第52話 血の反転

 街のあちこちから、けたたましい叫び声が響き渡った。


 スレイヤが顔色を変え、周辺を見渡す。


「い、今のは……!?」


 悲鳴と折り重なり、肉を断ち切るような鈍い音が耳朶を打つ。


「お、おい……! 大変だ、あっちで誰かが倒れて……!」


 血相を変えて俺たちのほうへ駆け寄ってくる獣人がいた。


 だが次の瞬間、血煙が舞った。


「なっ――」


 俺とスレイヤの目の前で、獣人の胴体に大穴が空いた。

 疑いようもなく絶命した獣人が、その場に力なく崩れ落ちる。


 だが敵の姿は、ない。


 どこから攻撃を仕掛けているのかすら不明だった。


「これはまさか……これが、《獣狩り》かっ……!?」


 スレイヤが戦慄する。即座に抜刀し、応戦の態勢を取る。

 悪夢はまだ始まったばかりだった。


 街を歩いていた獣人たちが、次々と血飛沫に舞い、物言わぬ肉の塊に変わっていく。


 いや――次々とではない。


 正確には、にだ。


 まるで示し合わせたかのように、寸分たがわぬほど同じタイミング。


「どこだ!? 敵はどこから攻撃している!?」


 スレイヤは必死に吠え、敵の姿を探す。

 だが俺の目も、それは捉えることができない。


 考えられるのは、イオナの【ミラージュ】のような幻影魔法による透明化。

 だがこの光景は、それともなにかが違った。


「た、助けて……」


 通行人の血を被ったのか、ショック状態の獣人の若者が、俺たちに向かって手を伸ばす。


 だがその手を取る間も無く、若者のいた場所に二つに分かれた死体が転がった。


「……ッ!!」


 現実離れしたその凄惨な光景を、スレイヤはただ見ていることしかできない。


 俺はいつぞやの獣人族の砦を思い出した。


 一切の破壊がなく、そこにいた守り手のみが屍となって散らばっていた光景。

 確かによく似ている。

 あれもこうして姿も気配すらも存在しない敵によって、一方的に蹂躙されたような有様だった。


「やはり……《獣狩り》が現れたのだ……」


 スレイヤが構える刀の切っ先は震えていた。

 姿なき者。虚ろの存在。抗いようもない恐怖。


「いや、ちがう」


「え……?」


「こいつは、《獣狩り》ではない」


 俺は迷いなく断定した。スレイヤが困惑を見せる。


「な、なぜだ? 現に敵は姿もなく……」


「確かにそうだ。だが、敵には隠し切れていないものがある」


「それはいったい……」


「殺意だ」


 あのとき獣人の戦士が言った言葉。


《獣狩り》からは、殺意すらも感じ取れない。

 だが、俺には今、ありありと感じ取ることができた。


 この場にむせ返るほどに充満する、明確な悪意と敵意、そして――殺意。


「これほど露骨に殺意を垂れ流す程度の敵が、《獣狩り》だとは思えない」


「それは、確かに……。し、しかし断定するにはまだ……」


「なら、殺して確かめるとしよう」


 スレイヤは俺の言葉に唖然とした。


「しばらく探知に集中する。少しの間、守りを任せられるか」


 俺はスレイヤに言った。

 すでに敵を殲滅する方法はいくつか思いついていた。


 だが敵の正体を探り、なおかつひとりも逃さないためには、可能な限り同時に、かつ効率的に殺す必要がある。


「レイズ殿には、なにか策があるのか……?」


「当然だ」


「なんと……。ならば、逡巡する理由などない。レイズ殿の守りは、この私に任せてもらおう!」


 スレイヤはみずからを鼓舞するように吠える。

 この絶望的な状況に飲まれないとしているのだろう。


「さあ、来るがいい!」


 スレイヤは刀を構え直す。

 正面ではなく、腕を引いてみずからの身体に刀身を寄り添わせるようにする。

 悲鳴と肉断ちの音が響く街中で、スレイヤは意識を集中させる。


 さらに目を閉じる。確かに姿が見えず、気配もない相手に目視は不要だ。


「はっ!」


 スレイヤが刀を翻した。


 夕闇に火花が散り、甲高い擦過音が反響する。


 さらに即座に反撃。だが鋭い一閃は空を切る。


「どうした!? いくらでも打ち込むがいい……!」


 再び刀を引くスレイヤ。すり足で立ち位置を調整しながら、見えない敵とその攻撃を刀一本で防ぎ続ける。


 その度に重々しい金属音が鳴り響く。


「はぁ……はぁ……。しかし防戦一方か……」


「いや、凌いでいるだけで上等だ」


 俺は少しばかり感心した。

 スレイヤはこめかみから汗を流しながら、気丈に口角を釣り上げる。


「お褒めいただき光栄である。なにぶん、これが私の数少ない特技ゆえ」

「防御系の《スキル》か」

「いかにも」


 するとスレイヤは手を伸ばし、俺の腕を掴んだ。

 シルファが持っているのと同じ情報共有の《スキル》によって、スレイヤの持つ能力が俺の頭に流れ込んだ。



《職業》

 【剣士】


《スキル》

 

