第43話 拾い犬
「ねぇ、レイズ」
「……」
シルファの声に、俺はあくまで無言を貫く。
「あ、あの……レイズ様……」
「……ああ」
アージュの呼びかけに、渋々と短く応じる。
「ねーねーレイズさまー。さっきのひと……」
「黙れ」
「でも、あのひと……ずっと付いてきてますよ?」
言われるまでもなく足音でわかっていた。
あの獣人の女剣士――スレイヤは、先ほどから俺たちの後を付いて来ている。
日も傾き、なるべく早く次の町まで到着したい状況だというのに、無駄な用事に費やしている時間はない。
にもかかわらず――
「貴殿の名を教えてくれ! きちんとお礼をしたいのだ!」
スレイヤは俺が治癒した獣人族の男をひとりで背負いながら、遅れることもなく一定の距離を維持している。
実に根気強く、精力的で、そして諦めが悪い。
「――どうか……少しだけでも話を!」
何度大声を上げて請われたところで、俺には話すことなどない。
「名前くらい、教えてあげればいいのに」
「時間の無駄だ」
シルファは俺の隣で、ちらちらとスレイヤを気にしている。
その視線には好奇心が垣間見える。
スレイヤの年頃は、おそらくアージュと同じくらいだろう。
もしかしたら友達になれるかもしれない、などと考えているのかもしれない。
だが、これは友人と出会うための旅ではない。
目的を果たすための、ただの過程に過ぎない。
「あ」
「今度はなんだ」
「倒れた。前のめりに」
「そうか」
「ぜんぜん動かないよ」
「死んだか」
俺は気のない返事を続ける。
放っておけばいい。獣人がひとり野垂れ死んだところで大した問題ではない。
幸い、ここはもう獣人族の土地だ。
なにより、勇者による『種族浄化宣言』で、日々数多の異種族が虐殺され続けているこのこの時世ならば。
だが、そう考えない善人もいる。
「レイズ様、やはり私……放ってはおけません!」
返事も待たず、アージュが来た道を戻り始めた。
どうやら倒れたスレイヤの介抱に向かったらしい。
俺が立ち止まると、シルファが俺の顔をしげしげと見上げる。
「助けるの?」
「……アージュといると、助ける人間が増えるな」
俺は嘆息し、最終的に踵を返した。
アージュの手を借り、ようやくスレイヤが身体を起こす。
先ほど俺に刃を向けていたときの様子からは想像もできないほど、弱々しく、覇気がない。まるでやせ細った野良犬だ。
「は、はうう……」
「どこか、負傷でもしているのか」
「いえ……レイズ様、おそらくこの方は……」
ぐぅ~~~~~~。
間の抜けた音が聞こえた。
「お腹を空かしている……だけかと……」
「はうぅ……か、かたじけない……」
スレイヤの頭から伸びる獣耳が、しゅんと横に垂れている。
あまりのくだらなさに俺は頭を抱えた。
憎悪と刃を向けられているほうが、どれほど気が楽だろうか。
「仕方ない……。人形、そいつらを運べ」
「承知しました」
俺は仮面の魔法使いに命じた。
イオナが浮遊魔法【サーフ】を発動。ぐったりしたスレイヤと獣人族の男を軽々と宙に浮かび上げた。
「だ、大胆な運び方ですね……」
△▼
「こ、これは……!」
「……」
俺は今、渋い顔をしているかもしれない。
なぜなら俺の目の前で、つい先刻会ったばかりの獣人族の女剣士が、感極まった様子で瞳を輝かせているからだ。
小さな町の、小さな酒場。
こんがりと焼かれた鳥の丸焼きからは、温かい湯気が立っている。
食卓の上に広がるスープや蒸した色とりどりの野菜が、食欲をそそる香しさを漂わせて並んでいた。
「ごはん。好きだけだ食べていい」
シルファがいつもの淡々とした調子で言った。
スレイヤはごくりと喉をならす。
先ほどまで力なく垂れていた獣耳はぴんと立ち、ひょこひょこと動いている。
