第59話 無の加速
「へぇ……さすがレイズさまですね」
フェイは俺の言葉に興味をそそられた様子だった。
「武闘家の強みはなにか、あのときボクがなんと言ったか、覚えていますか?」
「素早さ、か」
「ええ、そのとーりです。では素早さの極致がもたらすものは、なにか……」
フェイの姿と気配が三度、消滅する。
そして気づいたときには、俺の目の前に現れていた。
速さではない。これは――
「ボクは、時間を使わずに動くことができるんです」
俺の身体に無数の拳打が叩き込まれる。
あらかじめ展開していた【オルタ・フォース】により威力が相殺されるも、回避することはできなかった。
わずかに俺の身体がよろめく。
その小さな成果を、フェイは誇らしげに見つめた。
そう、今のはほんの序の口。
本気になれば、俺を殺せる――その自信の表れだった。
「瞬く間、刹那の時間ともちがいます。それすらボクにとっては遅すぎる。ボクだけが、無の時間で動くことができるんです」
すなわちそれは、フェイが動いている間、他の人間は停滞していることと同義。
ひとりだけ別の時間を生きているに等しい。
「わかりますか? ボクにとって、時間とはそういうものなんです。停止した凡人どもとちがって、ボクだけが特別なんです」
「特別……か」
姿も気配も存在しない虐殺者の正体。
「これがボクの固有魔法――【ゼロ・アクセル】です」
固有魔法。
通常の冒険者の用いる汎用魔法とは、一線を画す力。
この俺の反転魔法と同じ、唯一無二の術だ。
「イオナの【メテオ】しかり、《七人の勇者》はみな、それぞれの固有魔法を持っているんです。ああ、知らなかったとしても仕方ありません。なにせ、ボクたちがどういう方法で魔族や魔物を皆殺しにしていたか、戦場にいなかった神官さんが知らないのは当然のことですから」
フェイは傍らに血まみれのスレイヤを一瞥した。
「ふふっ、でも大丈夫ですっ。ボクはそんな愚かなレイズさまのことも、特別に嫌いにならないでいてあげますから。落ち込まないでくださいね?」
フェイは俺を嘲弄している。
だが反論の必要は感じない。
愚かであり、そして無力であったかつての俺は、それが世界を救うための清き力だと信じていた。
だがそんなはずなかった。
殺すための力に、貴賤などあるはずがない。
今ならそれがわかる。この両手が血に染まった今ならば。
「それじゃあ、そろそろレイズさまともお別れです……」
フェイは血塗られた両手を下げ、悠々と歩み寄る。
停滞した世界で一方的に敵を虐殺できる武闘家に、恐れるものはない。
フェイが【ゼロ・アクセル】を発動。
すべての生命が停滞するなかを、独占的に移動し、致命の一撃を加えるために。
だが次の瞬間起こったことは、それとはちがう事象だった。
地面から、巨大な火柱が迸った。
「なにっ……!?」
空気すらも焼き尽くす炎にフェイの身体が飲み込まれる。
かろうじて逃れるも、フェイの身体からは白煙が上がっていた。
「こ、これは……いったいどこから攻撃を……」
「イオナの魔法術式だ。この庭園の至るところに設置してある」
「なっ……!?」
俺は誇るまでもなく、淡々と教えてやった。
俺の傍らに、【キュア】で再生させたイオナが立つ。その手に反応するように、庭園自体がぼんやりと淡く発光していた。
「たとえ人間が反応できなくとも、魔法はちがう」
「え……?」
「お前がひとり人間の時間を超越したところで、特定の魔法にそれは関係ない。詠唱する人間も必要としない、設置型の術式魔法ならばな」
「……!!」
フェイが身の危険を察知し、再び無の時間で逃れようとする。
だがすでに、こちらの攻撃は終わっている。
足元に隠蔽状態で埋め込んでいたイオナの魔法術式が次々と起動。
一撃で城を破壊するほど爆炎が連続して炸裂。
フェイの身体を四方から翻弄する。
「ぐっ……」
全身に衝撃波と炎を浴び無残な姿になりながらも、かろうじてフェイは致命傷を回避していた。
さすがは伝説の武闘家、といったところか。
「ど、どうして、こんなことが……」
「言ったはずだ。お前の本性など、最初から見抜いていたと」
俺はひざをついたフェイを無感動に見下ろした。
奴の真似をして、嘲笑を浮かべる。
「お前はイオナのことをずいぶんとを侮っていたようだが……お前よりも遥かに手強く、頭も回る相手だったぞ」
「……!!」
フェイが【ゼロ・アクセル】で退避する。
「ボクを……ボクを侮辱しましたね……」
息を荒げ、怨嗟のこもった形相で俺をにらみつける。
俺にとっては、あの猿芝居よりも遥かに心地のいい態度だ。
「いいです。なら、見せてあげます!」
フェイの全身から魔力が高まる。
大がかりな魔法発動の予兆。
だが武闘家であるフェイは、これまで直接的な打撃攻撃を主体としていた。攻撃魔法の類ではないはずだ。
いったい、なにをするつもりなのか。
フェイは口の端の血を拭い、再び会心の笑みを浮かべた。
「さあ、ボクの世界に飲まれてください――
【ワールド・エミュレイター】!」
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