第42話 獣人の女剣士
獣の視線が刃越しに俺を射貫いている。
浅黒い肌と獣耳を持つ獣人の剣士は、その片刃の剣――波紋の浮かんだ刃を持つ『刀』で俺の掌を貫いたまま、食らいつかんばかりの勢いで牙を剥いた。
「よくも我が同族を……!!」
「何を言っている?」
「惚けるな! これだけの蛮行をして平然と……おぞましい人間どもめ!!」
どうやら、この砦で起きた虐殺を、俺の仕業だと思っているらしい。
原型も留めぬほど破壊された無数の獣人族の屍と、その場に居合わせた人間の一行。
確かに、間が悪かったといえる。
「残念ながら、人違いだ」
「白々しい戯言を……! 貴様からは……血の臭いがするぞ!」
女剣士が鼻をひくつかせた。
俺は内心、感心していた。
どうやらそれが、真っ先に俺を狙った理由らしい。
「さすが獣人族だな。人間よりも、随分と鼻が効くようだ」
「殺してやる……!」
女剣士が刀を素早く引き払う。
俺の右手が半分に切断される。
間髪入れずに白刃が翻る。そこから俺の首へ最短距離を抜ける一閃。
鈍い音が響いた。
「――なっ……」
獣人の女剣士が、愕然と目を見開く。
繰り出された首への一撃を、俺はかざした左手の指で防いでいた。
【オルタ・フォース】による威力の相殺。
どんな剣豪の一撃ですら、俺には羽毛に撫でられたに等しい。
「あ、ありえぬ……なぜこんなことが……」
「鋭い太刀筋だが、俺には届かない。仮に届いたとしても――」
俺は切断され流血を続ける右手を、無造作にかざした。
【不滅者】:自動発動。欠損部位を修復開始。所要時間、0・2秒
女剣士の目の前で、俺の右手が瞬時に再生する。
「なっ……!?」
「俺には無意味だ」
獣人の女剣士が後ずさる。
だが動揺を怒りに塗り替え、再び俺に向けて刀を構えた。
「人間……いや、魔族か!? ど、どちらであろうと容赦はしない。奪われた同胞の命……貴様の血で報わせる……!!」
「人違いだと言った」
「そ、そうです! 私たちは獣人族の国を目指し、旅をしている途中で……」
「そう。わたしたちは、敵じゃない」
アージュとシルファが説得を試みる。
だが女剣士の血走った瞳に理性はない。
「黙れッ!!」
憎悪に満ちた咆哮が、ふたりを黙らせた。
「私にはわかる。大勢の命を奪ってきた者特有の……すえた臭いが」
俺は淡々と怨嗟の視線を受け止め、否定はしなかった。
「ああ。その通りだ」
「っ……!!」
女剣士が踏み込む。すでに刀は振りかぶられている。
袈裟斬りの一撃。
それを俺は素手で掴み取った。
「くっ……!」
「無意味だ、と言ったはずだ」
俺は波紋の浮かんだ美しい刀を握りながら、言い聞かせるにように囁く。
女剣士は踏ん張り全身全霊で力を込めるが、切っ先はぴくりとも動かない。
さらに――
「【オルタ・トリト】――刃よ、崩れ落ちろ」
状態異常解除の反転魔法を発動。
瞬く間に刀が腐食を始め、錆び付き、焦げ茶色の鉄粉となって女剣士の手の中から崩れ落ちた。
「な、なにっ……!?」
女剣士は慌てて距離を取る。
自分の得物が一瞬にして失われたことに、驚愕を隠せないようだ。
「馬鹿な……し、信じられぬ……」
俺は転移魔法【シフト】で追撃。女剣士の眼前に出現した。
「……!!」
反撃の動作が生じる前に、その細い喉を掴み上げた。
「がはっ……!?」
片手で軽々とその身体を持ち上げる。
女剣士は地面から離れた足を、必死にばたつかせる。
「くっ……! あぐっ、がっ……!」
「力のない者が、仇討ちなど考えるな」
「ぐっ……なにを……」
「弱者は一方的に踏みにじられ、闇に葬られるだけだ。そしてその愚かな蛮勇が……べつの誰かの命を、奪う」
「ッ……!」
俺は無造作に掴んでいた身体を放り投げた。
地面に転がり倒れこんだ女剣士は、盛大に咳込む。
それでもすぐさま膝をつき、起き上がろうとする。
獣人の女剣士は一向に敵愾心を失わぬ瞳で、俺を睨み上げた。
これ以上は時間の無駄だ。