ふさふさとした毛に包まれた尾はさらに激しく、落ち着きなく左右に振れていた。
獣人族の習性に詳しくないが、少なくともそれが不快とは正反対の感情であることは、おおよそ理解できた。
一方、スレイヤは探るように、上目遣いで俺を見る。
「本当に……ご馳走になってもいいのか?」
「礼ならシルファに言うんだな」
「か、かたじけない……! シルファ殿、感謝する!」
スレイヤは見慣れぬ作法で食事に向かって手を合わせ一礼すると、震える手で慎重に肉に食らいついた
「んん~~~~~~~~~!!」
スレイヤは頬を上気させ、感涙にうなる。
シルファが「おいしい?」と尋ねると、素早く何度も頷き返す。
その様子を見たアージュも安堵したように微笑んだ。進んで自分の分の皿も差し出すと、スレイヤはいっそう激しく尾を振って感謝を示す。
穏やかな空気と、あふれる笑い声。
ふと、俺の脳裏にある光景が蘇った。
それは村の家で、リザと一緒に囲んでいた食事。
さして裕福でもなかったが、俺にとってあそこは、唯一の帰るべき拠所だった。
だが、もう二度と戻ることはできない。
そうだ。
奪われたものは、二度と手に入らない。
だから、俺は――
「さあ、貴殿もどうぞ」
ふと、スレイヤが俺に向かって焼けた骨付き肉を差し出していた。
節操なく汚れた口元。無邪気な笑顔。
先ほどまで散々疎ましく思っていたはずなのに、なぜか俺は、それが煩わしくないと感じ始めていた。
だから、なのだろうか。
「……レイズ・アデッドだ」
気づけば俺は、そう名乗っていた。
スレイヤ一瞬きょとんとしたが、すぐに朗らかな笑顔で頷いた。
「おお、そうか! 貴殿はレイズ殿というのだな! 私は――」
「知っている。いいから食え」
俺はぞんざいに言って、スレイヤの食事を促した。
△▼
「ご馳走様でした」
大量の食事を綺麗に平らげたスレイヤは、幸福そうに目を細めている。
俺はそこで席を立った。
「これで十分だろう。お前が運んできたあの男も、向かいの獣人族の宿に預けた。あとは好きにしろ」
「なにからなにまで……本当にかたじけない。この御恩は必ず返す」
「忘れろ。ただの気まぐれだ」
「……レイズ殿。ひとつ、尋ねたいことがある」
「なんだ」
「我が同胞を手にかけた者に、なにか心当たりはないか?」
スレイヤは、先ほどとは打って変わって剣呑な雰囲気をまとっていた。
無意識のうちか、その手は腰に吊るした刀の柄に触れている。
どうやら俺が破壊したもの以外にも得物は残していたらしい。
「残念ながらな。あの場にいた獣人たちは、なぜ殺されていたんだ?」
俺が尋ねると、スレイヤは俯き肩を震わせた。
堪えきれない悔しさと怒りが伝わってくる。
「……《獣狩り》の仕業だ」
「《獣狩り》……?」
聞き慣れない言葉だった。
シルファとアージュは戸惑い、顔を見合わせる。フェイも同様に肩をすくめた。
説明を求める空気に、スレイヤは神妙な顔つきで語り始めた。
「数多の同胞を殺した虐殺者のことだ。この半月ほど、我ら獣人族を狙い、殺戮を繰り返している。《獣狩り》というのは、人間たちが付けた通称だ。私たち獣人が獣呼ばわりされているのは不本意ではあるが……」
「ならそいつは、人間なのか?」
「……正直なところ、その正体をまったく掴めていないのだ。人間なのか魔族なのか、あるいは単独なのか集団なのかすらも……」
「でも、獣人族がみんなで力を合わせれば、捕まえて倒せるんじゃないの?」
「いや……それは難しい」
「どうして?」
「《獣狩り》は、姿を持たぬ」
「姿がない……ですか?」
アージュが首をかしげた。スレイヤはあくまで真剣に頷く。
「そうだ。目で捉えることも、あるいは耳で捉えることも決して叶わぬもの。姿も気配すらもない、虚ろの存在なのだ」
