第65話 祈りと

 獣人の王城にある医務室。


 清潔なベッドの上で静かに横たわっていたスレイヤが、ぱちりと瞼を開いた。


「ひ、姫様……!」


 獣人のメイドが真っ先にスレイヤに抱きついた。

 周りを取り囲む医者たちに制止され、メイドが慌ててスレイヤから離れる。


「みんな……レイズ殿? いったい、私はなぜここに……」


 スレイヤはきょとんとした顔で、目を瞬かせる。


「よかった……スレイヤさん……」


「うん。レイズのおかげ。怪我もしてない」


 ふたりは感動しているような面持ちで俺を見上げた。

 だが、スレイヤがフェイに心臓を貫かれ、絶命したのは紛れもない現実だ。


 俺が限定的に時の流れを逆転し、その可能性を殺したに過ぎない。


「あのぅ……レイズ殿。いったい、なにがあったのでしょうか?」


「わたしがあとで説明する。だから、今はゆっくり休んで」


「そ、そうなのか。かたじけない……。とはいえ、特に疲れてもいないのだが……」


 スレイヤはすっかり困惑していた。


 記憶がないのは当然だ。

 俺がそのように時間を反転させたのだから。


 だが正確に言えば、あえて記憶もまとめて逆行させたというのが正しい。


 必要ない。

 自分が殺される瞬間の記憶など、毒にしかならないに決まっているのだから。


「それにしてもこのような奇跡……目の当たりにしても、まだ信じられません」


 あの鬣の元首も唖然とし、傷ひとつないスレイヤを見つめていた。


「まさしく神の御業……ということなのでしょうか?」


「神の力などではない」


 俺は即座に否定した。


 そう。神ではない。

 もし形容とするすれば、ただひとつ――


「ところで、レイズ殿」


「なんだ」


 スレイヤの獣耳が、ぱたぱたと左右に動いていた。

 これまで何度も見た動き。いい加減、俺にもなにを言いたいかはわかった。


「食事の準備はできている」


「ほ、本当か!? では一緒に、ご飯にしよう!」


 瞳を輝かせるスレイヤに、シルファとアージュも微笑んで頷いていた。


      △▼


 小高い丘に、いくつもの墓標が整然と立ち並んでいた。

 俺はスレイヤに連れられ、獣人の共同墓地に足を運んでいた。


 先日、暗殺者の集団によって殺された街の獣人たちの埋葬のためだった。

 すでに人気はない。ひとしきり葬儀も終わり、日差しが降り注ぐ墓地には、穏やかな静寂が広がっていた。


「――すべて、シルファ殿から聞かせていただいた。あの日、私の身に起きたことも、それから、レイズ殿に起きたことも……」


「そうか」


「無論、フェイ殿の最後も……」


 スレイヤは悲痛に目を伏せた。

 スレイヤは、フェイのことを信用していた。そしてアージュも。


 裏切られた痛みは、戦いの傷よりもスレイヤを苛んでいるようだった。


「私がもっと鼻を効かせていれば、この者たちも助けられたかもしれぬ」


「くだらない後悔だ。過去は変わらない」


「レイズ殿の力をもってしても……か?」


「そうだ」


 俺は断定した。


 失われた命は、戻らない。

 俺の反転魔法も、所詮はごく限られた限定状況下の蘇生に過ぎない。

 もし、この墓地に眠る者たちすべてを蘇らせることができるのなら、俺はとっくに、リザをこの手で生き返らせている。


 俺は心のなかで、ここに眠る者たちに祈りをささげた。

 せめて魂が安らかにあるようにと。


 それはわずかに残った、神官としての義務感からだった。


「ではやはり、悔い続けるしかないのだな……」


「できることは、他にもある」


「それはいったい……」


 祈りを終えた俺は、スレイヤに背を向けた。


 決まっている。

 奪われたものは戻らない。


 だから俺は、奴らからすべてを奪うのだ。

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