第41話 狩りの痕跡

 隣から上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。


 フェイは軽やかな足取りで、さきほどから俺のすぐ側にまとわりついていた。


「るんるるーん♪ あ、レイズさまぁ、あちらに風車が見えますよ。あっ、あそこのお花綺麗ですね~。ふふっ、こういう旅っていうのも意外と楽しいですねー。なんだか……愛の逃避行って感じじゃないです?」


 完全に無視しているにもかかわらず、フェイは一方的に話し続ける。


 国境付近の街道。俺たちは獣人族の国を目指していた。


 このまま進めば、国境を守備する砦に行き当たる。勇者たちの『種族浄化宣言』があるとはいえ、兵士でもない俺たちが門前払いを食らうことはないはずだ。


 ふと、俺とフェイの間に、シルファが割って入った。


「ちょっとー。なにするんですー?」


「近い。レイズからもっと離れて」


「ええ~。でもこれは、ボクとレイズさまの心の距離なんですけどー?」


「いつそんなに縮まったの。ありえない」


「どーしてそう言えるんですかー? 見てください、レイズさまはぜんぜん嫌がっていませんよ? その証拠に……ほらっ!」


 途端、フェイが俺に抱きついた。

 余計な重さと柔和な感触が腕に絡みつく。


「えへへ~。レイズさまの腕、あったかぁ~い♪」


「それはダメ。ぜったい、ダメ」


「早いもの勝ちですよ~だ」


 フェイはぺろりと舌を出してシルファを煽る。

 普段、あまり感情を顔に出さないシルファが、眉をひくつかせていた。


「それにですよ、ボクと腕を組んで歩けるなんてぇ、世界中の男性が嫉妬するような光栄なんですから。レイズさまも嬉しいに決まってます」


 俺は腕にまとわりつくフェイを一瞥した。

 本人は胸を押し付けているつもりなのかもしれない。だがシルファやアージュと比べると、フェイの発育は進んでいるとは言い難い。


「ほら~! 聞きました?」


「いえ、レイズ様はなにも仰っていませんが……」


「ボクにはレイズさまの心の声がちゃ~んと聞こえましたもん。あ、レイズさま、ようやくボクのこと見てくれましたね。どうしました? もしかして……ボクの健康的な身体が気になっちゃいましたか?」


 フェイが武闘着の襟を引き、胸元をちらりと覗かせる。


「フェイさん……! 女性がみだりにそのようなことを……」


「あははっ、聖女さまってば真面目ですね~」


「アージュをからかうより、ちゃんとレイズに感謝して」


「はーい、わかってまーすっ」


「調子がいい……」


「えへへー、それがボクの魅力ですっ♪」


 踊るように俺から離れたフェイは今度は親しげにアージュに近づいた。シルファはフェイに厳しい視線を送りつつ、俺の隣に並ぶ。


「不満か? フェイを生かしたことが」


「ううん。わたしはレイズの決めたことなら、全部肯定する」


「そうか」


 俺はアージュたちを振り返る。

 シルファはともかく、アージュとフェイの関係は険悪ではない。


 声を上げて自分を救ってくれたアージュには好意を抱いているようだった。


「――へー、じゃあ聖女さまもレイズさまに助けてもらったんですねー」


「はい……。あ、あのそれと、私のことはどうかアージュと……」


「いいの? じゃあアージュちゃん! えへへ、これでもうボクたち友達ですね♪」


「そ、そうですね……」


「そいつが《七人の勇者》のひとりだということを忘れるな」


 俺は警戒心の浅いアージュに釘を刺した。


「は、はい。あの……ですがレイズさま、フェイさんはそこまで悪い子ではないと思います……。あのイオナさんと比べたら……」


 アージュは複雑な表情をした。


 以前、アージュはイオナに捕まった際、その本性を目の当たりにしている。

 その邪悪さと、このフェイの違いに驚いているのだろう。


「それに……私は思うのです。《七人の勇者》の行いは、決して簡単に許していいものではありません。けれど犯した罪があるのなら、それを償う機会を与えるべきです。そうして改心を促すことこそが、本当の救いの在り方ではないでしょうか?」


