第53話 変兆
街中に飛び散った生々しい血が、昨日の惨劇が夢ではないことを示している。
一夜明け、被害状況がより鮮明になった。
死者は四十名以上。重軽傷者に至っては数えきれないほどだ。
俺は混沌と絶望が横たわる都市と、それに怯える獣人たちを、無感情に眺めていた。
「なんて酷い……」
アージュも口元を覆って立ち尽くしている。
シルファは沈痛な面持ちのスレイヤに尋ねる。
「レイズが倒した暗殺者たちが、《獣狩り》の正体?」
「いや……レイズ殿の話では、この者たちは《獣狩り》ではないとのことだが……」
スレイヤはあまり納得をしていない。
いずれせよ、真相を裏づけるような証拠はない。仮にこいつらが《獣狩り》であるほうが、スレイヤや獣人たちにとっては望ましいだろう。
「ともかく、レイズ殿のおかげで事態を解決できた。もし敵があのまま暴れていれば、被害はこの程度ではすまなかった」
「そうか」
俺は素っ気なく相槌を打った。
アージュはその場で犠牲者たちに祈りを捧げた。
黙々と同胞の遺体を運ぶ獣人たちに、かけるべき言葉は見つからない。
「あの……スレイヤ」
フェイがめずらしく状況をわきまえ、おずおずとスレイヤに声をかけた。
「どうしたのだ?」
「その……元気、出してくださいね。ボクにできることがあれば、手伝いますから」
「ああ……。助かる」
「そうだ。ボクの世界一優しい笑顔で、みなさんを癒してきましょうか?」
「ははっ、フェイ殿にしては愉快な冗談であるな」
「べつに冗談ではないですよ!?」
スレイヤの顔にようやく小さな笑みが浮かんだ。
どうやら、フェイもたまには役に立つことがあるようだ。
「それにしても、レイズ殿の能力には驚嘆するばかりだ。いったい、どのようにしてそれほどの力を……」
「あっ、ボクもそれ聞きたいです! 将来のお嫁さんとして、旦那さまのことはぜーんぶ知っておかなくちゃですからね」
スレイヤとフェイが好奇心をあらわにする。
だが、それに俺が答えることはできなかった。
途端、俺の全身から力が抜けた。
「レイズ殿?」
なす術もなく、その場でひざをつく。
「レイズ、大丈夫!?」
「お気を確かに……!」
あわてて駆け寄ってきたシルファとアージュが、傾く俺の身体を抱きとめる。
その声はすでに遠く、届かない。
心臓が一際大きく跳ね上がった。
俺の肉体に生じる突然の変兆。その正体を俺は知っている。
これは魔王の心臓による肉体への過負荷。いわば、魔王の力の代償だ。
最近は落ち着いていたのだが、昨日の戦闘で力を使い過ぎた影響かもしれない。
だが俺はすぐに違和感を覚えた。
症状がこれまでとは異なる。
「いや……大丈夫だ」
痛みが、ない。
これまでは、発作の度に全身が引き裂かれそうになる激痛に苛まれていた。
だが今回はまったく痛みを感じない。
本来なら、シルファの体液を取り入れ、身体を順応させなければ収まらなかったはずの発作にもかかわらず、だ。
まるで、人間の持つ苦痛から解放されたような清々しさすらあった。
「レイズ……?」
俺は慌てふためくシルファやアージュの手をそっと押しのけた。
代わりに自然と浮かんだ笑みで答える。
「どうやら、魔王の心臓が身体に定着してきたらしい」
「それって……」
痛みを感じなくなったのは良い兆候なのか、それとも――
だがいずれにせよ、俺に選択肢はない。
俺にはこの力が必要なのだから。
「なんでもない。心配するな」
「ダメ、心配する」
「そうです。せめて、どこかでお身体を休めるべきです……」
シルファたちは頑なに俺から離れようとしない。
確かに、俺はともかく、スレイヤは手傷を負っている。
しばしの休息が必要かもしれない。
そのとき、何者かの気配を感じた。
「そこにいるのは、誰だ」
俺の視線の先。そこに、ローブをまとった獣人族が立っていた。
武装はしておらず、殺気もない。
その身なりや、身にまとう高貴な雰囲気から、この商業都市で働く住民ではないことは一目でわかった。
「俺たちに、用があるようだな」
「使者です。あなた方を、お迎えに参上しました」
ローブ姿の獣人は、厳かにそう答えた。
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