第38話 神官 対 武闘家
フェイの踵が鼻先をかすめる。
生じた風圧で俺の頬が斬り裂かれ、石畳の路面に亀裂が走る。
視界の端に、防御魔法を展開してシルファたちを護衛するイオナを捉える。
だがそれもあくまで戦闘の余波を防ぐものに過ぎず、フェイの死の拳打そのものを無効化することはできない。
それは俺自身も同じだ。
「そんなに頑張ってよけないでくださいよぉ。ボクに蹴られるなんて、この世界で二番目くらいのご褒美じゃないですかぁ」
フェイが身体を旋回させる。
あまりの速度に姿がかすむ。
柔軟な身体を駆使したフェイの後ろ回し蹴り。
俺は右手をかざし、反転魔法で迎撃。
だが――
【オルタ・フォース】:発動。対象の【絶対会心】により無効化。
フェイの踵が、俺の右手首を引き千切った。
さらに間髪入れずの連撃。
首を狙った一撃を、とっさに左腕で防御。
その左腕も、木端微塵に砕け散る。
「ふふん♪ これが、【会心の一撃】ってやつですよ」
俺は一旦距離をとる。
フェイは余裕の笑みをつくり、追撃すらしてこなかった。
両腕のみならず、奴の攻撃の衝撃波により、俺の全身はずたずたに斬り裂かれていた。
通常の人間なら、ほぼ即死に近い損傷。
だが――
【不滅者】:自動発動。欠損部位を修復開始。所要時間、0・7秒
全身を覆った暗い光が、千切れ飛んだ俺の両腕と全身の裂傷を瞬時に修復、再生する。
俺は戻った両腕の手を握りながら、感触を確かめた。
「神官さん、それすごく痛そう……痛くないです?」
「生憎だが、今の俺は痛みを感じない」
「そ、そうですか……。もし痛くなったら、特別にボクがふーふーしてあげてもいいんですよ? ほ、ほら、痛いの痛いの飛んでけー的に……」
「意味がわからない」
「ええぇ!? ひ、ひどいです! ボクも恥ずかしさを我慢して言ったのに!」
なぜかフェイが頬を赤くしながら怒っている。
「御託はいい。これで、すぐに終わる」
「はい?」
俺は両の拳を上げ、構えた。
なにかの型でない。完全なる我流の構え。
それを見たフェイが、ぽかんと間の抜けた顔をさらす。
直後、甲高い笑い声を上げた。
「えっと……、なんです、それ? も、もしかして……伝説の武闘家のボクと、拳で戦うつもり……ですか?」
「ああ、そうだ」
「神官さんって……思っていた以上に、面白い人だったんですね」
フェイのまじまじとした眼差しは、演技ではないだろう。
「くすっ……不覚ながら、本当に好きになっちゃいました。ここで殺すことになるのが、惜しいくらいです」
言いながらフェイはまた手鏡を取り出し、自分の顔に見惚れている。
うんざりするほど見た姿。
「はぁ……ほんっとボクってば可愛い……」
「ひとつ、前々からお前に思っていたことを教えてやろう」
「なんですか? ひょっとして、ボクに似合う花や宝石ですか? せっかくですけど、ボクはなんでも似合うので……」
「いや、ちがう」
「えーもうなんですかー? 勿体ぶってないで、教えてくださいよぉ」
俺は喜悦に口元を歪めた。
「お前はべつに、可愛くはない」
途端、フェイの顔から一切の表情が消えた。
やがて頬が紅潮していく。
まるで子供そのものの反応。
フェイが拳を下ろし、棒立ちになる。
だがこれまでとは比較にならない、ありありとした殺気が膨れ上がる。
「そういうイジワルなこと言うひと……ぜったい、ぜったい殺しますから!!」
フェイが、今度こそ風と化した。
俺の心臓を狙い、最速で繰り出された手刀。
その速度は、紛れもなく俺の反応を上回っていた。
だが――
「ぃぎゃ……!?」
俺が至近距離で繰り出した裏拳が、フェイの顔面を完全に捉えた。
小柄なフェイの身体が吹き飛び、石畳を砕きながら激しく転がりまわる。
「どうした。伝説の武闘家は、その程度か」
俺の身体は、魔王の心臓がもたらす魔力により発動する【フォース】により、常時強化されている。
それに加えて【魔王の権能】によって発動したスキルのひとつ【人類悪】による、人間特攻状態が付与されている。
素手であろうと肉体を引き裂くことは容易い。
まともに食らって生きているだけで称賛に値するだろう。
だが愕然とした表情で身体を起こしたフェイに、それを誇る余裕はないようだ。
鼻から血を垂らしながら、信じられないように俺を凝視している。
「ボクの拳を……よけた……?」
「なにを言っている? 俺はよけてなどいない」
「え……?」
「お前が外したんだ」
フェイは、何を言われているのかわからないと言った様子で固まっている。
「確かに、【絶対会心】による一撃は強力だ。だが、お前は基本的なことを忘れているようだ。どれほど強力な攻撃であろうと、当たらなければ意味がない」
「だから……なんです……」
「まだ気づかないか?」
予想を超えたダメージに、ひざを付いたまま立ち上がれずにいるフェイに、俺はゆっくりと歩み寄る。
絶望を、しっかりと理解させるために。
確かに俺の【オルタ・フォース】は、奴の攻撃の威力を無力化しなかった。
だが効果は発動している。
「俺は、お前の幸運を弱体化したんだ。極限のマイナス値まで」
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