第60話 贄
世界が青と赤に染まっていた。
周囲から、獣人の城も、遠景に広がる城下町も、シルファやアージュたちの姿も、なにもかもが消え去っていた。
その代わりにあるのは、大きさも形状も様々な、無数の鏡の破片。
そしてその先端に突き刺さりぶら下がっているのは、獣人の死体だった。よく見れば不安定な足元を構成するのも、すべてが屍だった。
きらびやかな鏡面と、その下に広がる血と肉塊。
「――どうです、誰よりも可愛くて尊いボクの世界は?」
フェイはその悪趣味な世界の中心に立っていた。
奴が動く度に、無数の鏡がその動作を無限に複製する。
イオナときは拷問器具だったが、今度は鏡か。
他者を一切見ず、己を見つめるためだけの道具。
実に醜悪な内面を持つこの女らしい。
「低俗な景色だ」
「ええぇ~酷いですねぇ。っていうか、もっと驚いてほしかったんですけど」
「お前が、仲間の魔法使いの真似事をしたことをか?」
「まあ、そうですね」
フェイは手鏡を取り出し、それで己の顔を見つめた。
うっとりと自身の美貌に酔いしれている。
「実は、イオナが神官さんに奪われたことは、ボクたち《七人の勇者》にとって、たいした痛手ではないんです」
「どういう意味だ」
「この【ワールド・エミュレイター】は、イオナの創造した魔法。正確に言えば、ディーンがイオナに命じて開発させた儀式用の魔法なんです。それを術式化して、他の勇者たちに転写(コピー)するために」
「儀式……?」
「ええ。つまり、これが本来の使い方なんです」
フェイはぺらぺらと自分たちの手の内を明かす。
あえて俺を騙す理由もない。となれば、おそらく真実なのだろう。
よほど自分たちの優位に自信があるらしい。
あるいは、俺を殺す自信があるかだ。
「だから、イオナの役目はもう終わってたんです。あ、安心してください。ボクはイオナみたいに悪趣味なことはしませんから」
確かにあのときとは違い、俺の体の自由は奪われてはいない。
シルファやアージュも、この空間には取り込まれていなかった。
では、なんのためにこの空間を生成したのか。
「ねぇ、神官さん。神官さんなら、神さまに詳しいですよね?」
「さあな」
「ふふっ……でも、どんなに詳しくても、たぶん答えられないんじゃないですか? どうしたら、本物の神さまと接触できるかどうかなんて」
無限の鏡に映りこむ、無限のフェイの姿。
その悪夢のような影が、俺に囁きかける。
「神さまに会うには、生贄が必要なんです」
俺の足元を埋め尽くす獣人たちの屍が、ゆっくりと浮上しはじめた。
それらは螺旋のように渦を描きながら、宙に登っていく。
その中心にぽつりと存在する、見慣れた人影があった。
「スレイヤ……」
生贄。
その言葉が、これまでのフェイの行動を、そして《獣狩り》の存在意義を端的に示していた。
「だから殺したのか。獣人たちを、スレイヤを」
「べつにボクの趣味とかじゃありませんよー? 《七人の勇者》が、世界をより良いものにするために、神さまにお手伝いしてもらおうというわけです」
まるで世間話をするような気楽さで、フェイは神の存在を語る。
「でも神さまと会うには、たくさんの生贄が必要みたいなんです。だから殺さないといけないですよね? ただボクたちが調べたところ……どうやら生贄には量だけじゃなく、質も重要だってことがわかってきたんです。貴重な血を持つほど、生贄にはふさわしい。そう……たとえば王族であるとか、お姫様とか」
姫――
スレイヤのことを指していることは疑いようもなかった。
フェイは恍惚と屍で構成される螺旋を見上げる。
「それが、敗北した振りをして俺に近づいた目的か」
「ええ、その通りです。もぉ、神官さんの拳程度を痛がる演技をするのだって、けっこう苦労したんですから♪」
フェイはけらけらと嗤った。
「ボクたちに反逆する神官さんなら、異種族の信用を得るのも容易い。だから神官さんの味方になれば、こうして獣人族の秘密にもあっさり辿り着ける……というわけです。
あはっ♪ やっぱりボクってば、世界一可愛くて賢いですよね~」
フェイは目的は、大量の生贄を集めること。
そして同時に、希少な血を持つ存在を見つけることだ。
だが人間とは違い、獣人族の王族の正体は秘匿されていた。
それは昨夜、城の大広間でスレイヤが語っていたように、彼女たち自身の命を守るための安全策だ。
だからこそフェイは俺に取り入り、手っ取り早く獣人たちの懐に潜りこんだ。
すべては今、このときのために。
残る問題は、フェイの言う儀式とやらの真相だ。
「神官さん。あれが見えますか?」
俺はフェイの視線につられ、血と鏡の世界の空を見上げた。
そこに扉があった。
いや、それは扉というよりは門だった。
どんな城や神殿にも存在しないであろう巨大な門が、遥か頭上に浮かんでいる。
「あれが……神さまに接続するための門です」
無数の獣人たちの、スレイヤの遺体がゆっくりと上昇し、天の門へと向かう。
すると堅く閉ざされていた門が左右に開き、その内部を開放しようとしていた。
「この空間は儀式のための場所。神さまと繋がる門を作り、そしてその対価となる、大いなる生贄を捧げるための」
恍惚とした笑みを浮かべ、フェイが門を見上げる。
「さあ……見ていてください。世界一可愛いボクが、世界一、美しくなる瞬間を」
俺の動きを遮るにように、地面から血塗られた鏡の柱が生える。
阻止は間に合わない。
獣人たちとスレイヤの身体が、扉の奥へと吸い込まれる。
「神と一体化したボクは、世界一美しいに決まってますよね?」
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