 真摯に語るアージュからは、在りし日の聖女としての振る舞いを彷彿とさせた。


 だが、今はただ刷り込まれた言葉を繰り返しているのともちがう。それは、彼女自身の言葉だった。


 だからこそ、俺は肯定も否定もしなかった。ただ浮かんだ疑問を口にする。


「アージュ。教えてほしい」

「は、はい」


「なぜ、罪は償える?」


「え……?」


 アージュがきょとんと目を瞬かせる。

 まるで初めて異国の言葉を聞いたような反応だ。


「罪は消えないからこそ、罪と呼ぶんじゃないのか」


「そ、それは……」


 議論をしたいわけでも、答えを求めているわけではなかった。


 ただ俺の中で、それはどんな高尚な言葉を並べ立てられようとも、揺るぎのない事実だった。


 消えるはずがない。償えるはずもない。

 そう――だから俺は、復讐を果たすのだ。


      △▼


 相変わらず、フェイは俺にまとわりついてきた。


 それをめざとく牽制するシルファ、遠目にはらはらするアージュという構図が自然と出来上がっていたが、無論、俺が意に介することではない。


「レイズ。もうそろそろ、獣人族の土地に入る。また変装したほうがいい?」


「いや、必要ない。今の人間とちがい、そこまで排他的ではないはずだ」


 もっとも、すべての獣人が友好的であるとは限らない。

 善人もいれば悪人もいる。それはどんな種族であれ同じだ。


「レイズさまー♪ なーに話しているんですかぁ?」


 フェイが俺とシルファの間に強引に割って入る。シルファがむっと頬を膨らませる。

 だが俺はにらみ合うふたりよりも、べつのものに意識を奪われていた。


「――血の臭いがするな」


「えっ、そうですか?」


「敵?」


「いや……どうやら、遅かったようだ」


 街道の遥か先、肉眼ではほとんど捉えられないほどの距離に、ひとつの砦がある。

 常人を超える視力を持つ俺の目には、それがここからでもよく見えた。


 その想定外の有様までもが。


      △▼


「これは……」 


 アージュが口元を覆い、絶句している。


 シルファも痛ましげに目を背けた。


 高い城壁に囲まれた砦。破壊の痕跡はどこにもない。


 だが、あちこちに屍が転がっていた。


 血と腐肉が放つ汚臭が凄まじく、息をするだけでむせ返りそうになる。

 死体の損傷が激しく、正確な数は把握しづらいが、二十から三十ほどはあるだろう。


 俺とフェイは淡々と死体を見渡した。


「ここにいたの……人間じゃないですね」


「そのようだな」


 俺は数少ない原型を留めた死体を見下ろした。


 身体を覆う体毛。独特の獣耳と尾。

 この砦にいたのは、獣人族だ。


「酷い……なぜ、このような酷い行いを……」


 堪えきれず、アージュの瞳から涙がこぼれた。


 俺は獣人族の屍の山から視線を上げ、耳を澄ませた。

 わずかな気配に集中する。


「レイズ……?」

「レイズ様?」


 人間と獣人族の体臭は異なる。さらにここには無数の遺体があり、血の臭いも濃い。獣人同士の個体差を判別できるほど、俺は亜人に詳しいわけではない。


 それでも、生者と死者の区別はついた。


 風が走る。


 直後、俺の頬に血の飛沫が貼りついた。


 シルファ、アージュが、そしてフェイまでもが目を見開いていた。


「――悪くない突きだ」


 俺の頬を濡らしたのは、俺自身の血。

 鋭い切っ先に貫かれた俺の掌から飛び散ったものだ。



「忌まわしき人間め……! 我らが同胞の仇、ここで討たせてもらう!!」



 刃の一撃とともに現れ奇襲をかけた女が、俺の眼前で叫んだ。


 人間ではない。


 褐色の肌。髪の間から突き出た獣の耳。

 胸部を覆う甲冑と、腕のガントレット。携えるのは緩やかに湾曲した、片刃の長剣。



 獣人族の少女――否、剣士がそこにいた。


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