを告げた。
この決定はラーソルバールやファルデリアナの婚姻婚約を制限するものではない。公爵家のファルデリアナはともかく、ラーソルバールに至っては王太子の婚約者選定の上位というだけで、今後求婚の申し出が増える可能性がある。
どうせラーソルバールは求婚や縁談など全て断るつもりだろうと分かっているので、父親としてはどうすべきか。
「面倒事が増えただけだな……」
謁見の間を出たあと、ぼそりとつぶやいてクレストは頭を押さえた。
王宮を出て各家が馬車に乗り込み去っていく中、三家の馬車だけは動かなかい。
「おめでとう、エラゼル」
今まで我慢してきたが堪えきれずに、ラーソルバールはこの日の主役に抱きついた。
「有難う、ラーソルバール。約束は守ってもらうからな」
エラゼルはそう言って悪戯っぽく笑い、ラーソルバールは黙ってそれに頷く。これからも二人は何も変わらないという事を再確認するように。
「ラーソルバールさん、貴女という人は……。王太子殿下の婚約者という栄誉を逃したというのに、よくそんな清々しい顔をしていられますね」
呆れたようにファルデリアナは言う。
「宰相閣下も仰っていた通り、元々私にはその気が無かったんですから……。それに、誰よりもエラゼルに決まって欲しいと願っていたのですから喜ばずにはいられないんです。……最後の最後に面倒な役目を押し付けられましたけど」
笑っていたかと思えば最後には口を尖らせ不満を漏らす。百面相のようにころころと表情を変えるラーソルバールを見て、ファルデリアナは大きくため息をついた。
「面倒事というのは不敬ですが、それは私も同じです……。貴女と話していると、私にまで能天気が伝染してしまいそうで困りますわ。そこの人のように……」
「能天気なのも時には良いものですよ。いつもだと困りますけどね」
エラゼルがラーソルバールに目配せしながら答えると、三人の娘から同時に笑いが溢れた。
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