第一章 夢への第一歩

(一)夢への入り口

(一)


 大陸暦八七六年三月一日。その日はひとりの少女の夢を叶えるための日だった。

 ここはヴァストール王国、王都エイルディア。


 爽やかな風と澄んだ空。暖かい日差しが心地良い。

 少女は金色の髪をなびかせながら王宮へと続く石畳を駆け抜けると、王宮の手前で右手に曲がり、広い通りを軽快に走った。

 その先にある大きな建物の門前には、少女と同じ年頃の者達が、既に数十名は集まっていた。

 少女は足を止めると、一度大きく息を吸って呼吸を整える。

「ようやくこの場所に立てる」

 期待と興奮が混ざり合い、嬉しそうに声を弾ませた。

 日頃の鍛練のおかげだろうか、息の乱れはすぐに収まったが、なぜか鼓動は早いまま落ち着かない。これから始まる出来事に、期待で胸が高鳴っているからなのだろうか、と少女は思う。


 この少女の名前はラーソルバール・ミルエルシ。貴族階級の最下層である男爵家の一人娘だ。


 建物の門には「王国立騎士養成学校」と刻まれていた。

 それぞれが様々な思いを胸に、この場所に居るのだろう。誰もが落ち着かない様子でいるのが分かる。多くの者が知人同士で集まり、無駄話をすることでその緊張を分け合っているようにも見えた。

 そういえば……。自分の知人は居るのだろうかと、ラーソルバールは辺りを見回したが、今のところ誰も見当たらない。

「それよりも……」

 自分はただ、今日まで積み重ねてきた鍛錬の成果を出せば良いだけ。筆記も剣も大丈夫。浮つく心に言い聞かせた。


「鐘が鳴りましたら受付を開始致します。間もなく時刻となりますので、入学試験を希望の方は案内用紙を用意して並んで下さい」

 門の近くで職員と思しき女性が、大きな声を張り上げた。その声に皆が反応したようで、会話を止めることなく門の前に並び始める。

 刹那、一際大きな声が上がった。

「どけ、平民共。このグレイズ・ヴァンシュタインが先だ」

 グレイズと名乗った銀髪の少年は数人の取り巻きと共に、周囲を押し退け、進み出る。

 遠巻きに見る者は、苦々しくその光景を見つめ、小声で「あれが侯爵家のやつか」「お偉い貴族様はこれだから……」「恥知らずのボンボンが……」と囁き合った。


「この場に居るのは皆、高き夢を抱く者です。身分の貴賎では無いでしょう?」

 皆がその声に驚き、声の主を見やる。そこに居たのは金色の髪に黒い瞳を持つ少女で、侯爵家の少年たちを睨み付けていた。

「なんだお前は?」

 取り巻きの一人がラーソルバールに詰め寄る。今にも手を出してきそうな雰囲気だが、引き下がる訳にはいかない。

「見ての通り、同じ受験者ですが?」

「そうじゃねぇ、お前は誰だと聞いている」

 とぼけたように答える少女に、少年は声を荒げ、胸ぐらを掴んで威圧する。

「ラーソルバール・ミルエルシ。大した力も無いただの娘です」

 怯える様子もなく名乗る少女に、少年の背後に立っていたグレイズは苛立ちを抑えきれないというように一歩進み出る。そして少年の手を離させると、ラーソルバールを睨みつけた。

「ミルエルシだと? そんな家名は聞いたことがない。どこの貧乏貴族か平民かは知らんが、下がって居ろ。高き夢というなら尚更この俺が前に行かねばならん。無用な争いをしている暇はない」

 ラーソルバールを一瞥すると、グレイズは他者を押し退け、受付へと歩を進めた。

 皆、名家の貴族と面倒事を抱えたくない様子で、道を開けるように避けていく。

「どけ、おら!」

 取り巻き達も周囲を威嚇するようにしながら、後に続いていく。

「ふぅ……」

 呆れたような表情を浮かべ、ラーソルバールはそのまま列に並んだ。

 言っても分からないのならば、こんな日に無用な争い事は起こさない方がいい。不本意だが「問題事は起こさない」という一点においてはあの侯爵家の令息と一致する。腹は立つが、とりあえず今は、彼らの事を考えるのを止めようと決めた。


 それよりも、来るはずの知人が居ない方が気になる。受付終了までには時間があるので、それまでには来るとは思っているのだが。

 周囲を見回して居ると、ひとりの少女と目が合った。どうやら彼女の視線は自分に向いているらしい。先程の件で妙な注目を集めてしまったようだし、とりあえずは気付かなかった事にしよう、と視線を行列の先に戻した。

 すると、列の先頭で一悶着起きている様子が見えた。先程の取り巻き達が中心に騒ぎを起こしているのだろう。列に割り込んだのだろうが、そんな事をすれば問題が起きるのは当然だろうに。ラーソルバールは肩をすくめた。


 先頭の騒ぎがようやく静まった頃、城の鐘が鳴った。続くように近くの教会などの鐘が鳴る。

「受付を開始します!」

 鐘の音の余韻が残る中、門の方から大きな声が聞こえた。一人また一人と前に進むにつれ、騒動で忘れていた高揚感が戻ってくる。

 やがてラーソルバールの順番がやってきた。

「受付番号三番。ラーソルバール・ミルエルシです」

 受験票を提示し、確認を待つ。

「ミルエルシ……?」

 受付担当は一瞬顔を上げラーソルバールの顔を見ると、視線を戻した。明らかに前の受験者の時と様子が違う。訝しげに思っていると、またチラリと顔を見られた。

「何か?」

「いや、失礼。何でもない」

 誤魔化すように受付の男は慌てて手続きを済ませ「案内に従って三番教室に行くように」と指示をする。

 先程の出来事で名前を聞かれていたのかもしれない。そう思うと無性に恥ずかしい。誰にも見られないよう、顔を隠して先を急ぐ。

 騎士学校の門は期待を胸に通るものと思っていたが、実際には思い描いていたものと、随分違うものになってしまった。とはいえ、念願の騎士へと至る道の入り口に、ようやく立てたという事は実感できた。


