第37話 死の拳脚

 静寂の大橋に、フェイ・リーレイが降り立った。


 俺は瞬きもせず、その一挙一動を注視する。


 接地の瞬間は無音だった。

 それは静かな着地、という意味ではない。完全なる無音。


 通常の人間とはかけ離れた聴力を持つ俺の耳でも、一切の音――振動を感じ取ることができなかった。


 無論、驚くには値しない。ただの再認識だった。


 俺の目の前にいるのは、伝説の《七人の勇者》のひとり。

 なにげない動作の数々が、その強固な証左に他ならない。


「あーあー。せっかくこの場に世界一可愛いボクがいるっていうのに、観客があなたたちちだけなんて……どんな贅沢ですかーそれ? ま、いいです。今回だけは特別に許してあげます。お久しぶりですね、神官さん?」


 フェイが流し目を寄越す。


「えへへー♪ もしかしてぇ、神官さんはボクに会いたかったんですかー?」


「そうだな。お前と会えたことを幸運に思う」


「わわっ……ま、まるで告白じゃないですか……! えっと、そんな真剣な眼差しで見つめられちゃうと、ボク、困っちゃいます……」


 フェイはわざとらしく頬を赤らめた。

 直にこの女のことを知らないシルファとアージュから、困惑が伝わる。


「ま、男のひとがボクに見惚れちゃうのは、当然の摂理なんですけどね」


 ころりと態度を変えたフェイが、懐からなにかを取り出す。


 びくりとシルファたちが身構えるが、フェイが手にしたのは、なんの変哲もないただの手鏡だった。


 フェイはうっとりとした顔つきで手鏡を覗き込み、悩ましげな吐息をこぼす。


「はぁ……。それにしても、ボクってほんっっっと、世界一可愛いですよねぇ……。その上世界一賢くて強いんですから、この地上に舞い降りた天使――いえ、それ以上の完璧な存在であることは証明するまでもありません」


 かつて散々見せられた、妄執的なまでの自己愛ぶり。

 そのふざけた反応を無視し、俺は言った。


「仲間の情報を吐け」

「……はい?」


「残りの《七人の勇者》の居場所を答えろ。そうすれば特別に、お前はただ殺すだけで済ませてやる」


「なんですかぁ、それ? まさか、それで取引のつもりですか?」


 フェイはくすぐったそうに身をくねらせて笑う。

 可憐な少女そのものの仕草。

 その素性を知らぬ者が見れば、容易く騙されるに違いない。


「そんなことボクに聞かれても困りますよぉ。神官さんだって知ってるじゃないですか。あのひとたち、なにを考えているかわからないド変人ですし」


 お前はちがうのか、という言葉を俺は口には出さなかった。


「そうか。では、加減の必要もないな」


 もとより与えるはずもないが。


 目の前にいるのは、《七人の勇者》のひとり。

 この力を振るうにふさわしき相手だ。


「ボクは、イオナとはちがいますよ?」


 フェイは身軽にその場で跳ね、つま先で地面を叩いた。


「確かめてみなければ、わからないな」

「レイズ……」

「レイズ様……!」

「ふたりとも、下がっていろ。すぐに終わる」


 フェイが微笑を浮かべ、拳を持ち上げる。


「ふふっ、そうですね。きっとすぐに終わりますね」


 半身の姿勢をとり、弓を引くように両腕を大きく前後に開いた。

 まるで大蛇を連想させる、武闘家特有の構え。


「ねぇねぇ、神官さん。武闘家の最大の武器って、なんだかわかりますか?」

「さあな」

「もぉ、仕方ないですねぇ。それじゃあ賢くない神官さんに、賢いボクが特別に教えてあげます。それはですねぇ……」


 フェイが視界からかき消える。


 直後、俺の頬が斬り裂かれた。


「――素早さ、ですよ♪」


 俺の眼前に出現したフェイが、拳を突き出していた。


 首をひねるのがほんのわずかでも遅ければ、頭部ごと吹き飛んでいた。


 唇が触れるほどの距離で、フェイが無邪気に微笑む。


「神官さん、近くで見ると、なかなかイケメンじゃないですかぁ。ま、世界一美少女なボクとはちょっとだけ釣り合いませんけど♪」


「お前たちの邪悪さと釣り合う人間などいない――【オルタ・キュア】」


 俺の右手が放った破壊の魔力がフェイを強襲する。

 だがその瞬間、すでにフェイの姿は消失している。


 【オルタ・キュア】:対象に命中せず。効果なし。


 汎用スキルの【戦闘経験】が、情報を淡々と頭の中に展開する。

 なにかの防御系の《スキル》ではない。ただ回避されている。


「まったくもって、遅いです」


 大橋の柵の上に、片足のつま先で立つフェイがいた。


「せっかくこうしてボクと直接触れ合う権利を得ているんですから、神官さんはもっとボクのために全力を出してほしいです。それとも……味方がやられないと、本気にならない性質(たち)ですか?」


