第50話 忠実なる人形


 緑地が広がる平原に、怒号がうずまいていた。


 重厚な鎧を身を包んだ騎士。長弓を構えた弓兵。

 槍を携えた騎馬兵に、幾重にもローブをまとった魔法使い。


 それらの隊列によって構成される万を超す人間の軍勢が、地平を埋め尽くす長壁のように広がっている。


 イオナの飛行魔法【エア】を使い、戦場を一望できる山頂に舞い降りた俺たちは、すでに戦端が開かれていることを、この目で確認した。


 スレイヤの口から、呻くような声がもれる。


「あれが人間の……なんという数だ……!」


「絶望的な戦力差だな」


 人間の万の軍勢に対するのは、比較にならないほど貧弱な獣人軍の戦士たち。

 戦う前から、すでに勝敗は決している。


 実際、すでに獣人族の軍は半壊しているように見えた。おそらく魔法使いたちの長距離砲撃によるものだろう。


 だが最も悲劇的なのは、これは戦争ですらない、ということだ。


 人間たちの目的はただひとつ――異種族の粛清だ。


「お前たちは後から来い。こいつだけ連れていく」


 俺はシルファたちに言い含め、イオナを一瞥する。


「れ、レイズ殿……!」


 スレイヤは、すがるように俺を見上げた。


「我らの同胞たちの命を、どうか……」


「俺は、俺の敵を殺しにいくだけだ」


 淡々と告げ、俺は転移魔法の【シフト】を発動した。


      △▼


「この地上から、争いの火種となりし異種族どもを根絶やしにせよッ!!」


 大地を揺るがす咆哮とともに、前列の騎士と騎馬兵が突撃する。


「もはや……これまでか」


「――ずいぶんと、手酷くやられたな」


 手傷を負った獣人の戦士が、その場に降り立った俺を呆然と見上げた。


 周囲にいた他の獣人たちが即座に俺を取り囲む。だが、獣人の戦士は俺を敵ではないと判断したのか、それを制した。


「人間……? おぬしは、いったい何者だ……?」


「ただの神官だ。お前たちに手を貸しにきた」


「な、なに……?」


 波のように襲いくる敵たちを一望しながら、俺はぞんざいに答える。

 俺の正体などどうでもいい。敵ではないと理解すれば十分だ。


「それにしても、よくこの程度の兵力で太刀打ちしようと考えたものだ。獣人というのは、よほど蛮勇なのか?」


「そ、それは断じて違う……!」


 獣人の戦士は、血でふさがれた片目を瞑りながら吠えた。


「数日前、我が軍の主力部隊が何者かの奇襲を受け、壊滅させられた……。でなければ、このような無謀な戦に臨みはしない」


「何者かに……?」


 その物言いに、俺は直感した。


「そいつはもしや、《獣狩り》のことか?」


「……!」


 俺の口から出た言葉に獣人の戦士は驚いたようだったが、やがて重々しく頷いた。


「然り……敵は、姿なき虐殺者だ。……だがなにより恐ろしいのは、奴らからは一粒の殺意すらも感じ取れぬ、ということだ」


「殺意もない……か」


「それに太刀打ちできず、我らの一角の戦士たちも皆やられた。主力を欠いた我が軍は、立て直しも望めぬまま、総崩れにされてしまったのだ……」


「なるほどな」


 正体がわからなければ、それが人間の仕業と断じることもできない。


《獣狩り》というのは、実に有効な尖兵のようだ。


 いずれにせよ、戦力を奪われた状態で人間と衝突した獣人たちは、死の淵にいる。

「助太刀の心には……感謝する。だがこの戦いに、もはや勝機はない」


 獣人族の戦士は、こんな状況でありながら、無関係な介入者である俺を気遣っている。随分と誇り高い男のようだ。


「逃げろ……。わずかな時間しかないが……それしか生き残る方法は――」


「なぜ俺が逃げる必要がある?」


「なに……?」


「恐怖に怯え、逃げ惑うのは、奴らの方だ」


 俺は一笑し、獣人族の戦士に背を向けた。


「あとはこちらに任せろ。――出番だ、人形」


 俺は短く言葉だけで命じた。

 どこからともなく、それが姿を現す。


 紅蓮の髪。真紅のローブ。片目部分だけが切り抜かれた無機質な仮面。


 かつて伝説の魔法使いと呼ばれた女。


 そして今は、俺の命令を忠実に遂行する奴隷――否、人形だ。


 目標は、怒号と地鳴りとともに接近する万の軍勢。人間の侵略者たち。