 教室に着いて指定の席に座ったものの、先程の恥ずかしさは消えず、肩をすくめてうつむいていた。

 それから然程の時間が経たぬうちに、不意に背中をつつかれた。

「……?」

 慌てて振り返ると、後ろの席に座った少女が微笑んだ。

 濃い茶色の瞳と整った顔、茶に近い金色の長い髪が印象的な少女で、その顔を見て思い出した。

 先程、遠巻きにこちらを見つめていた人物だ、ということを。


「貴女、ラーソルバールさんっていうの?」

 彼女も先程の件で、自分の名前を覚えたに違いない。気恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じた。

「いつも街の外れの林で訓練してたでしょ?」

「え……?」

「私ね、貴女が剣の訓練をしているのを何度か見たことが有るの」

「はあ……」

 何と言って良いか分からず、ラーソルバールは半端な返事を繰り返した。


「買い物の時にあの近くをよく通るんだけど、林の中から聞こえる音がとても気になって、何回か覗きに行った事があるんだよ」

 優しい表情で嬉しそうに話す少女に、ふと親しみやすさを覚えた。

「そしたら同じくらいの年の子がいて、剣の扱いが上手で驚いたんだ。凄い子がいるなぁって。話しかけてみようと何度も思ったんだけど、物凄く集中して訓練してたから、邪魔すると悪いと思って遠くから見てるだけにしてたの」

「あぅ……見られてたんだ……」

 確かに人に見られているような気配がした事は、何度かあった。

 林の中で、子供がひとりで居るのを心配して来てくれたり、暇潰しに見に来る大人は居た。時々差し入れと称して、菓子をくれる人もいた。

 だが、子供は誰も寄って来なかった。少女が剣を振り回しているだけの光景は、面白そうには見えなかったのだろう。しかし、この娘は違ったようだ。

「私も騎士になるために多少は練習してたから、できれば一緒にやりたいし、お友達になれたら良いなぁって、ずっと思ってたんだよ」

 意外な言葉にラーソルバールは驚いた。

「わ……私と?」

「今の話で他に誰が居るの? あ、申し遅れました。私の名はシェラ・ファーラトス。よろしくね」

 シェラと名乗った少女は、ラーソルバールの反応が余程可笑しかったらしい。笑いながら手を伸ばした。

「ラーソルバール・ミルエルシです。名前が長いから、親しい人にはラーソルって呼ばれてます。よろしく、シェラさん」

 先程までの件もあり、伸ばされた手を握りながらも、嬉しいような気恥ずかしいような、複雑な心境だった。

「友達なんだから、呼び捨てでいいよ。とはいえ今日は受験だから、ラーソルとはライバルでもあるね」

 シェラは、少々複雑そうな表情を浮かべる。

「ううん、定員が決まってる訳じゃなくて基準を満たせば合格らしいから、ライバルとか意識する必要はないよ」

「そうなんだ。じゃあ自分に出来る事をやればいいってことね」

 簡単に言ったものの、その基準が意外に高いとは聞いている。


 騎士学校に入学すれば、二年間の学生生活を送ることになる。

 その間は全員に入寮が義務付けられており、寮では食事が無償で提供されることになっていた。住居と食事が与えられる、つまりは生活が保障されることを意味しており、食扶持欲しさに生活困窮者が受験する事も少なくない。

 国庫からそうした資金が捻出される以上、選定基準が厳しくなるのは当然と言える。昨年が三百名弱、その前の年が二百五十名程度と幅が出るのも致し方ない。

 受験資格は、このヴァストール王国内に生活拠点がある十四才以上かつ十八才未満の者、というもので縛りが少ない。国内の良い人材を貴賎を問わずに集めたい、という意図が良く分かる。


 受験者が教室を埋め尽くす頃、ようやく試験官が入室してきた。

 試験官は、すぐに受験者達に着席を促すと、全員に試験用紙とペンを配布する。

 筆記試験は一般常識から危機管理、果ては戦術論と、受験者達の頭を悩ませるには十分な問題が出題された。

 この国の識字率が高いとはいえ、教育が行き届いている訳ではない。一般常識はともかく、歴史や語学、算術などは貴族階級でもなければ学ぶ機会は少ない。

 それとは異なり、危機管理や戦術論などは習うものではなく、個人の才覚に拠る所が大きい。

 多種の解があり、正解は有って無いようなものである。良い回答を期待し、素養を見る為のものなのだろう。要は「考えられる頭」を持っているかを試しているのである。

 受験生たちには、その思惑は分からないだろうが、良い答えを出そうと、問題に頭を悩ませ苦しんだ。

 ラーソルバールも例外ではない。

 楽しみつつも大いに頭を悩ませ、ペンを走らせた。ラーソルバールが頭をかきむしること何度目か、外から鐘の音が聞こえてきた。

「終了の刻限である。記入をやめたまえ」

 その声とともに、ラーソルバールもシェラも机に突っ伏した。

 前に座っているラーソルバールが、自分と同じ格好をしているのを見て、シェラは思わず吹き出した。

 笑われている事に気付いたラーソルバールは、試験用紙を試験官に差し出しつつ振り返る。と、その顔を見たシェラは、思わず声を出して笑いだす。

「あはははは! お、おでこ……」

 突っ伏した時にペンが触れたのだろう。ラーソルバールの額には黒い線が入っていた。

 事情が飲み込めないラーソルバールは苦笑するしかなかった。

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