第63話 黒き片翼

「え……?」


 邪神化によって異貌の姿を手にしたフェイが、今度は奇妙な表情を浮かべていた。


 その原因は、俺にある。


「レイズ……それ……」


 シルファやアージュも、愕然と俺を見つめていた。


 その理由は、俺の外見だった。

 みずからを見ずとも、俺は自分の肉体に起きた変貌を理解していた。


 俺のこめかみの片方から、あの魔王の角が突き出ていた。


 そして、その反対側――

 俺の背中から、巨大な黒き翼が生えていた。


 黒き片翼。

 あまりの巨大さゆえに、身体の重心が翼側に寄っているのがわかった。


 だが苦痛も不自由も感じない。

 それどころか、これまで得たことない身軽さと力強さが、全身に満ちていた。


「ククッ……」


 フェイが呆然と俺を見つめる。


「な、なんですか、それは……」


「ああ……実に心地いい感覚だ……。本来の自分に近づくというのは」


 俺は自分の手足を動かすように、片翼をはためかせた。


 羽ばたきによって生じた変哲もない風。

 それが邪神化したフェイの触手を、一瞬にして斬り飛ばした。


「があぁっ……!?」


 初めてフェイが、苦悶の呻きを漏らした。

 どうやら無数の命を携えていても、痛みを感じる神経は残っているらしい。


「な、なんでボクの腕が……くっ!」


 すかさずフェイが反撃に出る。再び触手を再生し、遠距離から一斉に放つ。


 永遠の死を与える拳。

 だが俺からすれば、まるで児戯に等しい。


 そのすべてが、ことごとく翼に弾き返された。


 俺の意識とは無関係に黒き片翼が折り畳まれ、俺の身体を防護していた。

 まるで完全なる盾のように。


「そ、そんな……だって、ボクの力は、世界を――」


「借り物の力で、いったいなにを勝ち誇っている?」


「え……?」


「神に接続する? 神と一体化する? はっ……笑わせる」


 俺は優雅に片翼を開き、右腕を掲げた。

、なぜ、この俺に抗えると思う?」


「……!!」


 奴の言葉をなぞらえた挑発。

 フェイの激情がありありとわかった。


 邪神と一体化してもなお、その稚拙な感情は制御しきれないらしい。


「はっ……そ、そんな姿になって……それじゃあもう人間じゃなくて、化け物じゃないですか……!」


 あまりにも滑稽な虚勢だった。


「そうだ。俺は人間ではなく、魔王だ」


「はは……。ディーンの言っていたことは本当だったんですね……。ええ、それなら望むところです。それこそ、ボクたち《七人の勇者》の使命にふさわしいです」


 フェイの可憐な顔に、醜い嘲りが浮かぶ。

 無辜の人々の前では決して見せない、奴らの本当の顔。


「二度目の魔王討伐、ボクが果たしてあげます」


 フェイはみずからを鼓舞するように言った。

 度し難いほどに愚かしい。


「ひとつ、勘違いをしているようだな」


「え……?」


「お前たちが倒した魔王は、かつての力の大半を失った死に体だ」


「な……なにを言って――」


「魔王とて、肉体そのものは不滅ではない。かつてこの地上すべてを支配していた力を取り戻すには、新たな器へと入れ替える必要があった」


 フェイは黒き翼を操る俺を、まじまじと見つめていた。

 無知とはここまで残酷なものだろうか。


 いったい誰を目の前にしているのか、まるで理解していない。


「ひれ伏せ。お前の目の前にいるのは――ただの神官ではないぞ」


 フェイの顔が蒼白になる。


「さあ、その邪神の力とやらで、俺を殺してみるがいい」


「い、言われなくても、今すぐに……」


 フェイは触手を天に伸ばした。


 だが俺は一歩も動かず、黒き翼を開き、ただ右手をかざした。


 魔王の心臓が、一際大きく脈打つ。

 無尽蔵に生成される魔力が、治癒と破壊をもたらす右手から溢れる。


「なっ、なにを……」


「格の違いを見せてやろう」


 この手は、あのとき、リザを救えなかった右手。

 忌まわしき記憶が刻まれた罪の手だ。


 だが、今はちがう。


「刮目せよ。その身をもって、とくと味わうがいい」


 フェイが無数の触手の足を使い、一気に距離を詰める。


 神ともあろうものが、たかが神官ひとりを恐れている。

 その理由は至極単純だ。


「――魔王の手により命じる。過去に失われし時よ、彼方に忘却されし刻よ……」


 詠唱開始。


 焦燥に駆られたフェイが、すべての触手を攻撃に回す。


 暗く明滅する魔力の煌めき。これは、かつて世界を統べし者の力。


 邪神化したフェイが咆哮する。


「か、神に逆らう愚かさを、思い知れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!!!!!」


 この手はすべてを壊し、穢し、殺し尽くす。

 神が俺の邪魔をするというのなら。


 俺はこの手で――神を殺す。



「悠久の時間よ、再生しろ――【オルタ・クロノス】」



 触手が触れる直前、詠唱は完了していた。


 大地が震撼する。


 暗黒よりもなお昏い光が、破壊され尽くした庭園と城のすべて飲み込んでいた。

 地上をいくつもの光の線が駆けめぐる。


 大気を鳴動させていた地響きが、徐々に、だが確実に収まっていく。

 そこから起きた光景は、実に喜劇的なものだった。


 粉々になった石や土が集まり、崩壊した城が修復されていく。

 焼き尽くされた庭園の木々が、再び鮮やかな葉と花を生やしていく。


 駆けつけて殺され、その遺体さえも潰された獣人の兵士たちが、傷ひとつない姿でその場に横たわった。


 それは、蘇生魔法【レイザー】の多重同時発動にも等しい。


 現れた獣人たちのなかに、スレイヤの姿もあった。

 フェイに貫かれたはずの胸に傷痕はなく、血の一滴すらも付着していない。


 破壊とは対を為す、再生の様相。


「なに、これ――」


 フェイは愕然と、この世のものとも思えない光景を見上げていた。

 だがフェイ自身もその変化の渦から逃れることはできなかった。


 邪神化によって変貌した身体から、次々と触手が剥がれていく。

 さらに変色した手足も、心臓の結晶も、何もかもが元通りになっていく。


 まるで邪神化したその流れを、逆に見ているかのように。


 あふれていた光が潰えると同時に、俺は掲げていた右手を下ろした。


「ボクにいったい……いったい、なにをしたんですか……?」


「俺が時を戻した」


「え……?」


 俺が反転したのは、時間だった。


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