「ご命令を。主様マスター


「薙ぎ払え」


 俺の命令に応え、イオナがすっと手をかざす。



 【魔力増幅・冥】発動。魔法効果を極大に増加

 【天賦の叡智】発動。魔力消費なし

 【無詠唱】発動。呪文詠唱を省略



「【ヨタフレア】、撃ちます」

 イオナの遥か前方の大地に、突如として灼熱の業火が吹き荒れた。



 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

 【ヨタフレア】:目標に命中。効果大。目標死亡

  ……



 炎系統最上位魔法――【ヨタフレア】


 百を超す数の精鋭騎士たちが一瞬で蒸発。


 跡に残ったのは、黒く焼け焦げた大地と、血肉の異臭のみ。


 それでもなお、軍勢は突撃を止めない。強引に数で押し潰すつもりのようだ。

 直後、光が空を裂いた。


 イオナの眼前でいくつもの光条が溶けて消える。

 敵魔法使いの長距離狙撃魔法。


 だが影響はない。イオナが常時展開している最上位防御魔法【アビスウォール】により、完全に無効化される。


「主様、極大魔法のご許可を」


 イオナが抑揚もなく、俺に許可を求めた。


 通常は周囲への影響を考慮し、俺は一部の魔法の使用を制限している。だがこの平原の戦場で、それを抑える必要は何もない。


「好きにしろ」


「承知しました」


 イオナが両腕を前方にかざす。


「【多重詠唱】――効果確認。【理の創造主】――効果確認。【ヨタフレア】、【ヨタブリザード】、【ヨタサイクロン】、【ヨタジオイド】、融合発動。詠唱省略。

 ――極大魔法【カタストロフ】、発動します」


 次の瞬間、天変地異が引き起こされた。


 煉獄の業火が地表を覆い尽くし、死の吹雪が大気を凍てつかせ、万雷の嵐が地表を走り、大地に縦横無尽の奈落が生じた。


 回避も防御も不可能。


 あれほどの規模の大軍勢が、ごっそりと消滅していた。


 イオナは息一つ乱れていない。


「攻撃評価。敵勢力の四割を殲滅しました。主様、戦闘継続のご判断を」


「蹂躙しろ。ひとり残さず、焼き尽くせ」


 俺の言葉により、人形は再び虐殺の炎を振るい始めた。


       △▼


 血の臭いが広がる戦場跡で、後から駆けつけたスレイヤが、獣人族の戦士たちを手当てしていた。


 シルファたちも献身的に彼らに手を貸している。


 一方、蹂躙した敵を一望していた俺のもとに、あの獣人の戦士がやって来る。


「いったい、どのような礼を尽くせばいいのか……。貴殿のおかげで、数多の同胞の命が救われた」


 俺は自分よりも遥かに大柄で長身の戦士の男を、無感情に一瞥した。


「貴殿は、まさに救世主だ。この恩、一生かかってでも返してみせる」


「救世主など、いない」


「なに?」


「俺はただ、神がやらぬことを果たしたまでだ」


 冷淡に答え、俺はさっさとその場を後にした。

 これが俺の義務であり、使命だ。


 かつて癒し、救ってきた人間どもを、殺し壊し尽くすことが。


 だが、すでにそれでも完遂した。もうこの場に留まる理由もない。


「レイズ、待って」


 シルファが、自分が手当をしていた獣人の老兵に手を貸しながら、俺を呼び止めた。

 アージュも俺に視線でなにかを訴えている。


「レイズ様。この方が、なにかお伝えしたいことがあると……」


 獣人の老兵は苦しげな呼吸の合間に口を開いた。


「儂は……《獣狩り》によって壊滅した部隊の、生き残りです……。お聞きしたところ、《獣狩り》を探しているとか……」


「そっ、そうだ! なにか知っているのか!?」


 スレイヤが問うと、老兵は静かに首を振った。


「《獣狩り》は、人口の多い場所を狙うと聞きます……」


 人口の多い場所。港や大都市だろう。


「ここから東に、我ら獣人族の商業都市があります。次に《獣狩り》が現れるとすれば、おそらくは……」


 獣人の言葉には、その殺戮を目の当たりにした者特有の説得力があった。


 どうやら次の目的地は決まったようだ。

 俺はスレイヤに向けて、小さくうなずいた。

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