 【戦闘経験】……戦闘中に発生する事象を正しく把握する

 【剣眼】……刀剣類による攻撃の太刀筋を見極め、回避率を大きく上昇させる 

 【弾き】……装備中の武器を使用し、敵の攻撃を防御する

       技量の能力値に応じて、成功率が大きく変動する

       成功時、物理や魔法属性を問わず、あらゆる攻撃を無効化する

 【反撃の太刀】……弾きから即座に反撃の技に繋げる

          弾きによって無効化した攻撃の種類に応じて威力が上昇する

 【斬鉄剣】……通常の刀剣では斬れない物質を切断する

 【心象投影】……自身の知識やイメージを他者に共有する



「刀による弾きの技だ。本来であれば、弾きの後に隙を見出し攻撃に転じるのだが……」


「見えない相手ではそうもいかない、か」


「うむ……」


 スレイヤがかろうじて敵の攻撃を防いでいる間にも、犠牲者の悲鳴は続く。


「くっ……!」


「焦るな。今お前が駆け付けたところで、ほんの一瞬の身代わりになるだけだ」


「し、しかし……!」


 スレイヤの横顔には激しい焦燥が浮かんでいる。


「!? レイズ殿、あそこに……!」


 スレイヤが指差した先。

 そこに小さな獣人の男の子がいた。


 泣きじゃくり、前方も見ずに、血に染まった道をとぼとぼと歩いている。


 そのすぐ横に、大柄な男の死体が転がった。

 男の子は呆然と、その死体を見つめる。


 吹き込む風とともに、姿なき殺意が迫る。


「危ない!」


 制止する間も無く、スレイヤがその場に突っ込んでいた。

 ぱっと鮮やかな血が飛び散る。


「ぐっ……!」


 背中を抉られながらも、スレイヤは倒れない。

 反撃の一撃を振るい、わずかに殺意を遠ざける。


「守る……守ってみせるぞ……!」


 スレイヤは男の子を守るように立ち、再び防御の構えを取る。

 見えない凶刃を【弾き】だけで防ぎ続ける。


「ぐっ……このままでは……」


 スレイヤの防戦は長くは持たない。

 神経を研ぎ澄ませ、見えない攻撃を凌ぎ続けているのだ。

 体力、精神力ともに消耗が激しい。


 敵の一撃を再びスレイヤが弾き返した。


 近くの民家の壁に血が飛び散る。


「傷は?」


「いや、大丈夫だ。これは……奴らの血だ。正しくは、奴らが身体に浴びた獣人の返り血、だが」


 スレイヤはおぞましそうに呟いた。


 確かに、これだけの殺戮を続けていれば、小綺麗な姿ではいられない。

 殺した獣人たちの血を大量に被っているはずだ。


 だがそれは、俺にとって朗報だった。


「なるほどな。それは都合がいい」


「レイズ殿……?」


「あとは任せろ」


 俺はスレイヤたちをかばうように、一歩前に踏み出した。


 敵は姿を消し、無抵抗な獣人たちを一方的に殺している。

 だが――


「お前たちは、中途半端に殺し過ぎた」


 その過ちを、大いなる驕りの代償を支払わせなければならない。


 俺はその場で、右腕を天に掲げた。


「レイズ殿、いったいなにを……」