 フェイの殺意が俺から逸れる。


 その直後、最上位の防御魔法【アビスウォール】を展開していたイオナの右腕が、肩の付け根から千切れ飛んだ。


 片腕を失いつつも、イオナは眉ひとつ動かさない。


 それが【オルタ・レクエイム】による本人の魂と肉体を分離。

 もっとも、あの人形の中に封じ込められた当人は、今頃壮絶な激痛にもんどり打っていることだろう。


「ぐすん……イオナってば、こんな風になっちゃって可哀想……。とっても悲しいですけど、ボクたちはイオナの分まで精一杯生きていきます!」


 フェイの欺瞞に満ちた憐れみを向けられた人形も、ただの肉壁では終わらない。


 被弾と同時に、予め展開していた迎撃魔法が発動。

 空中にいくつもの魔法陣が浮かび、フェイを完全に包囲する。


 だがフェイがくるりと身を躍らせると、そのすべてが瞬時に消滅。

 フェイは素手で魔法陣そのものを攻撃し、発動前にかき消したのだ。


「だから、安心して逝ってください」


 フェイがゆっくりと蹴り足を持ち上げる。

 次の瞬間、イオナの全身に大穴が穿たれた。


 肉片が飛び散り、血しぶきが舞う。

 両脚も骨ごと寸断され、イオナがその場にくずおれる。


 俺は短距離の【シフト】でその場に転移し、同時に右腕を構える。

 だがフェイは深追いすることなく、あっさりと距離をとった。


 俺は血だらけで石畳の上に転がる人形を見下ろす。


 千切れた臓腑と血を垂れ流すイオナが、かすかな呻き声を上げる。

 素顔を覆った仮面のまま俺を見上げ、なにかを訴えていた。


「――誰が勝手に倒れていいと言った?」


 俺はイオナの頭を踏みつけた。

 そして手をかざし、【キュア】を発動。


 瞬く間に、イオナの千切れた全身が再構築を開始。

 骨と肉が元通りに再生し結合し、まとっていたローブすら修復される。

 一瞬にして、イオナはもとの五体満足の姿を取り戻した。


「お前には力尽きることも許されない。さあ、立て」


 俺の命令に、人形がぎこちない動きで起き上がる。

 フェイはそれを阻止することもなく、悠々と眺めていた。

 確かに、余裕を見せるだけのことはある。


 なぜ、最上位の防御魔法であるイオナの【アビスウォール】が、いとも容易く貫通されたのか。しかも素手の相手に。


『レイズ、あの女の能力を【魔眼】で見た。気をつけて』


 シルファが【心象投影】で俺の頭に自身の声を響かせながら、同じく固有スキルである【魔眼】で得た情報を共有する。



《クラス》

 武闘家


《スキル》

 【戦闘経験】……戦闘中に発生する事象を正しく把握する

 【闘気・龍】……すべての格闘攻撃の威力を増幅する(極大)

 【練気・虎】……戦闘中に生じる肉体的な負荷をゼロにする

         また、呼吸によって魔力を回復する

 【発剄・玉】……魔力を消費し、格闘攻撃の威力を増幅する(大)

 【殺式気功】……自身の攻撃の威力・数に応じ、自身の肉体を回復する

 【無型】……あらゆる武闘の型を会得する

       また、同じ型を持つ武闘家に敗北しない

 【連撃の極意】……連撃の間に生じる隙を完全に失くす

 【絶対会心】……詳細不明


《魔法》

 【詳細不明】……//



「ちょっとぉ~覗き見ですかぁ? いくらボクのことが好きだからって……。ま、世界一可愛いボクのことをもっと知りたくなるのは当然ですけどねぇ」


 フェイは軽く首を回し、ゆっくりとこちらに歩み寄る。


 俺はフェイの能力を見ながら、奴の攻撃がイオナの【アビスウォール】を突破した理由に気づいていた。


「なるほど。会心の一撃か」


「ふふっ、ようやく気づいたんですかぁ?」


 武闘家の最大の武器は、その素早そのもの。

 そして、その速さがもたらすものは、なにか。


「ボクの攻撃はその一手一手が、会心の一撃なんです。つまり、すべての攻撃が致命であり必殺。例えどんな防御手段を講じられようとも、ボクはそれをすることができるんです」


 それが伝説の武闘家フェイ・リーレイの持つ固有スキル――【絶対会心】。


 フェイは血生臭い戦場には似つかわしくない、天真爛漫な笑顔を浮かべた。



「もう一度言いますね。ボクは、イオナとはちがうんです♪」


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