(二)渦巻く思惑②

「聖なる乙女などと僭称されては、まるで神に使わされた者のようではありませんか。それは教会が管理すべき領分。放置すれば教会の威厳に関わります。神もお怒りになられましょう」

 鼻息荒く語るが、それは他者の理解を求めようという姿勢には程遠く、自らの意見をただ押し通そうとしているようにしか見えない。

「それは……教会全体の考えと受け取ってよろしいですかな?」

「この私の考えが、今の教会の意向だと思って頂いても構いません」

 宰相の問いに対しても尊大に胸を張る。大司教という権威を振りかざし、他者を下に見る態度。それは教会が自身の思うがままになると信じて疑わないからだろう。

 清廉を是とするメッサーハイト公爵とは相容れない存在ということになる。


「それで……、大司教猊下はその者の名を御存知なのですか?」

 メッサーハイト公爵は素知らぬ振りをして、大司教を誘導する。

「ラーなんとか……ミルエルシとかいう者らしい。誠にもってけしからん輩ですな」

「なるほど」

 ひとつ相槌を返す。それは納得してのものではなく、反撃のための僅かな間であった。同意を得たと思った大司教は次の瞬間、己の言動が宰相を全く動かしていなかったと気付く事になる。

「そもそも聖女だの英雄だのというのは、誰かが認定しなければならぬものですかな? 英雄と呼ばれる者とて初めから英雄であろうはずがありません。聖女や聖者、勇者、賢者だのというものも同様で、自称するものでもなければ誰かが与える官位や職業でもありません。その人物の行いをもって人々が畏敬の念、尊敬の意を込めて呼ぶ二つ名に過ぎないはずです。違いますか……?」

「ぐ……」

 冷静に、至極当然のことを問いかける。その言い返す余地のない問いに、大司教は言葉を詰まらせた。

「それに……ミルエルシという人は、自ら聖女を名乗った訳でもありませんし、本人はその呼称を嫌っているとさえも聞きます。先程申し上げた通り、その方の行いが人々の心を動かし、結果として『エイルディアの聖女』と呼ばれるようになったに過ぎません。それでも本人に何らかの処置が必要であると?」

 他人がつけた二つ名を理由に当人を罰することができるものか。メッサーハイト公爵はこれ以上無いという程に、目に怒りの色を讃えて大司教を見詰める。

「い……いや、問題はない。しかし……宰相閣下はその人物にやけにお詳しいですな……。……ですが……何をお怒りになっておられるので……?」

 自らの劣勢を感じたか、顔を引きつらせながら大司教は宰相の顔を覗き込む。


「ええ。私の命の恩人を何の罪も無いというのに捕らえて犯罪者として教会に引き渡せと言われれば、それは怒りもしましょう? それにその恩人は此度の戦の一番の功労者でもあります。協力を求めるならまだしも処罰などして良いとは思えません。国を守った英雄を教会が処罰したいと狙っていると知れたら、国民はどう思うでしょうな?」

「……う……ぐ……」

「いや、失礼。品行方正であるはずの教会が、国民の支持を失う事など有り得ない事でしたな?」

 メッサーハイト公爵は最後に痛烈な嫌味を添えて、大司教の口を封じた。

 カンダルラ伯爵とダトーア伯爵、二人は失笑を隠そうともせずに、蔑むような目で大司教の顔を見る。


「と……当然ではありませんか、教会が信を失うはずがありません。宰相閣下のお言葉に従い、此度は不問に致します。ですが、彼の者に何か有れば、今度こそ対処して頂くことになりましょう! ……では、これで失礼させて頂きますぞ」

 負け惜しみを。立ち上がって背を向けた大司教を、メッサーハイト公爵は鼻で笑う。だが、聖職者を束ねる大司教という立場にありながら陰湿さを感じさせるマリザラングという男には、十分に警戒すべきだと自らの感が警鐘を鳴らしている。このままで良いのかという言い知れぬ不安がよぎった。

「気をつけてお帰りになられよ」

 部下を引き連れて、逃げるように去っていく大司教に言葉を投げかける。

 恐らくその言葉は耳には届いていなかっただろう。激しく扉を閉めると、足音は遠ざかっていった。


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