第40話 一転の好意
バルペインの街から出てしばらく歩いた河のほとり。
完全に態度を改めたフェイが、アージュに手当てを受けていた。
河の水で傷口を洗い、清潔な布を当てる。
フェイはまだときおり鼻をすすり、目は赤く泣き腫らしている。ふたりのその姿を赤の他人が見れば、仲睦まじい姉妹にでも見えるのかもしれない。
「いたっ……」
「あっ、ごめんなさい。染みましたか?」
「ううん。あの……ありがとう。聖女さま……」
「いいんです。私にできることは、そう多くありませんから。それに、わたしはもう大神殿の聖女では……」
アージュがフェイに微笑みかける。まさしく聖なる乙女という清純さ。
フェイは恐る恐る俺に視線を送る。
「神官さん……ボクを、許してくれるんですか?」
「許したわけではない。ただ、殺していないだけだ。それに……」
「そ、それに?」
「利用価値があるのなら、どんなものでも利用する。それだけだ」
「れ、レイズ様、そのような言い方……」
「わたしもレイズに賛成」
シルファが頷き、フェイに近づく。
「あなたたちのことは許せないけど、殺し合いをしたいわけじゃない」
「……ということだ」
淡々と言う俺を、フェイは不思議そうに見つめる。
その視線には、なぜか好意的な色合いがある。
「素敵……」
「なに?」
フェイは立ち上がると、素早く俺の胸元に接近した。
武闘家らしい身のこなしに、アージュたちは目を丸くしている。
「あの……ボク、こんな風に素っ気なく男のひとに接してもらったことなくて……だってほら、ボクって世界一可愛いじゃないですか?」
「知ったことか」
「だからその……すごく不思議な気持ちになったっていうか、実際に経験して初めて気づいたっていうかぁ……。だからボク……」
奇怪な態度だった。俺は険しく眉間にしわを寄せる。
「なにが言いたい?」
俺がまさしく素っ気なく促すと、フェイはなぜか俺の手を握りしめた。
「決めました。ボク、レイズさまのお嫁さんになります!」
その場に流れた奇妙な空気を、いったいどのように形容すればいいのか。
少なくとも俺は完全なる無反応だった。
だがシルファとアージュはちがったようだ。
「なななっ……!」
アージュが急速に耳を赤くし、動揺をあらわにする。
一方のシルファといえば相変わらず完全な真顔のまま、
「ダメ」
短いながらも明確に拒否した。
「ええぇ~いいじゃないですかぁ? だってキミたちもそうなんですよね?」
「ふ、不浄ですっ……!」
首元まで桃色に染めたアージュが懸命に否定する。
そしてなぜか答えを求めるように俺を見た。
「私は、決して、レイズ様とそういう……」
「じゃあなに?」
「な、なにと言われましても……」
「わたしは、レイズの妻」
「ええっ!? そ、そうなんですかシルファさん!?」
「……の予定」
なぜかアージュがほっと胸をなで下ろしている。
「じゃあ結局、ボクがお嫁さんいいですよね?」
「よくない」
「よくありません……!」
「えー。独り占めはよくないですよー?」
あまりにも低俗な話題に、俺は小さく嘆息した。
「どうです、レイズさまー? ボク、この武闘家としての力で、絶対にレイズさまを守ってみせます! だからぁ……お嫁さんにしてください♡」
「そんなことより、情報のひとつでも提供できないのか」
俺のなにげない一言に、フェイは途端に瞳を輝かせた。
「わわっ! レイズさまが、ボクを頼っていらっしゃる……!」
「むっ。そういうわけじゃない」
「でもぉ、実際ボクはレイズさまの敵のことをよく知っているわけですしぃ。これって、ボクが一歩リードしてるってことじゃないです?」
「レイズ。やっぱり生かしておかなくてもいいかも」
「ええっ!? さ、さっきと言ってること全然ちがうじゃないですか~!」
「ふ、ふたりとも落ち着いてください……」
「俺が聞きたいのは、ディーン・ストライアのことだ」
俺がその名前を口にした途端、フェイの軽薄な態度がなりを潜めた。
「ボクたち《七人の勇者》の中でも、彼の本当の目的を知ってる者は誰もいないんです。そもそもあの『種族浄化宣言』だって、ディーンが独断で進めたことですから」
「お前たちはそれに従っていただけだと?」
「えっと……まあ正直、ほかの六人についてはなんとも……。さっきも言いましたけど、なにを考えているかわからない人たちですから」
「お前たちは、シルファを狙っていたな」
「それもディーンがイオナに命じたことです。魔王討伐後、ディーンは魔物の研究にすごく力を入れていて、それにイオナが適任だったから……っていう風に聞いてましたけど」
「研究とは、あの魔女の塔で行われていたものか」
あそこで目撃した、魔物の死骸を集めた研究室の光景を思い出す。
俺の隣で、シルファがわずかに肩を震わせた。
あのときイオナが言っていた言葉。
そして記憶の伝播で見た、魔王とディーンの会話が脳裏をよぎる。
――そう、人間はもっと変わることができるのよ。
――俺たちは、世界を一度白紙に戻す。
「これはボクの推測ですけど……『種族浄化宣言』には、なにか、べつの狙いがあったんじゃないかなって思うんです。異種族を根絶すること以外の、なにかが……」
フェイは利発そうな眼差しで思案した。
現時点では判断のしようがない。だが、決してありえない話ではない。
「ディーン・ストライアの、次の標的は?」
「亜人……より正確に言えば、獣人族だと思います」
獣人族。
亜人のなかでも人間と生息域が近く、比較的交流も多い種族だ。
商業的な風土や知識においては、人間よりも長けていると聞く。
「獣人か。では、次の目的地はそう遠くはない」
「それって……獣人族を助けに行く、ってことですか? レイズさま」
きょとんとしたフェイを、俺は冷たく見返した。
「異種族がどうなろうと俺には関係ない。
たとえ最後のひとりが息絶え、滅びようとも」
俺の目的は、《七人の勇者》全員を抹殺すること。
そして、その筆頭たるディーン・ストライアの首を取ること。それだけだ。
だが――
「だが奴の目論見を破壊するというのも、悪くない」
計画を阻害すれば、奴は俺を積極的に排除しようとするだろう。
つまり、向こうから姿を現す可能性が増える。そのときこそ、俺があの男からすべてを奪う絶好の機会となる。
「わたしも賛成。レイズが行けば、きっとみんな助かる」
「レイズ様、行きましょう。獣人族の方々の地へ」
「はいはーい! レイズさまのお嫁さんとして、ボクもついていきまーす!」
「それはちがう」
「ちがいます……!」
快活に主張するフェイに、シルファたちがぴしゃりと言い放った。
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