第36話 遭遇

 群衆と歓声が城下町を埋め尽くしていた。


 前を見ても後ろを向いても、見えるのは人、人、人――

 このすべてが、伝説の勇者を一目見ようと集まったバルペインの国民たちだ。


 俺とシルファとアージュの三人も、その群れに紛れ込んでいた。人形(イオナ)も姿を消してすぐ傍らに控えている。


 王城へと続く巨大な橋。

 整然と並んだ兵士たちによって、勇者の道が保護されている。


 まもなくここに、ディーン・ストライアが姿を現す。

 その瞬間、ここは戦場へと変わる。

 俺だけが、その未来を知っている。


 当然、この場にいる大勢の人間たちは、そんなことは夢にも思わないだろう。

 ただ世界を救った勇者の登場を待ちわび、今か今かと熱気を高めている。


「すごい人の数ですね……」

「人間は集まるのが好き、なの?」

「ふたりとも、あまり俺から離れるな」


 アージュとシルファはうなずき、人波にさらわれてしまわないよう、ぴったりと俺に身体を寄せた。


「こいつらの中では、魔王を滅ぼし、世界に光を取り戻した英雄だ。本性など、疑ったこともないんだろう」


 度し難いほどに愚かしい。

 殺すほどの罪はない。

 けれど、生きることが許されるほどの価値は、こいつらにあるのだろうか?


 俺はふと、自分の手のひらに視線を落とした。

 もし俺がここで【オルタ・レイザー】を使えば、この目障りな愚民どもを一掃できる。

 それも一興かもしれない。


「れ、レイズ様、どうかされましたか? お顔が険しいですが……」

「……いや、なんでもない」


 俺は手を下ろし、再び群衆を構成する愚民のひとりになりきった。


「ねぇ、レイズ」

 俺の腕をつかみながら、シルファが尋ねた。


「なんだ?」

「もし勇者だけじゃなく、残りの《七人の勇者》が一緒に現れたら……そのときは、どうするの?」

「決まっている。まとめて片を付けるだけだ。むしろ大いに歓迎しよう。もっとも、残念ながらそれはないだろう」


「どうして?」

「奴らは決して、共闘などしない」


 俺は断言した。


 そして、かつて神官として《七人の勇者》のパーティを支えていた忌まわしき過去を思い返していた。


 伝説の勇者、ディーン・ストライア。

 伝説の魔法使い、イオナ・ヴァーンダイン。

 伝説の戦士、ギンカ・ブルアクス。

 伝説の武闘家、フェイ・リーレイ。

 伝説の狩人、ヒサメ・クウガ。

 伝説の錬金術師、アリシャ・ミスリル。

 伝説の賢者、メビウス。


 俺がその傷を癒し、加護を与え、ときに蘇生さえ行った七人の怪物。


 俺はよく、奴らの手当をしながら、過酷な旅の話を聞かされていた。

 当然、魔物や魔族との激しい戦いの状況も。


 だが俺は一度として、奴らが力を合わせて戦ったという話を、聞いたことがない。


 今考えれば、その理由も合点がいく。


 奴らに共闘など必要ないからだ。


 みずからの力に絶対的な自負を持ち、他者の存在になんの価値も見出していないよ

うな連中が、仲間のために血を流すはずがない。


「それは……私たちにとっては良いこと、と言ってよいのでしょうか?」

「ううん。そうとも限らない」

 アージュの疑問に、シルファが答えた。


「七人がそれぞれ独立して動いているということは、わたしたちも、それぞれの動きを予測するのが難しくなる」

「確かに……」

「ああ、そうだ」


 残念ながら、シルファの言う通りだ。


 だが、誰がどんな思惑を抱いていようと、俺には関係ない。

 ただひとつ、わずかな気がかりがあった。


《七人の勇者》の中のひとり。飄々としたその姿と言葉が、脳裏をよぎる。


 ――ボクが世界一可愛いに決まってます。

それを証明するために、他の人間は生きているんですよね?


