(四)ラーソルバールと小隊③

「ミルエルシか。早いじゃないか」

 中隊長の執務室に入るなり、ギリューネクはそう言ってラーソルバールを迎えた。

 思っていたよりも機嫌が悪くないので、多少安堵したものの、気は抜かない。

「まずは一月官への昇進おめでとうございます。着任のご挨拶と、引継ぎのお願いに参りました」

 頭を下げると、失笑のようなものが聞こえた。

「皮肉か?」

 言葉の割には表情は明るく、怒っている様子ではない。

「皮肉など言った覚えは有りませんが?」

「はぁ……。俺はお前さんの上司だった事で、おまけで昇進したようなもんだ。その本人に『おめでとう』なんぞと言われたら皮肉だと思うだろうがよ」

 ギリューネクは自嘲するように鼻を鳴らすと、肩をすくめて見せた。

 死者を出さずに戦果を挙げたのだから、隊長としての評価は申し分ないはずだが、自身が戦果を挙げた訳ではない、という思いが彼の言葉に表れている。

「私は軍務省や騎士団の人事担当ではありませんから、昇進された理由については肯定も否定も出来ません」

 どんな出方をするだろうかと伺うように、そっけなく返してみる。

「まあいいさ……、一月官なんざ縁のない話だと思っていたからな。どういう形であれ、有難く受け取っておくさ」

 中隊長の椅子には座り慣れないのか、ギリューネクは居心地悪そうに立ち上がると机上にあった一枚の書類を手にとった。

「しかしまぁ、お前さんも厄介な相手抱えたな」

 書類に記載されているのは、例の人物の事だろうか。ラーソルバールにしてみれば、会った事も無い相手だけに何とも答えようがない。

 書類も見ずにこの部屋に来たのだから、貴族の子息という以外に何の情報も持ち合わせていない。書面を見たところで書いてあるのは、名前と年齢と簡単な容姿、そして簡単な査定だけだろう。

 ギリューネクが無言で差し出した書類を受け取ったが、案の定想定したような内容しか記載されていなかった。

「ルガート・ティリクス?」

 ラーソルバールは首を捻った。元々貴族の家名などには疎いので、名を聞いたところで人物像どころか顔も領地も分からない。エラゼルが傍らに居れば、すぐに教えてもらえただろうに、と思い浮かべてすぐにかき消した。

「ティリクスってのは、南方に領地を持つ伯爵家だ。由緒ある家柄なんだそうだが、そんなもんは俺にも騎士団にも一切関係ない。当人は鼻持ちならないやつでな、常に家の名を出して人を見下したような態度をとりやがる。俺の一番嫌いな貴族の典型的な奴だ」

「その辺はビスカーラさんに伺いました。ギリューネク隊長とはそりが合わなかったようで……」

 他人の事は言えない。貴族嫌いのギリューネクにあてられ、自身もまともな関係だったと胸を張って言えるものではない。多少は改善したのかもしれないが、今も微妙な関係であることに変わりは無い。

「あのおしゃべりめ……」

「人柄は置くとして、規律に反する行為などはあるのですか?」

 尋ねられて、ギリューネクは顎に手を当てて、思い出すように天井を見詰めた。

「……そういや性格に難はあるが、規律違反を犯した事は無いな」

「分かりました。では、次の話をさせてください……」

 ギリューネクの答えに、ラーソルバールは納得したようにうなずくと、話を切り替え、その後に小隊長としての仕事の引継ぎに関する約束を取り付けたのだった。


「おかえりなさい」

 元の部屋に疲れた顔で戻ってきたラーソルバールを、ビスカーラは優しく迎えた。

 年下の新人にも関わらず、隊長などという扱いにくい後輩に対して、通常であればどういう態度で接して良いか分からないもの。ところが、それを感じさせない柔和な対応はビスカーラの人柄だからこそなのだろう。

「何だか憂鬱になってきました」

 ため息をつきながら、引き継いだばかりの隊長の椅子に腰掛ける。決して粗悪な品ではないが、冴えない気持ちのせいか座り心地が悪い。

 机の上の書類を手にとりラーソルバールが頭を掻いたところで、扉を叩く音がした。続けて扉を開ける音がして若い男が部屋に入ってきた。

「やあ、ビスカーラちゃん久し振り。今日の夜にでも食事にでも行こうか……」

 男は室内のビスカーラに気付くと笑顔を向ける。濃茶の髪に、一見すると優男にも見えるすらりとした姿。若い女性が好みそうな容姿だが、滲み出る軽そうな雰囲気は隠しようが無い。

「あ、いえ、またの機会に……」

 あからさまに嫌そうな顔をして断るビスカーラ。彼女もこの男を苦手としているのだろう。

「おっと、貴女が新しい隊長のミルエルシ三星官殿ですか。初めまして、私はルガート・ティリクス二星官です。今後ともよろしくお願いします」

「ええ、こちらこそよろしくお願いします」

 なるほど、厄介そうな相手だ。一瞬、色目を使われたような気がしたが、ラーソルバールは気付かない振りをすると、目を合わせないように視線を僅かに外して短く答えるにとどめた。

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