(二)渦巻く思惑①
(二)
「お帰りなさいませ! ラーソルお嬢様!」
帰宅すると、エレノールの快活な声で迎えられた。
無事だったかとも問わず、いつものように。何事もなかったかのように。ラーソルバールは首を傾げて微笑むと、小さく息を吐いた。
「ただいま……」
いつもと変わらないことが心地よいとは思う。それでも今日だけは違う出迎えをして欲しかったのか、自分でも正直なところ良く分からない。ただ、日常に戻るための入り口をエレノールが用意してくれたのだ、という事は何となく理解できた。
「長旅でお疲れでしょうから、湯浴みの支度をしますね。とりあえず、一度お部屋にお戻りください」
彼女に優しい笑顔を向けられる度にはいつも思う。適度な節度を守っているものの、とても近い存在であり優しい姉のような存在だと。
階段を上りながら久し振りの我が家を見回す。どこも手入れが行き届いており、エレノールの有難さが身に染みた。
部屋に入って鞄を机の脇に掛けると、椅子に腰掛ける。今にもベッドに転がりたい気分ではあるのだが、汚れたまま転がるわけにもいかない。
「ラーソル、いいか?」
ドアをノックする音とともに、父の声が聞こえた。
「あ、どうぞ」
父は仕事に出ていて家には居ないものと思っていただけに、少々驚いたが顔には出さない。扉を開けて現れた父は、ラーソルバールの顔を見るなりほっとしたように表情を崩した。
「今日が帰還日だと聞いていたので、仕事は休ませて貰った。出迎えるつもりだったのだが、たまたま部屋に戻った時でな。声は聞こえていたんだが遅れてしまった」
足が不自由な父には一階の部屋を用意したのだが、わざわざ娘の顔を見るために二階まで上がってきたのだろう。
「色々とあったようだな。まあ戦の話は、食卓でするものでもないから、また時間があるときにゆっくり聞かせてくれ。何より、無事に帰ってきてくれて安心した」
父の大きな手がラーソルバールの頭を撫でる。色々な感情が入り混じっているのだろう、その手は砂埃に塗れた髪がぐしゃぐしゃになる程に力強いが、優しく温かかった。
同じ頃、王宮は来訪者の対応に苦慮していた。
来訪者の名はヘルエド・マリザラング。最高神シ・ルヴァを祀る教会の大司教である。
「メッサーハイト公爵、陛下へのお目通りをお願いしたい」
「陛下は御多忙のため、お会いできません。先程まで凱旋帰還した兵を労うため、西宮から通りを長時間ご覧になられていてお疲れです。これから間もなく軍務大臣との折衝もございます。いかな御用でしょうか?」
宰相メッサーハイト公爵は眉をしかめ、息巻く相手を諭すようにゆっくりと語った。
国教と定める教会の大司教だけに無下にもできない。大司教の人となりは噂に聞くが、決して良いものではない。
とはいえ、教会の人事にまで国が首を突っ込む事はできないため、放置していたのだが、近頃増長が激しいという話も有る。
「いや、由々しき事態が起きている故、即刻陛下に対応して頂かねばならぬのです」
この物言いは宰相では話にならぬとさえも言っている様であり、居合わせた国家保安大臣のカンダルラ伯爵や、特務庁長官のダトーア伯爵は聞き捨てならぬとばかりに席を立ち上がろうとした。
それを制するように、メッサーハイト公爵はすっと手を差し出し、大司教マリザラングを睨みつける。
「その御用件は何かと、お伺いしているのですが? 陛下のお手を煩わせるようなお話であれば容認できませぬ……」
腹に響くような低い声で威圧するような言葉に、マリザラングは一瞬怯んだ。だが、彼は誤魔化すようにソファから立ち上がると、両手を広げて口を開いた。
「……今、
薄ら笑いを浮かべながら語る大司教に三人は刺す様な視線を送るが、本人は気付かぬように、窓の外を見る。
「本日、その聖女とやらが帰還したとかで、なにやら王都は騒がしかったようで……」
「ほぅ……」
メッサーハイト公爵は僅かにそう口にする。それを同意と受け取ったのか、大司教は下卑た笑みを浮かべる。
「我々教会には、誰かを捕らえるという権限はありませぬ。故に、国としてその者を捕らえ、即刻我々に引き渡して頂きたい」
「それが、神のご意思であると?」
「左様であります」
大司教は三人に白い歯を見せ付けるように大きく笑った。
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