「姿も気配もない……か」
噂とは尾ひれが付くものだ。どこまで真実かは疑わしい。
だがスレイヤは、歯がゆそうに唇を噛み締めた。
「そのおぞましい所業を食い止めるために、私は《獣狩り》を追っているのだ。一刻も早く正体を突き止めなければならない。でなければ、犠牲者は増える一方だ……」
「ずいぶんと使命感があるんだな。誰か身内でも殺されたのか?」
「同胞はすべて家族も同然だ!」
がたっ、と椅子を弾いてスレイヤが立ち上がる。
髪の毛が獰猛に逆立つ。
「我が一族のため、私は《獣狩り》を倒す……倒さなくてはならないのだ……」
スレイヤの怒りは、紛れもなく本物だ。
だからこそ、あのとき俺に本気で斬りかかってきたのだ。
「一族のため……か」
俺からすれば、それは戯言だ。種族が同じだからといって、すべてが隣人であるはずがない。
アージュやリザと、勇者に従う愚かな人間がちがうように。
「やめておけ。お前の力では、復讐など果たすことはできない」
「し、しかし……!」
「わかっているはずだ。その剣の技量があるのなら、お前自身が」
「うっ……」
スレイヤは不甲斐なさを堪えきれないように、拳を震わせた。
そんなスレイヤを見ていたシルファが口を開いた。
「じゃあ、一緒に来る?」
「え……?」
「わたしたちは、獣人の国に向かう途中。もしその間に《獣狩り》が現れたら、レイズがあっという間に解決してくれる」
「まさか、いくらレイズ殿でもそこまで容易い相手では……」
「レイズなら、大丈夫」
シルファは皆まで語らなかった。
「わたしも、それがよいと思います。獣人の方が同行してくださるのは心強いです。それに、スレイヤさんがまたお腹を空かせて倒れないか心配ですから」
アージュは女神のように慈悲深く微笑んだ。
「シルファ殿に……アージュ殿……」
だが同意しない者がひとりいた。
「ちょっとぉ~。ボクとレイズさまの愛の旅路を邪魔しないでくれますぅー?」
「あ、愛っ?」
「フェイは黙ってて。どう、レイズ?」
シルファは答えを委ねるように俺を見た。
迷うほどの興味はそもそもなかった。小さくため息をつく。
「俺にとって、誰がどこで何人死のうが知ったことではない」
スレイヤが不安そうに俺を見つめる。
「俺は俺の目的を果たすだけだ。……その邪魔をしないというのなら、好きにしろ」
スレイヤは淡々とした俺を、まじまじと凝視する。
「それと、俺よりもシルファとアージュを気にかけろ。そこにいるイオナは、所詮人形だ。信頼できる護衛を増やしておくのも、悪くはない」
しばらくすると、ようやくスレイヤの理解が追い付いたらしい。
「そ、それはつまり……私がレイズ殿のお力を借りてもよい、ということか?」
「ああ」
じわっ、とスレイヤの目に大袈裟な涙がにじむ。
「っ……!! れ、レイズ殿~~!」
スレイヤは飛び上がると、俺の腰に抱きついた。
獣耳もしっぽも、これまで見た中で最も激しく反応している。
「離れろ」
「はっ……これはかたじけない!」
謝りながらも、スレイヤの顏からは笑みが消えない。
よほど願いが受け入れられたことが嬉しかったのだろう。
「ではこれから、レイズ殿のことをご主人とお呼びしてもよいか!?」
「駄目だ」
俺は即答した。
「あの……それではよろしくお願いします。スレイヤさん」
「よろしくね、スレイヤ」
「ボクよりレイズさま近づいちゃダメですよ??」
新たな同行者を、それぞれが歓迎する。
スレイヤの獣耳が忙しくなく動き、喜びの感情を表現していた。
「皆、レイズ殿……。よろしく頼む!」
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