第44話 道標

 パチリ、と薪が燃えて弾ける。


 流れ込む暖かな空気とともに、嬉しそうな声が聞こえる。



 ――おかえり、お兄ちゃん!



 満面の笑みと、弾む足取り。

 ぶつかるような勢いで迎えに現れるその身体を、俺はしっかりと抱きとめる。



 ――ただいま、リザ



 その言葉とともに、日々感じる。

 ここが、俺が帰るべき唯一の場所だ。


 そしていつもと同じように、リザと食卓を囲み、その日にあったことを語り合う。

 他愛のない、けれども心満たされる、俺のすべて。


 だが正面を見ると、なぜかリザの姿なかった。



 ――助けて……怖いよ……お兄ちゃん



 俺は必死にリザの姿を探す。周囲は夜の森の中だった。

 一瞬にして、辺りが炎の海と化す。


 その中心にリザがいた。



 ――熱い……熱いよ……お兄ちゃん


 ――やだよ……死にたくないよ……助けてよ……



 俺は必死にリザに手を伸ばす。だが届かない。

 手を伸ばせば伸ばすほど、リザは遠ざかり、その苦悶の声だけが大きくなる。



 ――もういいんだよ、お兄ちゃん



 なにがいいのか、まるでわからなかった。駄目だ、待っていろ。今助けるから。

 だが炎が潰えると同時に、リザの姿が永遠に消滅する。


 最後にその声だけが冷たく響いた。



 ――だってお兄ちゃんは………………人殺しには向かないもの



 目を開けた。


 俺は宿屋のベッドの上で横たわっていた。全身に冷や汗をかいている。 


 いつもの夢だった。


 あの日から、何度何度も繰り返し見た夢。

 そしてこうして目覚める度に、俺は否応なく現実を直視させられる。


 リザは死んだ。

 そして俺自身の手で、その魂を静めた。


 それなのに……。


「大丈夫、レイズ?」


 ふと横を見ると、シルファが枕元に腰掛けていた。

 あまりに自然な振る舞いに、危うくなんの疑問も浮かばないところだった。


「いつ俺の部屋に?」


「さっき」


「どうして?」


「だってレイズを癒してあげられるのは、わたしだけだから」


 シルファは俺の手に、自身のそれを重ねた。

 ひんやりとした感触。それが熱を帯びた身体には心地よかった。


「レイズ、うなされてた」


「……いつものことだ」


 俺は身体を起こす。シルファが俺の額の汗をぬぐおうと、手を伸ばした。

 その華奢な手を、俺は阻むように掴んだ。


「レイズ?」


「俺は、甘いと思うか?」


「え……?」


 シルファが目を瞬かせる。

「フェイを殺さずに生かし、スレイヤのような赤の他人にまで気を許している。復讐を果たすために、すべてを破壊し、殺すと誓った俺が……だ」


 それはシルファへの質問ではなく、自分への問いかけだった。

 夢でのリザの言葉が頭から離れなかった。


 俺は本当に――この復讐を果たしきることができるのだろうか?


 ふと、頬にやわからな感触がした。

 俺に口づけしたシルファが、ゆっくりと首に手を回す。


 窓辺から差し込む月明りに照らされるシルファは、とても幻想的だった。


「……なんだ?」


「なにって、いつもの」


「まだ発作は起きていない」


「でも、べつに普段からしたって、減るものじゃない」


「それは、そうだが……」


 シルファは謎の理論を掲げる。とりたてて反論する言葉も俺は持たなかった。


「わたしは、いいと思う。フェイのこともスレイヤのことも。だって……家族は、いっぱいいていいから」


「家族……?」


「うん。わたしは、レイズの家族のつもりだよ」


 シルファは俺の胸にそっと手を置いた。

 その温もりに、俺は言い知れぬ懐かしさと、掛け替えのなさを感じる。


「もちろん、アージュもね」


「俺には……よくわからない」


「今はそれでも大丈夫。……そうだ、レイズ。ちょっと手を出して」


 言われるまま右手を差し出すと、シルファは俺の手を取り、なにかを握らせた。

 硬く冷たい手触り。


「これは……」


 湾曲した黒き角の断片。

 それは魔女の塔でイオナが持っていた魔王の遺骸の一部――魔王の角の断片だった。


 あの後、俺が回収してシルファに渡していたものだ。


「なぜ、これを俺に?」


「これはお父さんの形見。レイズがもし道に迷っても……これが、わたしの代わりにレイズを守ってくれる気がするから」


 俺はじっと、魔王の角の欠片を見つめた。

 俺の胸に埋め込まれた心臓と同じ、本来の持ち主の一部。


 ふと、シルファが俺の胸に頭を預けた。


 銀髪がふわりと揺れる。


 シルファは目を閉じ、そこにある魔王の鼓動に、愛おしそうに耳を傾けた。


「わたしもアージュも、ずっとレイズの傍にいる。だから、安心して」


「……わかった」


 俺は魔王の角とともに、シルファの想いを懐に仕舞いこんだ。

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