第49話 危急の事態

 俺とフェイは、スレイヤの鼻を頼りに町を進んでいた。


 だが唐突に、先を行くスレイヤの足が止まる。


「どうした?」


「ううむ……ここにきて、匂いの痕跡が途絶えてしまった……。誠にかたじけない、レイズ殿」


「気にするな。近くまで来ているなら、いずれ見つかる」


 俺が歩き出そうとすると、ふとフェイが手を上げた。


「はいはい、ていあーん! どうせなら、別れて探したほうが早くないです?」


「そうだな」


「やたっ。じゃじゃあボクはこっちー。スレイヤはそっち。レイズさまはあっちで!」


「うむ。承知した」


 珍しくまともな言葉にスレイヤも頷き、俺たちはそれぞれ別の方向に歩き出した。


 俺はひとり、狭い路地裏に入り、反対側の通りに出る。

 人気のない寂れた道を進み、シルファたちの姿を目視で探す。


 だがその前に、目障りな気配について言及しなければならなかった。


「――なんの真似だ?」


 悪びれもなく笑顔のフェイが、俺の真後ろにいた。


「えへへー」


「分かれたはずが、なぜついてくる」


「そんな、たまたまですよー。偶然ボクとレイズさまの勘が、同じ方向に行き着いただけです。はっ、それってつまり、ボクとレイズさまは、息ぴったり……?」


「……勝手にしろ」


「あわわっ! ま、待ってください?」


 俺が意に介さず歩き出すと、フェイは慌てて俺の前に回り込んだ。


「その……ボク、レイズさまに言いたいことがあって……」


「なんだ」


「その……まだ、ちゃんと、お礼を言ってなかったですから……」


「なにを言っている。お前のことを許した覚えはない」


「そ、それは、わかってます……でも……」


 フェイは指先をからませ、俺から目を逸らしている。

 これまでにない奇妙な態度だった。


 そのとき、前方から小さな馬車が通り抜けた。


 車輪が濁った水たまりの泥を撥ねる。だがフェイは背中に目があるかのようにそれを鮮やかに避けた。そして俺の胸に、軽い衝撃。


「あっ、ごめんなさいレイズさまー。ボクが悪いんじゃないですよーあの馬車が――」


 言いかけたフェイの顔は、俺の間近にあった。


「ひゃっ……!?」


 途端、フェイが素っ頓狂な声を上げた。


 するとなぜか今まで自分から密着してきたフェイが、とっさに俺から離れた。その頬が薄く上気し、目が泳いでいる。


「はわわわわ……! ち、ちかっ……近いですよ……!」

「なにを言っている?」


 散々まとわりついてきたにもかかわらず、今さらすぎる。

 フェイは、戦ったときとは比べ物にならない弱々しく、か細い声を出す。

 ふと、俺は思ったことを口にした。


「男に……慣れていないのか?」


「へあっ……!?」


 図星、というそのままの反応だった。


「そそそそんなことありませんよ……!? ボクみたいに世界一可愛い美少女は、もうモテモテですからね! お、男の人なんて、とっかえひっかえで……その……」


「……」


「うぅぅ……な、なんですか、もぅ。い、いいじゃないすか、それくらい……」


 フェイはひどい辱めを受けたように縮こまっていた。


「これからは、最初から正直に言うことだ」


「え……」


 恐る恐るフェイが顔を上げる。


「レイズさま、もしかして……ボクを慰めてくれてるんですか……?」


 俺はフェイを無言で睨んだ。


「う、嬉しいです……。ボク、そんな風に言ってもらったこと、なくて……。あ、あの、レイズさまがよかったら、ボクもっと素直に……!」


「それより、お前に用がある奴がいるようだ」


「へ?」


 フェイがきょとんとして、背後を振り返る。


 そこに牙を剥いて低く唸るスレイヤがいた。


「レイズ殿と……な・に・を・している!」


「わわわっ!? な、なんでもないですよー。たまたま偶然、レイズさまとばったり遭遇しちゃってぇ」


「戯言を……抜け駆けとは卑怯だぞ!」


「抜け駆けって……スレイヤ、いったいなにを想像したんです?」


「ななっ……!? な、なにを言う! 私は別になにも……」


「ならいいじゃないですかー。はい論破です。じゃ、行きましょうか、レイズさまー……あれ、レイズさま?」


「がるるる……ん、レイズ殿?」


 口論するふたりを捨て置き、俺はさっさと歩き出していた。優先すべきは、シルファとアージュの捜索だ。慌ててフェイたちが追いかけてくる。


 だが幸いにも、すぐにその必要はなくなった。


「レイズ!」


 聞き慣れた声がした。


 そちらに目を向けると、シルファとアージュ、そして見知らぬ少女の三人の人影が駆け寄ってくるのが見えた。


「シルファ殿とアージュ殿! それと……」


 俺は自分から駆け寄りはしなかったが、ひとまず問題は解決したようだった。

 だがシルファたちは、見知らぬ獣人の娘と一緒にいた。


「勝手にごめんなさい、レイズ」


「問題ない。それより、そっちの獣人は誰だ?」


「えっと、こちらの方は、獣人族の王城に勤められているという……」


「なっ……!」


 するとスレイヤがこれまでにないほどの俊敏な動きで、メイドの首根っこを掴み、近くの物陰にすっ飛んでいった。



(こんなところでいったいなにをしている……!)


(はわわわ……も、申し訳ございません……! で、ですが、ワタクシはスレイヤ様のことが心配で……)


(私のことは構うなと何度も言っているだろう……! 城のことは元首に任せてある。私には、《獣狩り》を探すという重大な使命があるのだ!)


(は、はいぃぃ。ですがそのぅ、あのぅ、ですね……)


(なんだ!?)


 ひそひそと話すスレイヤたちを、シルファがぽかんと見つめていた。


「スレイヤ、どうかしたの?」


「はっ……!? い、いや……なんでもないのだ! この者が知人と似ているように思ったのだが、ど、どうやら私の勘違いだったようだ!」


「は、はいぃ……! そのようでっ……!」


 ふたりがひきつった笑顔で激しく頷く。

 シルファとアージュは、不思議そうに顔を見合わせた。


 だがその直後、メイドがなにかを思い出したように顔色を変えた。


「そそっ、それよりも大変なことが……! じゅ、獣人族の国に……き、危急の事態が迫っております……!」


「なに……?」


 スレイヤの表情からも、途端に笑みが消えた。


「いったい、なにが起きた?」


「人間の王国グランダレムの軍が……我が国に侵攻を開始しました」


「なっ……!?」


 獣人のメイドの深刻な形相を見れば、それは噂話という悠長なものではないことは、一目瞭然だった。


 アージュが深刻な表情で息を飲む。


「私たちも先ほど、王国の兵士たちと遭遇しました。もしかしたらそれも……」


「そういうことか」


 この町にいた兵士は、おそらく先遣隊だろう。

 着々と侵略の準備は進んでいたというわけだ。もっとも、ディーン・ストライアが『種族浄化宣言』を掲げたあのときから、避けられぬ必然だ。


「どうやら、獣人の国を目指していたのは俺たちだけではないようだな」


「そんな……」


 スレイヤは、自分たちの国が今まさに侵略の憂き目に遭おうとしていることに、動揺を隠せずにいた。


「なんということだ……。いったい、いったいどうすれば……」


「取るべき方法など単純だ」


「なに……?」


 絶望にうなだれるスレイヤに、俺はあくまで平然と言った。


「返り討ちにすればいい」

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