第56話 獣姫
大広間には、この城に勤める獣人たちが集まっていた。
一角には、曲を演奏するための楽団員たちがいる。無論、全員が獣人だ。
その大勢の視線が、いま一点に注がれている。
その先にいるのは他でもない。
俺とスレイヤだ。
「れ、レイズ殿。これはその……非常に、気恥ずかしいぞ……!」
丁寧に結われた髪と、ふわりとロングスカートが広がる上品な色彩のドレス姿。
ひょこひょこと動く見慣れた獣耳がなければ、別人だと思ったかもしれない。
シルファとアージュのドレス姿にも目を見張るものがあったが、普段とのギャップという意味では、スレイヤこそが最も大きな変化を遂げている。
もっとも、本人はそれを気恥ずかしく感じているらしい。
まじまじとした俺の視線に気づくと、スレイヤは途端に頬を赤らめた。
「わ、私にこのような恰好が似合うはずが……!」
「そうでもない。もしそうなら、この場にいる獣人たちが、見惚れるような視線をお前に注ぐはずはないからな」
「ななっ……!?」
スレイヤはさらに頬を赤くし、ふさふさの尾を左右に激しく振った。
俺は単に事実を言ったつもりだ。
楽団員が演奏を始める。
ゆったりとした曲調の、優雅なメロディが流れる。
「では、手を」
「あ、ああ」
スレイヤが恐る恐る差し出した手を、俺は丁重に受け取った。
そこから腕を引き、スレイヤの腰に手を添え、身体を密着させた。
「……!」
「合わせろ」
俺は曲に合わせて身体を回転させ、腕を伸ばす。
振り回されるように、スレイヤがステップを踏む。
「わわっ……!」
「その調子だ」
スレイヤは驚愕に両目を見開いていた。
「れ、レイズ殿! まさか、このような舞踏の経験が?」
「ない。見様見真似だ」
「そ、それでこのためらないのなさなのか……!」
スレイヤ単純な驚きなのか、羞恥心なのか、視線が忙しく泳いでいる。
あるいはその両方か。
俺はスレイヤをエスコートしながら、立ち位置を入れ替え、手を伸ばし、再び引き寄せ、ダンスを続ける。
ただし、なんの感情も込められていない舞踏を。
そんなことは知らず、観衆の獣人たちからは感嘆の吐息がもれる。
「れ、レイズ殿……! もうそろそろ、よいのでは……」
「ひとつ、質問がある」
「な、なんだこんなときに……」
「お前とシルファには、共通点があったようだな」
「共通点……?」
シルファは魔王の娘。
王の血を引く者。
意味合いは異なれど、近しい存在だ。
シルファがスレイヤの同行を歓迎したのは、もしかしたら直感に近い共感があったのかもしれない。
「そろそろ、白状してもらおうか」
「さきほどから、いったい何のことか――」
「慣れていないわりには、随分と踊りの学習が早いな」
「そ、それは……」
スレイヤは先ほどから、俺の動きに停滞なく合わせている。
俺はスレイヤの腕を、ぐっと引き寄せた。
ほとんど抱きしめるような姿勢。スレイヤの体温を感じながら、俺は耳元で囁いた。
無論、愛の言葉ではない。それはある種の恫喝だった。
「お前は、この獣人族の姫だな」
△▼
宴の場は、何事もなく終わりの時間を迎えた。
俺たちは誰もいなくなった大広間で、スレイヤを詰問していた。
「スレイヤさんが……お姫様、なのですか?」
「そうみたい」
アージュは率直な驚きを見せている。
シルファはいつも通り、表情の変化は乏しい。
「さきほどそこのメイドが、洗いざらい白状した」
俺が言うと、スレイヤはメイドをじろりと睨んだ。
獣人のメイドは弁解の余地もない、といった様子でひたすら萎縮していた。
スレイヤも観念した様子だった。
「……そうだ。私は古き獣人の王族の血を受け継ぐ、ただひとりの生き残りだ」
「つまりそこのメイドは、お前の従者か」
獣人のメイドが申し訳なさそうに頷く。
「まったく……私のことを姫扱いする必要はないと、何度も言いつけていたのだが……」
「でも、スレイヤさんは本物のお姫様なのですよね?」
「公然のものではない。政治的な王を必要としなくなった我ら獣人にとって、私が姫であるというのは、血筋的な意味合いでしかない。それに……多くの国民は知らない」
「なぜ秘密にしている?」
俺の問いに、スレイヤは気まずそうに目を伏せた。
「かつて王による統治が行われていた時代、王族は常に命を脅かされていた」
「それは……政争、ということでしょうか?」
「ありふれた話だが……その通りだ。身内からも、ときには他の種族からさえも、命を狙われた。ゆえに王族を暗殺から護るために、この国ではその正体を秘匿するようになったのだ。そして王制が廃止された今でも、それが続いている……というわけだ」
「魔族なら、そんな必要はない。わたしの命を狙う魔族はいなかった」
「魔族と獣人では事情も異なるのだ。……黙っていて、申し訳なかった」
スレイヤは真摯に話を聞くアージュたちに、深々と頭を下げた。
「それに、私は姫である以前に、ひとりの剣士だ」
スレイヤはドレスの裾を固く握りしめていた。
「素性など重要ではない。私は自分の意思で、この剣で皆を救う道を選んだ。それだけのことだ」
「それで、みずから《獣狩り》を追っていた、というわけか」
「そうだ。私は、剣の腕ではこの国の誰にも負けないと自負している。もっとも、レイズ殿のような本当の強者には及ばぬが……」
スレイヤの事情は理解できた。
もっとも、俺にとってはたいして関係もないことだ。
「それで、これからどうする」
「……私のご主人は、レイズ殿だ」
スレイヤの瞳には、一抹の怯えがあった。
「叶うのならば……私は、レイズ殿のお役に立ちたい」
耳がしゅんと前に垂れ、尾も力なく下がっている。
俺の顔色を伺っているような反応だ。
「私の力でどこまでレイズ殿を助けられるかはわからないが……それ以外に、私にできることがあれば、どんなことでも尽くす所存だ。だから……」
俺はシルファを一瞥する。
シルファは薄く微笑んだ。
俺がどう答えるか、すでにわかっているようだった。
小さく嘆息する。
「好きにしろ」
「え……?」
「付いてきたいのなら、そうすればいい。俺にとってはどうでもいいことだ」
俺の返答は、少々予想外だったらしい。
スレイヤは呆然として目を瞬かせた。
だが無愛想な返答でも、スレイヤにとっては意味があったらしい。
「れ、レイズ殿?!」
スレイヤが俺に飛びつき、出会ったときのように腰にすがりつく。
「あ?! スレイヤ、ずーるーい?! ボクのレイズさまに勝手に抱きついて!」
「フェイのレイズじゃない」
「と、ともかく……よかったですね。スレイヤさん」
三者三様の反応前に、スレイヤは満面の笑みを浮かべた。
「ああ! これからも是非、よろしく頼む!」
獣人族の姫は、年頃の少女らしくはしゃいでいた。
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