第58話 速さの先

 てらりと赤く濡れたフェイの腕が、スレイヤの胸から突き出ている。


 鳩尾の上、ほぼ心臓に近い位置。

 フェイは口元に深い笑みを刻むと、それを一気に引き抜いた。


「ぐふっ……!」


 スレイヤの口から大量の血塊がこぼれる。

 その身体が力なく折れ、ひざから崩れ落ちた。


 痙攣するスレイヤをフェイが見下ろす。


「ボクに殺されるなんて、世界で一番のご褒美ですよ♪」


 美しい庭園に広がる凄惨な光景。

 アージュの悲鳴により、凍りついていた時間が動き出す。


 まず反応したのはイオナだった。


 アージュの緊迫した叫び声から、フェイを重大な脅威として判定。俺の命じた行動原理に則し、即座にフェイを排除するため手をかざす。


 だがフェイの速度は、それを優に凌駕していた。


 鋭い手刀がイオナの首を切断した。


 血の噴水を噴き出し、イオナが倒れる。

 みずからの血で、紅いローブをより深い色に染めた。


「ふんっ。《七人の勇者》の面汚しが、馴れ馴れしいですね」


 フェイはかつての仲間に対して吐き捨てる。

 シルファもアージュは凄絶な惨状を前にして動けない。


 無論、俺までそれに倣う必要はない。

【シフト】で瞬時にフェイに肉薄すると同時に、零距離で【オルタ・キュア】を発動。


 だが、かざした右手は虚空に触れる。


 フェイの姿が、あさっての方向にあった。


「あれれぇ? レイズさま、ボクの素早さについてこれないんですかぁ?」


 以前戦ったときよりも、遥かに速い。


 俺は眉一つ動かず、フェイの姿を観察する。

 小さな肩が小刻みに震えている。

 嗚咽をこらえているわけではない。


「くふふっ……あはははははははははははははっっっ!!」


 フェイは血だまりに沈むスレイヤを、俺たちを嘲笑していた。


「まさか本当に、ボクに気を許していたんですか!? どいつもこいつも、救い難いほどの馬鹿どもです! やっぱり獣人は、獣並みの知性ってことなんですね♪」


 醜く濁り、淀んだ瞳。

 およそ人間が持ち得るとは信じられないほどの邪悪さ。


 だが俺は、それを持つ者たちを知っている。


 俺が復讐を果たすべき相手。


 世界を我が物にしようとしている、《七人の勇者》だ。


「そんな……フェイさん……」


 圧倒的な悪意を前にしてへたり込むアージュをかばうように、俺はフェイの前に立ちはだかった。


「本性を現したか。フェイ・リーレイ」


「あれ? もしかしてレイズさまは、気づいていたんですかぁ?」


「いつ俺が、お前を信用したと言った?」


「ふふっ……やっぱりレイズさまのそういうところ、ボクは嫌いじゃなかったですよ」


 フェイは俺を楽しげに見つめた。

 その視線には、他の者に向ける侮蔑とは異なる感情があるようにも見えた。


「いつか言ったことを憶えていますか? ボクはイオナとはちがうと」


「それがどうした」


「つまり、ボクは世界一可愛くて賢いということです。そこに転がる、拷問と火力しか取り柄のないマヌケとはちがって、ちゃんと頭脳を駆使してますからね」


 フェイは指先でこんこんとこめかみを叩いた。


「それが今までの、くだらない猿芝居か」


「やだなぁもう。レイズさまだって、ボクみたいな絶世の美少女に迫られて、嬉しかったでしょー? あんなご褒美、もう二度とないんですから」


 フェイが妖艶に自分の唇に触れる。

 それを俺は無言で見据えた。


「わわっ、お顔が怖いですよ、レイズさま。もしかしてですけど……その獣人を殺されて怒ったんですかぁ?」


 フェイの拳で胸部を貫かれたスレイヤは、ぴくりとも動かない。

 残念だが、すでにもう絶命している。


 だが今ならまだ、俺の【レイザー】による蘇生が間に合う。


「どこを見ているんですか?」


 俺がスレイヤに腕を伸ばそうとした瞬間、スレイヤの遺体は消えていた。

 あさっての方向に立つフェイが、その首根っこを無造作に掴んでいる。


 まるで見えなかった。

 いったいいつ、どのようにして移動したのか。


「うふふっ……あははははは! もしかして蘇生を狙っているんですかぁ? でもダメです。大事な生贄なんですから」


「生贄……?」


 瞬間、俺はフェイの姿を見失った。

 するとフェイは、屋上庭園とは別の主塔の上に立っていた。


 そこでスレイヤの遺体を捨て、悠々と両手を広げる。


「どうしました? もしかして、ボクの動きを追えませんか? 無理もありません。なんたってボクは――」


 直後、フェイの声が真後ろから聞こえた。


「世界一、素早いんですから」


「レイズっ!!」


 シルファの警告と同時に、右手で背後を打ち払う。


 だがフェイはその寸前に飛び上がり、悠々と距離を取った。


 俺の首元には、赤い線が走っている。うっすらと切れていた。


「今ので一回死んでいましたよ。ボクにとって、相手を殺すことはまったく労力を必要としないんです。この意味、わかりますか?」


 俺が反応できなかった理由は、おおよそ察しがついた。


 目に映らないだけではない。

 気配そのものが完全に消滅している。


 この殺意なき凶撃。間違いない。


「お前が、《獣狩り》の正体か」


「正解ですっ♪ あはっ、街で神官さんが仕留めたのは、ただの雑魚です。ボクの正体を隠すために使ったカモフラージュですよ。惜しかったですね、もうすこし気づくのが早かったら、スレイヤのことも助けられたのに」


 あの砦にいた獣人たちを虐殺したのも。

 数日前、獣人族の主力部隊を全滅させたのも。

 そしてあの商業都市の住民を、暗殺者を使って殺したのも。


「あっ、ちなみにディーンの言葉には、ボクは個人的に大賛成なんです」


 フェイは誇らしげに自らの首領を称えた。


「どうして汚らわしいケダモノどもが、この人間さまの世界でのうのうと生きていられるんですかね? キミのことですよ、くたばり損ないの魔族のシルファちゃん♪」


「わたしは……」


 シルファは衝撃を受けながらも、毅然としてフェイを見返した。


「わたしには、魔族のみんなを守る責任がある」


「じゃあやっぱり、殺し合うしかないですね。どちらかが滅びるまで」


 フェイが楽しげに口元を緩める。


「なぜ、こちらに従う振りをした? お前たちの目的は、ただの虐殺だろう」


「あははっ。もっちろんそうです。ボクに与えられた役割でいえば、とにかく沢山殺すことなんです。でも……っと、これ以上は、この場を生き延びられたら教えてあげます」


 その場にけたたましい足音が響いた。


 駆けつけたのは獣人の兵士たちだった。

 スレイヤの遺体と、その返り血を浴びたフェイを目撃し、事態を把握する。


 瞬く間にフェイを取り囲んだ。


「ふぅ……懲りないですねぇ。やっぱり獣並みの知性、ということですね」


 俺が獣人の兵士たちに警告を発しようとした瞬間。

 その身体は血飛沫の中でばらばらになる。


 フェイの拳は砲弾にも等しい。その直撃を受けた獣人たちは、原形をとどめない肉塊へと変わり果てた。


「ああ……」


 アージュは蒼白になり、惨劇を成す術もなく見せつけられていた。


「どうです? ボクの素早さには誰もついてこれないことが、また証明されましたね」


「いや、ちがうな」


 俺は鼻を鳴らして否定した。


「お前のそれは、ただの速さではない」

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