「俺が反転できるのは、なにも神官としての魔法だけではない」


 反転とは、すなわち変質。

 本来あるべき形を、あるべき因果を、逆転させる力。


 俺の魔力に呼応するように、街中に飛び散った獣人たちの赤い血が、妖しく発光を始めた。


 スレイヤは困惑しながら辺りを見渡す。


「虐殺者を気取る愚か者どもに、ふさわしき死を与えよう」


 魔王の心臓が強く反応し、右手に黒い魔力の奔流が絡みつく。


 俺の立つ場所を中心に、風が巻き起こる。

 法衣の裾がはためき、辺りに散らばった紙くずが宙に舞い上がる。


 スレイヤは髪をなびかせながら、未知の現象の前触れに目を奪われている。

 この現象を理解できる者はいない。


 なぜならこれは既存の《魔法》でも《スキル》でもない。

 たった今、この俺が編み出す、反転の奇跡。世界の改竄。



「【オルタ・ブラッド】――無念に散った死者の血よ、怨讐の毒牙となれ」



 血の反転魔法が発動した。


 俺の右手が放った昏い閃光は、爆発的に街全体を覆い尽くした。


 直後、街路の端から壮絶な悲鳴が聞こえた。


 人影も見えなかった虚空から、焼けただれた死体が転がり出る。

 獣人ではない。


 俺たちを最初に襲ったのと同じ、黒装束の暗殺者たち。


 その全身は溶解し、白煙が上がっている。


 苦悶の叫びが何重にも折り重なる。

 無数の黒い影が、聞くにも耐えない醜い悲鳴とともにのたうち回りながら、やがて力尽きて倒れていく。


 全身が灼け爛れ、骨まで溶けて蒸発していた。


「ククッ……ああ、実に心地のいい悲鳴だ……」


 恐れを知らぬ者どもよ、見るがいい。


 これこそが、本物の殺戮だ。


「れ、レイズ殿、いったいなにをしたのだ……」


 次々と築かれていく死体の山。

 敵に訪れた無慈悲にして残酷な末路を目の当たりにし、スレイヤは混乱していた。


「奴らが浴びた獣人たちの血を、酸に変質した」


「血を……?」


「魔力を帯びた強酸だ。無事でいられる生物はいない」


 すでに敵に付着している血を使えば、存在しない気配を捕捉する必要もない。


 自分たちが殺した獣人たちの血によって殺される。奴らには相応の報いだ。


 俺は呆然とするスレイヤの前で、服についた埃を軽く払い、原型を留めていない敵の死体を足で転がした。


 そして、俺の読みは的中していた。


「やはり《獣狩り》ではなかったな」


 黒装束の暗殺者たち。

 以前にも俺やシルファの命を狙ってきた、《七人の勇者》の手駒だ。


 おそらく透明化と気配遮断の魔法を併用し、複数の暗殺者によって同時に襲撃することで、敵をかく乱していたのだろう。


 俺はつまらなく鼻を鳴らし、静寂が訪れた殺戮の跡地を見渡した。



「さあ、シルファたちを迎えに行こう」



 まずは、どこかでこの事態に動揺しているであろうシルファたちと合流し、状況を説明する必要がありそうだった。


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