 とりわけあの女は、警戒すべき対象だと言えるかもしれない。

 その直後、群衆からひと際大きな歓声が沸き起こった。


「レイズ様、先導の兵士たちが見えます!」


 アージュが示した先。重武装の大軍団が姿を現した。

 重々しい金属音が、橋を揺らす振動となって伝わる。


 掲げた槍の穂先や全身鎧には、何者かの返り血がべっとりとこびりついている。それはどんな言葉よりも、殺戮の成果を如実に示していた。


 一団の圧巻の姿に、群衆が息を飲む。


 だがそれは、それまで以上の狂騒的な熱気を引き起こした。


 あれが勇者の一行。

 だが、まだディーン・ストライアの姿はどこにも見えない。


 全身の肌がざわつく。血が高揚するのを感じた。

 間違いなく、あそこにいる。

 俺の復讐の標的が。


「人形。お前はシルファとアージュの盾だ。身を呈してふたりを死守しろ」

「了解しました」


 幻影魔法【ミラージュ】で透明化していたイオナが姿を現し、シルファたちの前で防御魔法の構えをとる。


 俺はこの従順な人形であるイオナに、いくつかの行動原理を埋め込んでいる。


 ひとつ、自身の生命よりも、シルファとアージュの命を優先すること。

 ふたつ、その命令が遂行が困難だと判断される場合においてのみ、自律的に他者を殺傷する行為を許可すること。

 そして最後は、そのふたつを実行するため、自身の安全を度外視することだ。


 つまり文字通り、この人形は肉の盾。


 だがこの瞬間にも、そこに封じられた本来の人格は、すべての感覚を味わい続けている。一時も休みも、終わりもなく。

 さぞ本人は屈辱と苦痛にもがいていることだろう。


 だがまだまだ、始まったばかりだ。


 俺は人形から橋に視線を戻し、右手に意識を集中させた。

 目標は、重武装の軍団。


 その中心にいる忌むべき存在に向け、俺は反転魔法を詠唱した。


「【オルタ・キュア】――一切合切、灰燼に帰せ」


 次の瞬間、橋の中央で治癒と再生の反転魔法が発動した。


 軍団を構成する兵士たちが、次々と内側から炸裂した。

 人間だけではなく、その武装も引き千切られた金属片となって四散、さらに彼らの足元にある石畳の橋も飴細工のように砕け散る。


 轟音が辺り一帯を揺るがす。

 大量の瓦礫と金属、そして人間の断片が降り注いだ。


 ようやく最初の悲鳴が聞こえた。


 混乱のるつぼと化し、一斉にその場から避難をはじめた民衆の渦中で、俺たちだけがその場から動かず、事態を静観していた。


「……終わったの?」

 ぎゅっと身を縮めていたシルファが顔を上げ、辺りを見渡す。


 俺は答えず、冷静に攻撃評価を下していた。


 もうもうと立ち込める粉塵と血煙。崩落した橋から兵士たちの亡骸が落ちていく。

 生きている者はいないはずだ。


 だが無論、どんな状況であれ、例外は存在する。



「――ディーンだと思いましたか? ざんねんでしたー!」



 記憶の奥底に刻まれた軽薄な声がした。

 瞬間、全身が総毛立つ。


 その感覚の半分は嫌悪であり、残り半分は、喜びだった。


 土煙の中から人影が現れる。


 小柄な輪郭。肩口程度の群青色の髪。

 脇や臍を露出した身軽な武闘着に、手足に装着された分厚い手甲。


 その容姿をはっきりと捉える前から、俺はその正体に気づいていた。


「正体はぁ……じゃっじゃじゃーん! なんと世界一可愛くて、世界一軽やかな身のこなしに定評のある~このボクでした!」


 幼さの残る無邪気な笑みに、俺は忌々しく吐き捨てる。



「フェイ・リーレイ……」



《七人の勇者》のひとり。

 伝説の武闘家の登場だった。

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