稚拙な復讐の真似事に付き合えるほど、俺は暇でも寛容でもない。
だがしばらくして、ふと刀の切っ先が落ちた。
女剣士の全身に満ちていた覇気がおぼろげに霧散する。
「………………殺せ」
「なに?」
どうやら、万に一つも俺の命を奪う可能性がないことを理解したようだった。
それにしても、即座に死を選ぶとは。
獣人族の誇りなのか、あるいはこの女の気高さなのか。
だが、いずれにせよ興味はない。
「驕るな。お前の命など、俺にはどうでもいい」
「なっ……」
俺は膝をついたままの女を一瞥し、その横を素通りする。
鋭く呼び止められたのは、そのときだった。
「レイズ様、お待ちください……!」
アージュとシルファが、ひとりの獣人の遺体の前で血相を変えていた。
「レイズ。このひと……まだ生きてる」
「なっ……なんだと!?」
飛び上がって叫んだのは、俺ではなく、獣人の女剣士のほうだった。
△▼
腹に深い傷を負った、壮年の男だった。
もっとも獣人の見た目と実年齢は正確には測りかねるので、あくまで人間的な目線での認識だが。
仰向けに倒れた男の胸は、確かにわずかながら上下している。
「まだ息が……!」
女剣士はすでに俺と戦っていたことなど忘れたように、男の傍にひざまづき、その手を握りしめた。
「くそっ、今助ける……必ず助けるぞ!」
だが男の傷口は、今だに流血を続けている。
ほぼ土気色をした顔からは、男が辿る末路はひとつしか見えない。
それでも女剣士は必死に傷口を押さえ、手持ちの装備から止血を試みている。
傷口の深さから見て、すぐに出血を止めることは難しい。
女剣士は懸命に男の命を繋ぎとめようと呼びかける。
「レイズ……」
シルファの物言いたげな視線に、俺は小さく嘆息した。
死にかけの男と女剣士のもとに歩み寄る。
気づいた女剣士が弾かれたように振り返った。
「ちっ、近寄るな……!」
「大丈夫。任せて。このひとを、治してあげられる」
「なに……? だ、だが……この傷では……」
「どけ」
俺は端的に言い、男の前に手をかざした。
まだ息がある。ならば造作もない。
「主よ、敬虔なる汝の子と定めを分かちし子らの傷を癒し給え――」
回復魔法【キュア】が発動。
俺が元々持っていた【完全回復】を遥かに凌駕するほどの速度で、男の肉が繋がり、臓器が修復され、血が補給された。
一瞬のうちに、すべての傷が完治していた。
男はまだ意識を失ったままだったが、穏やかな呼吸を取り戻していた。
「よかった……。さすがはレイズ様。素晴らしき御業です」
「レイズはやっぱり、頼りになる」
アージュとシルファが一斉に胸をなでおろす。
一方、女剣士は唖然として立ち尽くしていた。
「な、なんという……こんな奇跡が……」
「奇跡など、ない」
「え――」
「後は好きにしろ」
「ま、待ってくれ。本当に……我らの同胞を手にかけたのは、貴殿ではないのか?」
「そう言っている。何度も言わせるな」
俺はシルファたちに出発を告げると、女剣士を無視して歩き出した。
だが、そのときだ。
「誠にかたじけない……!」
獣人の女剣士が、地面に額をこすりつけていた。
「私は、とんでもない誤解をしていたようだ……! 申し訳なかった……!」
獣人の女剣士は、両手と頭を地面につけ、謝罪の意を示していた。
潔いほどの態度の変化を、俺はそれをなんの感慨もなく見下ろした。
「運がよかったな」
「え……?」
「一度でもシルファやアージュに刃を向けていたら、迷わず殺していた」
俺はそれだけ言うと、再び背を受けた。
「待て! いや、待ってくれ……!」
獣人の女剣士は、切羽詰まった様子で俺を呼び止めた。
その瞳にあるのはすでに敵意ではなく、なぜか憧れと敬意のような輝きだった。
「私は、獣人族のスレイヤだ。どうか貴殿の名を、教えて欲しい」
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